ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の無責任正当化

 
  楽山の無責任正当化
 
 『「原因」と「結果」の法則
 ジェームズ・アレン著、坂本貢一訳
  2022年10月24日
 http://mn266z.blog.jp/archives/34581655.html
   を批判。
 
楽山の、言い逃れです。嘘を吐き、詭弁を弄して他者を誘導し混乱させる悪行体質を、何やかやと、有識者の本を漁っては引用して書いても、何一つ信頼できる記事ではなく、かえって、恐らく今までも、まともな意見を発したことは一度もないのだろうという判断の根拠となってゆきます。
 
 

*概要
巷には「心が環境を決定する」という考え方もあれば、その反対に「環境が心を決定する」という考え方もある。どちらを支持するかは人それぞれであろうが、本書は前者を強く支持する立場で書かれている。

 
「環境が心を決定する」という考え方で、自分の無責任を正当化したいのでしょうか。逆のことを、それらしく語って、まともに見せているのは、自己の言動の責任を、負いたくないからです。その表れは、何を狙っているかは、短い文章の後半に出てきます。
 
「環境が心を決定するという考え方」は、楽山の自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の主張でしょう。環境が悪いんだ、おれは悪くない、と言いたいのでしょう。しかし、自己愛性の性質を、認めようともしないところに、いつも病質は表れてきます。
 
 

したがって、本書では次のような言葉が繰り返し語られている。「完璧に清らかな人間には、苦悩はけっして訪れません」(p.35)

 
「完璧に清らかな人間」は存在しません。これぐらいのことが、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の楽山には分からないのです。しつこく自己正当化の記事を書けば書くほど、楽山の病質が明らかになり、その底意地の悪さが目立ってきます。楽山には一片の清らかさもないと思います。
 
 

「私たちに苦悩をもたらす環境は、私たち自身の精神的混乱の結果です。私たちに喜びをもたらす環境は、私たち自身の精神的調和の結果です。喜びは正しい思いの結果であり、苦悩は誤った思いの結果なのです」(p.35)、「私達は、自分が望んでいるものではなく、自分と同種のものを引き寄せます」(p.26)。

 
楽山の病質がもたらすのは、他者の「精神的混乱」であります。楽山自身には「精神的調和」はありません。どこまで白を切るつもりでしょうか。楽山には、自分に対する調和がなく、正しい思いがなく、楽山の苦悩は、楽山の自業自得である、という経過なのです。楽山は、自分の責任を負わない男です。
 
 

*自己責任論
これは自身の心がすべてを決定するという考え方からすれば、当然の帰結ではあるが、圧倒的なほど頑健な自己責任論であるため、自分自身の戒めとしてならともかく、他人に向けられたならば相当に危険な凶器となり得るだろう。

 
楽山の責任逃れの詭弁です。自己責任は、自分の言動の責任を負う、という当たり前のことです。ゆえに、知性と感性があり、反省、場合によっては謝罪、そして、修正、といった、自分の意志による日常が可能になります。それが人間に与えられた自由なのです。
 
責任を負わない者には、自由意志も自由行動もありえないのです。自分勝手にしかならないからです。人間には、反省力と責任能力があります。楽山は、言いっぱなしで、しかも、誘導の作為があります。この記事も、責任逃れの自己正当化です。
 
 

個人的には人の能力では物事の因果関係を正確に知ることは難しいだろうと感じているので、心と環境はどちらがどちらを決定するとはそう簡単には断言できないとは思うが、人の一生には自己責任を強く意識すべき時もあるだろうから、そういう状況にある人にとっては本書を参考にしつつ生きようとするのは有意義なことであるかもしれない。本書を強く支持する人がいるのは、この辺りに理由があるのではないかと思う。<
 
「人の能力では物事の因果関係を正確に知ることは難しい」・・ここで、楽山は「完璧に清らかな人間」がいないことを自分で証明しています。実際、楽山の記事には「自己責任を強く意識すべき時」が表れてことがありません。楽山は、言動の責任を負わない自己中心の病質者です。関わらないでください。
 
どこまでも責任逃れをしてくる楽山です。そのたびに、楽山の、無反省、無責任、無神経、無理解、執拗な自己正当化、悪意、ペテンの詭弁、虚偽性、偽善性、精神の腐敗、荒廃、狡猾さ、訂正不能、感情鈍麻、頑迷、視野の狭窄が、顕著に表れてくるのです。
 
 

     

          どこまでも責任逃れしてくる化け物
 
 
(2022年10月25日)
 
 
 
  影
 
人ではなく
影ではないのか
そこに黒く
うずくまっているお前
少しく動いてはいるが
影ゆえに何も語らず
眼もなく
何かを見ているとは思われぬ
ただ影も影として
考えていることはあるとみえて
ゆっくり立って
戸口へ向かっていく
性分なのだな私も
そいつのあとを追って
あわてて床をはっていったのだ
 
 
  ボールペンⅠ
 
引き抜かれた芯は
細い裸のまま
ふるえる指先のふるえを受けてふるえる
書けない責任を負わされて
インクの残りを見るための
視線にすーっと舐められてゆく
いきなり激しいめまい
天井と床の間で振られ
さらに荒々しい熱い風
悪臭にさらされる
このような移動と臭いは好まないと
断るすべもないままに
次は強い圧力で
押しつけられる紙の上で
嘔吐して刻まれた溝に流す
「まだ使えるな」と
その身が尽きるまで続くのだが
外筒におさめられ
改めて押される速さに
右に左に上に下に
圧力は無理矢理に片寄り
やはりふるえる指先の
ふるえを受けて
刻んだ直線を歪ませる
 
