ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

詳細不明の楽山

 
  詳細不明の楽山
 
 『「人間」らしさの構造』渡部昇一
 2022年09月18日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/34180165.html
   を批判。
 
自己実現について書いています。自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の楽山が自己実現するなら、恐ろしいことになります。自己中が自己実現するなら、妄想世界か犯罪にしかならないからです。楽山に必要な自己は、檻の中にしかないと思っています。
 
「頑張ろうという気分になることができるのはよい」「人の心を元気にする良書だ」・・相変わらず、月並みな褒め言葉です。あとは、記憶違いの話が、半分以上で、合わせても短く、中身が、極端に貧困な記事になっています。書いて発表できることに呆れます。加筆する気なのでしょうか。
 
 

*元気が出る本
 本書では、生きがいとは自己実現であり、そのためにはまず内なる声に耳を傾けることが肝要だとしつつ、これを実践して生きがいを見つけ、自己実現を成し遂げ、幸福になった例を数多く紹介している。

 
楽山が自己実現を語るとき、それは、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の欲望を表すことになるので、信頼度はゼロです。どうか騙されないでください。楽山は、無反省、無責任の、嘘と詭弁で書いて、人を丁寧語で、たらしこむペテン師です。
 
そういう人だから何を言われても書いてくるのです。罪悪感がないのです。楽山と付き合えば、それで楽山は悦に入り、受け容れた人は精神を破壊されるでしょう。何の罪悪感も感じていないからこそ、3年以上批判されても、平気で書いてくるのです。書くほどに醜い楽山ですが、自覚は皆無です。
 
 

現実はそう甘くはなく、誰もが本書の事例のように成功できるとは限らないだろうが、それはそれとして本書を読めば自分も内なる声に耳を傾け、頑張ろうという気分になることができるのはよい。これは人の心を元気にする良書だと思う。

 
「それはそれとして」という、とても、いい加減な言い回しを見逃さないでください。書くことが面倒くさくなっているのでしょう。ならば書かなければいいのに、病質のために、書かずにおれないのです。そうして、恐らく、一生涯を、他者に迷惑をかけることに費やしてゆくのでしょう。
 
楽山は、頑張ったことはないと思います。頑張って整っている芝居だけを覚えてきたのです。だから「頑張ろうという気分になることができるのはよい」などと平気で書いてきます。「人の心を元気にする」ことは、楽山には出来ません。病質のために、思いやる能力がないからです。
 
だから、平気で、自分の罪を自覚しないまま、勧めたり、アドバイスみたいなことを言ったりできるのです。他者がどうなろうと、完全に無関心でいられるという一種の感情鈍麻であり、その流れで、自己正当化はしても、罪悪感は感じず、反省も後悔もしません。厚顔無恥の典型でもあります。
 
 

*記憶違い?
ところで、久方ぶりに本書を再読してみて、なにやら自分はしょうもない記憶違いをしていたような気がしてきた。
これまでは、「内なる声を聞け」という教訓はスピリチュアリズムの本で知ったとばかり思っていたのだが、もしかしたらそれは記憶違いで、実際は本書で知ったのかもしれない気がしてきたのだ。本書で「内なる声」について何度も何度も繰り返し言及しているのを読んでいたら、そう思わないではいられなくなってきたのだ。

 
楽山は、内なる声を聴くことはありません。内なる罪を自覚しない者が、内なる声に耳を傾けることはないのです。自分を上において、人に、下を眺めるように、アドバイスするスタンスは、実に、身の毛のよだつホラーと言ってよいでしょう。楽山は、スピリチュアルでも何でもない、欲望の動物です。
 
 

「内なる声」の大切さについては、スピリチュアリズムの本でも、本書でも、どちらでも説かれているから、はじめにどちらで読んだかはどうでもいいことではあるが、今回再読するまで本書のことはすっかり忘れてしまっていたのにはいささか動揺せずにはいられない。やはり再読は大事だと改めて思った次第である。

 
楽山には何の関係もない「内なる声」について、楽山は知っているかのような嘘を吐いています。何度、本を読んでも同じだと思います。内省の一つもしたことはないのです。それをごまかすために、反省芝居や、読書家気取りで、自尊過大の醜い自我を表してゆきます。もはや人間ではない者の所業です。
 
