ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

善悪3

 
  善悪3
 
 
何が正しくて、何が間違っているかなど、善悪の厳密な結論は、風さえも支配されるところの全能の神ならば分かるでしょうが、風を追うような私たちに分かるはずはないのです。
 
 (伝道の書、口語訳)1:17
わたしは心をつくして知恵を知り、また狂気と愚痴とを知ろうとしたが、これもまた風を捕えるようなものであると悟った。
 (伝道の書1:17、旧約聖書
 
私たちは、ただ、懸命に考え、判断して、実行し、反省して、それを神様に正直に捧げる祈りの時を知っているだけなのです。
 
正しいか間違っているか、すなわち正邪というのは、風を追えない私たち人間にとって、判断に過ぎないのであって、そこに、信仰があるから云々とか、神の御心は云々とか、私たちが言葉を並べてみても不完全で、高が知れていると弁えるべきでしょう。
 
私たち信仰者が、何を人に伝えられるかと言えば、福音伝道と言いますから、聖書を読み、神の寛容のもとで、キリストの共感と慈愛の同伴により、正直に祈ることによって、反省し成長する道を与えられたことに他なりません。
 
与えられているということは、否(いな)みようもないことですから、その通り、与えられたと言うしかありません。それが福音なのです。聖書におけるキリストからの共感に、キリストへの共感を持つようになった人が、キリスト者になります。
 
しかしながら、聖書の話や信仰の恵みについて、神がどうであるとかいったことは、私たちも多くを知らないのであって、この地上では分からないこととして求道者と共有と共感を目指すべきであって、まちがっても知らない者に教えるという態度になってはいけません。
 
共感と共有だけが、人としての立場を弁えて目指せる目標であります。つまり、福音伝道は、自他という人が主語であります。人に共感の可能性を伝えるのであります。
 
神の導きと言えば、どのように?、神とはと言えば、どういう存在?、キリストはと言えば、どのように同伴?、という難題になりますが、自分という人間が、束縛された心から解放されたという話なら、信仰者は話が出来るでしょう。
 
受けたことを伝える、この立場を守るならば、たとえ邪悪なカルトが、私たちの完全ではないことを罵(ののし)ってきたとしても、知らないことは知らないと言えるでしょうし、受けたことは受けたと言えるでしょう。
 
良心を持たない思い込みカルトの類は、実に思い上がっていて哀れむように見せかけて、軽蔑や嘲笑いを向けてくるでしょう。そんなとき、"主を誇る" などと言ってもカルトには通じないでしょう。カルトに何を言っても無駄です。
 
信仰において気づいたこと、即ち、神という絶対者を仰ぎ、キリストという救い主を好きになり、キリストの共感と同伴を祈り願って、その大いなる存在に比べて低く弱く小さい存在であることの幸いを知ったのなら、その自覚が多くの束縛からの解放だったことを改めて自らも知ることになるでしょう。
 
余計な負けず嫌いや自尊過大がなければ、然(しか)りは然り、否(いな)は否と言えるでしょう。
 
 (マタイによる福音書、口語訳)5:37
あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。
 (マタイ5:37、新約聖書
 
そういうことをカルトは全く理解できないが、へりくだって真実を求める求道者の中には、共感が芽生えることがあるかもしれません。そうやって自分もキリスト者になったことを新たに自覚する機会にもなるのです。
 
そのようにして、信仰者と求道者双方に恵みは続き、学習は続き、成長は続き、福音は宣べ伝えられてゆくのです。善悪および正邪は、人にとって、その時の良心の判断に過ぎません。良心に基づいて行動しますが、絶対ではありません。
 
しかし、神の前に努めて正直であることは、人間に出来る唯一の "神を愛すること" であり、神に救われる必要十分条件なのです。ゆえに、正直な祈りに努めることは、神に対して人間が出来る "唯一の正しいと言えること" なのです。
 
正直な祈り以上の良きものを、人が神に捧げることは出来ないのです。決定的な優先順位を、人の不完全性と罪深さにとって不可知な善悪や正邪ではなく、正直な祈りに置くのがキリスト信仰であります。善と正義に励んでも、その影響を果てまで追うことは、人間には出来ないからです。
 