 
  いやなやつ
 
今だから言うけど
(今になったら責任はないのかね)
昔のことは言いたくないんだが
(まさに言おうとしているじゃないか)
あの時のことなんだ
(あの時が一体いくつあるんだい)
つまらない些細なことなんだが
(そのわりに忘れもせずによく覚えているんだね)
確かに悔いは残るかもしれない
(確かに、で何故、かもしれない、だ)
愚痴を言うわけじゃないけど
(言うわけじゃないけど言うわけだな)
いい意味で殺したかったですね
(・・・・)
 
 
  生まれた責任
 
産んでくれと頼んだ覚えはない
と誰を責める
今を嘆くのは勝手だが
自らの責任において泣け
産んでくれるな
と頼んだ覚えもないのだ
 
 
  運命の紙
 
運命は常に初め隠れており
やがて必ず顕(あらわ)れる運命にある
「隠れているもので
 明らかにならないものはない」
予(あらかじ)め定められた結果の連なり
として諦めるか
未決の前に立ちはだかる障壁
として抗うか
定め あるいは宿命
一本の紙巻き煙草を吸うにしても
瑣事(さじ)の酷なことよ
何の気なしに指が動くほどに
気晴らし・気分転換・暇潰し・・・
動脈硬化・虚血性心疾患・肺癌・・・
喫煙と禁煙
愛煙と嫌煙
権利と義務 自由と責任
ニコチンかタール
子宮から骨壺
すべて綯(な)い交ぜに
どれかを放棄し
どれかを選択し
「隠れているもので
 明らかにならないものはない」
巷にいる限り
骨牌のように
巡ってくる
紙を巻け
 
 
 
楽山の害毒メモ:
 
今までに表れてきたこと。これは、楽山に限らず、聖書においてキリストの敵となった宗教指導者や、世に数多いる偽善者の特徴でもあります。この世で最も迷惑な人の特徴です。楽山は無責任です。決して信用しないでください。
 
楽山は、1つのことを書いて、別の時には、それに反することを平気で書いてきます。そこで、反省、修正、というステップを書かず、あたかも最初から思っていたことのように書いてきます。自分に誤りを認めない自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)だからです。
 
偽善者の特徴でもあります。
 
人格:
自己愛が強く自己中である。
笑いと怒りしかなく、悲しみの情がない。
共感がなく、罪悪感がなく、反省しない。
自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)と思われる。
平気で嘘を吐く。様々な詭弁を弄して、柔和に見せかける。
深い情感がなく、共感性がない。相手が疲れるのを見て快感を得る。
後悔、反省、修正ができない。学習による成長がない。
罪悪感、羞恥心が見られない。サイコパスと思われる。
アドラー心理学の宣伝をしていた。自己中心である。
中身や実質のない形骸的精神機能しか持たない。
 
奇怪な単細胞。
 
議論:
議論や交流が、表面的で、整わないし、できないし、元々する気もない。
相手の意見を受け取っていないので、反論、弁明が成り立っていない。
理路が常識的にも浅く、基本的に訂正不能である。理解力がない。
自分なりの堅実な理路を組み立てられない。
読書自慢。感想は平板で、独創性や深みがない。
様々な気取り。読書家気取り、評論家気取り、インテリ気取りなど。
分かっているという我執から離れられない。
非を指摘されると、逆に、こちらに当てはめて被害者面をする。
人を批判~誹謗中傷するが、その言葉で自分が斬られるブーメラン現象。
真面目に応答~議論すればするほど、病的な徒労感と疲労のみをもたらす。
ボンヤリ言語:語尾を濁し曖昧で婉曲的な言い方で、印象を刷り込もうとする。
トホホ言語:謙虚で弱いと思わせて悪意を隠すための嘘の芝居。
しばしば、自身への同意を期待して、見え透いた世辞を言う。
「反省。とほほ」などと書くが、不自然であり、前後で何も変わらないので嘘です。
騙して、言い分を詭弁や嘘で通そうとする、通っていると思い込む。
 
訂正不能の偏執。
 
宗教:
反キリスト、反宗教。聖書およびキリスト信仰を、貶めてくる。
キリスト教とキリスト信仰を字面だけで云々し、理解していると思い込む。
HSを脱会したと言っているが、真実かどうか、疑わしい。
霊能者のつもりだが、それに見合う直観的洞察は皆無である。
 
慢心して中身の無い形骸。
 
楽山の書いた文章を、3年数か月のあいだ見てきた結果ですから、大きく変わることはないでしょう。これらについては、新しい情報によって、必要なら加筆し、繰り返し載せることになるでしょう。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
 

2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。

 
楽山は、実に白々しい言い訳の詭弁を書き続けています。反省能力がないのも自己愛性パーソナリティ障害NPD(自己愛性人格障害)の症状でしょう。それは、悔い改めることのない、反省することのない、罪悪感のない、サイコパシーpsychopathy を、如実に表し続ける経過となっています。危険です。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター
https://twitter.com/st5402jp
(ブログ記事をコピペすることあり)
 
 
ブログ村ランキングリング:INポイントが付かない。
https://poem.blogmura.com/darkpoem/ranking.html
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
https://philosophy.blogmura.com/christian/ranking.html
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング
https://blog.with2.net/rank4482-0.html