この読書感想文も、詳細不明です。この短い記事で、楽山は、何が言えたと思うのでしょう。書いたから伝わったと思い込むのでしょうか。楽山は、独り、自我の妄想部屋に棲んで、発信だけは続けていて、その発信は、本人にも、他者にも、何の参考にも糧(かて)にもなりません。よく平気でいられる。
 
 

      

          寒いのは 書いたことにする詳細不明
 
 
(2022年09月19日)
 
 
 
  ウソの国
 
男は登っていく
深夜の階段を
息せき切って走っていく
走らねばならないのだ
走らねばならない
遅れてはならない
遅れてはならない
 
遅れた
男は人前に連れ出され
何人もの男から
したたか腹を殴られたが
痛みはなかった
 
夕暮れの街を歩いていく
人々は夕闇と過去に追われながら
すでに死んだ油の眼で
われにもない毒の顔をさらして
ネオンの間から間へ
苦しい巡礼を始める
あぁ この七色の 肉色の
光のおりが天国とは
拳を握りしめて
「何もない」
「何もない」と
壁に向かって叫び続ける男
誰もいない街角に向かって
手を振り続ける女
眼を振り続ける人々
通り過ぎる車が
水たまりをはねて
尻が濡れた
時が引き裂かれた
青春と人情の墓場から抜け出し
人通りの少ない路地で
恋人に声をかける
お茶でも?
あいされたいわ たれからも
 
吐物をまき散らしながら
男は逃げる
転びそうになりながら
 
幾分か小高い丘に
塀のある幼稚園があった
数人の子供が砂場で遊んでいる
ジャングルジムがある
子供たちが登れるようになると
外が見えるようになるわけだ
 
男は登ってみる
もう吐き気はしない
尻のあたりの濡れた感触もない
男はようやく安んじて眺めている
人っ子一人いない街の風景を
 
あたりはもうすっかり明るい
 
 
  ありがとう
 
誰も読まない詩を綴り
誰も理解しない文章を書き
誰も聞かない歌を詠み
誰にも伝わらないもどかしさだけで
誰にも伝えられない痛々しさだけで
何を暗示したかったのだろう
寝起きの顔のまま
泥濘(ぬかるみ)の足取りで
伝わらないものか
伝わるものか
の足取りで 四角いポストに入れた
少し奥まで手を突っ込んで入れた
正直なつもりの
過ちを束ねて
この町の
ただ一度の一瞥にありがとう
そして帰ってゆく
自分の周りに
自分で作った格子窓から見るために
遠い国を
遠い国を
さようなら
 
四九八九、きゃんせる町、こどく市、もろはの県、ウソの国
 
 
「ウソの国」という言葉、結局は私が一生引きずっていく言葉・テーマなのではないかと思っている。
「天国はここにある、そこにあるというものではない。天国はあなたがたのただ中にある」という聖書の言葉がある。必ずしも天国との対比で考えてきたわけではないのだが、今のところ敢えて次のように言っておこう。
 
ウソの国はここにある、そこにあるというものではない。しかしわが身・わが心の内と外のいたるところにある。まずは自分の中に潜むウソを見つけることから、ウソの国への果てしない旅が始まる。私が考え、書いているところの、ウソの国は、神の国の、ネガなのかもしれない。
 
 
 
楽山の害毒メモ:
今までに表れてきたこと。これは、楽山に限らず、聖書においてキリストの敵となった宗教指導者や、世に数多いる偽善者の特徴でもあります。この世で最も迷惑な人の特徴です。楽山は無責任です。決して信用しないでください。
 
楽山は、1つのことを書いて、別の時には、それに反することを平気で書いてきます。そこで、反省、修正、というステップを書かず、あたかも最初から思っていたことのように書いてきます。自分に誤りを認めない自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)だからです。
 