正直な祈りを捧げる心は、絶対正義の善行にはならなくても、反省と成長が可能となり、悪意と悪行からは遠ざかる生き方になるです。つまり、神の前に、正しく善となることをもって救われるという信仰は人間には成り立たず、正義と善への方向は、ただ正直な信仰の結果として表れることです。
 
そのようにして、凶悪な自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)やサイコパスの嘘や詭弁の偽善の罠にも、騙されることなく、近づくことなく、不完全で不十分であっても、温もりと潤いのある豊かな良心を持つ人間性へと、育(はぐく)まれてゆくのが信仰の道です。
 
何故なら、聖書より、神は、いつも、罪に対する寛容をもって、正直な祈りを待っておられるからです。善が先でもなく、正義が先でもなく、それら、人間には重すぎる義務や戒律の負荷ではなく、人間なら誰にでも可能で、かつ、間違えても訂正可能で成長可能なのが、正直な祈りの信仰なのです。
 
 

     

               善悪 正直
 
 
(2020年)(2021年)
(2022年05月26日、再録+加筆)
 
 
 
  信仰告白
 
人間がなしうる
最も良質な
精一杯の信仰告白
信仰告白である
 
 
  祈りと叫び
 
いつくしみ深き
神様に感謝します
という賛美の祈りより
神も仏もあるものか!
という叫びのほうを
神様は熱心に聞いておられる
ような気がすることがあります
 
その血塗(ちまみ)れの
蒼白い手に叫びを込めて
父に祈る御子を
遣わされた神様だから
 
 
  言質
 
何を言いに来られた
何を怒っておられる
怒りは怒りを呼ぶことはあっても
怒りからは何も善いものは生まれぬ
 
いつくしみぶかき主イエスでさえ
エルサレムの神殿で怒りをあらわにされ
商人たちを追い出したことを知らないのか
 
神は絶対にして神の怒りもまた絶対である
主は正義にして主の怒りもまた正義である
しかるに
自らの怒りを主の怒りになぞらえる
汝はいったい何者か
 
(聖なる立場で物を言うべからず)
 
されど汝と呼んでしまったときの
悪しき思いと浅き知恵は裁かれるであろう
聖なる立場で物を言ってしまったのは誰なのか
何故いつもいつも信仰は
その恵みを垣間見ていながら
悔いと嘆きの中にあるのか
 
 
  気分
 
いつから厭(いや)になった
世捨て人の気分でも
この世のお世話になって生きている
世俗を離れた気分でも
俗は欲と一緒についてまわる
いつから嫌(いや)になった
勝つことができなくなって
自分自身にさえ負けてばかりだから
惜しみなく勝ちは譲る気分でも
勝ち負けそのものが分からなくなった
いつから柔(やわ)になった
善し悪しも弁(わきま)えず
まさに今そういう気分
いつから今になった
ずっと気分だよ
今以外に何かあったか
 
 
  失楽園
 
緑児(みどりご)は自ら進んで
血糊(ちのり)を見せることはない
大人はときに血糊を
見せざるを得なかったり
見て欲しくなったりする
失楽園
善かれ悪しかれ
知恵をつけた結果である
生きて楽園へ戻る道は
もはや何処にもないが
心有る人々には
姿なき幼児(おさなご)が
ときおり問いかけてくる
あなたはだれ?
なにしているの?
楽園の住人に問われても
楽園を追われ
忘れてしまった大人たちは
それゆえそのとき
むしろ悩んだり悔いたりする
血糊が減ることはないのである
一方で人々はしばしば
血糊に因縁話を付け加えながら
地上の楽園を探し求めて
赤児(あかご)を自慢の腕に抱き
善かれ悪しかれ
やがて知恵を吹き込んでゆく
いずれにせよ
血糊が減ることはないのである
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」

2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。

 
 
反省、修正、学習、というプロセスを通らずに、自分は自分、人それぞれ、自分を貫く、といったことを、その範囲も是非も考えないまま続けると、人間は成長しなくなります。理路は小学生、感受性は鈍く、知識は都合のよいことばかりを集めて、いったい、どういう大人になったつもりなのでしょう。
 
 
 
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