人格:
自己愛が強く自己中である。
笑いと怒りしかなく、悲しみの情がない。
共感がなく、罪悪感がなく、反省しない。
自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)と思われる。
平気で嘘を吐く。様々な詭弁を弄して、柔和に見せかける。
深い情感がなく、共感性がない。相手が疲れるのを見て快感を得る。
後悔、反省、修正ができない。学習による成長がない。
罪悪感、羞恥心が見られない。サイコパスと思われる。
アドラー心理学の宣伝をしていた。自己中心である。
中身や実質のない形骸的精神機能しか持たない。
 
単細胞。
 
議論:
議論や交流が、表面的で、整わないし、できないし、元々する気もない。
相手の意見を受け取っていないので、反論、弁明が成り立っていない。
理路が常識的にも浅く、基本的に訂正不能である。理解力がない。
自分なりの堅実な理路を組み立てられない。
読書自慢。感想は平板で、独創性や深みがない。
様々な気取り。読書家気取り、評論家気取り、インテリ気取りなど。
分かっているという我執から離れられない。
非を指摘されると、逆に、こちらに当てはめて被害者面をする。
人を批判~誹謗中傷するが、その言葉で自分が斬られるブーメラン現象。
真面目に応答~議論すればするほど、病的な徒労感と疲労のみをもたらす。
ボンヤリ言語:語尾を濁し曖昧で婉曲的な言い方で、印象を刷り込もうとする。
トホホ言語:謙虚で弱いと思わせて悪意を隠すための嘘の芝居。
しばしば、自身への同意を期待して、見え透いた世辞を言う。
「反省。とほほ」などと書くが、不自然であり、前後で何も変わらないので嘘です。
騙して、言い分を詭弁や嘘で通そうとする、通っていると思い込む。
 
宗教:
反キリスト、反宗教。聖書およびキリスト信仰を、貶めてくる。
キリスト教とキリスト信仰を字面だけで云々し、理解していると思い込む。
HSを脱会したと言っているが、真実かどうか、疑わしい。
霊能者のつもりだが、それに見合う直観的洞察は皆無である。
 
楽山の書いた文章を、3年数か月のあいだ見てきた結果ですから、大きく変わることはないでしょう。これらについては、新しい情報によって、必要なら加筆し、繰り返し載せることになるでしょう。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
 

2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。

 
楽山の書く文章は、精神年齢に合ったものになってゆくような気がします。思考が長く続かないのかもしれません。ちょっと書いて、すぐ嫌になって、そこで結論とする癖がついてきたのでしょうか。意地を張って長い文章を書いたら、嘘と詭弁と無駄話の大安売りの大迷惑になるでしょう。
 
楽山のような無神教カルトは、神の奇跡と事実にばかりこだわって、神の御心やキリストの共感には不感であるため、キリスト信仰から大きく外れた宗教観を持ち、それによって、的外れに神を否定しています。それはもう、とても乱暴な話であり、心を持たない強欲な人間離れに過ぎません。
 
 
 

★こも/楽山日記3
@komo266
「謀略論に関心がある人」も、マイコンされやすいですね。
>>引用ツイート
紀藤正樹 MasakiKito
@masaki_kito
20時間
紀藤弁護士が教える「マインドコントロールされやすい人」の10項目 https://tokyo-sports.co.jp/entame/news/4446791/ 1)大学進学(2)新入社員(3)環境変化(4)新しいことにチャレンジしたい(5)社会に役に立つことがしたい(6)素直な性格(7)完璧主義(8)孤独(9)健康不安(10)マイコンに絶対かからないと思っている
<<
午前10:11 · 2022年9月18日
·Twitter Web App
https://twitter.com/komo266/status/1571305894583078913

 
注意してください。「謀略論に関心がある」楽山は、生業としてマインドコントロールしてくる人です。楽山は、仏様の心が分かるっぽい体験?から、霊能、謀略、右翼、無神教カルトに興味があるようで、そういう記事を書いてきました。しかし、読んで糧(かて)になる記事は一度も書いたことがありません。
 
楽山は、社会に役立つことがしたいのではなく、役立っているつもりかもしれません。実際は、有害な社会の敵です。霊能などに努力せずに到達しているつもりです。素直ではなく正反対のサイコパスです。完璧な自分を妄想しています。どこまでも病識も罪悪感もない人です。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
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(ブログ記事をコピペすることあり)
 
 
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