ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山という偽者

 
  楽山という偽者
 
 『偽書が揺るがせた日本史』原田実著
 2022年10月06日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/34382418.html
   を批判。
 
楽山の自己顕示欲という寄生虫は、止むことがありません。恥ずかしさを感じないからでしょう。自分が、いかに、みっともないかを、まるで感じないのです。それも自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の特徴です。今のところ、批判を続けるほかに、対処法がありません。
 
 

*まえおき
偽書について知りたくて本書を読んでみた。
本書で偽書として紹介されているものは、巻末の索引から書き出せば、次の通りである。
アイアンマウンテン報告、上記、鵜鷺系偽書、易断資料、園太暦偽文、太田道灌自記、偽古文尚書、金史別本、九鬼文書慶安御触書、江源武鑑、三教指帰シオンの議定書神道五部書、須磨記、世界の盟主、先代旧事本記大成経、竹内文書田中上奏文、中世日本記、東日流三郡誌、椿井文書、藤苦労盛長私記、東照宮御遺訓、中山文庫、南淵書、武功夜話富士宮下文書、扶桑見聞私記、秀真伝、松島日記、三笠文、本佐録、誘惑女神、和漢惣歴帝譜図、和銅日本紀、和論語ヲシテ文献
以下に、本書中で特に印象的だった箇所についてメモしておきたい。

 
宗教と思想の、真っ赤な偽者の評論家気取りである楽山は、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の症状として、逆に偽者について書いて言います。このように、にせものだ、にせものだ、と騒ぐことによって、真っ赤な偽物である楽山自身を、本物に見せかけたいのでしょうか。
 
 

*一夜城、誘惑女神、江戸しぐさ
まず一つ目は、墨俣一夜城である。本書によると、一夜城について書かれてある「武功夜話」は、古くから伝わる古文書という設定だが、その中には明治時代に改められた地名、昭和の町村合併でできた村名などが記されているそうだ。もうこれだけで古文書ではなく、昭和以降に書かれた書物であることが丸わかりである。

 
本物を何一つ表すことの出来ない楽山は、歴史上の出来事の真偽なら書けると思うのでしょうか。心が偽物で、正直でない楽山には、真実追求は無理なだけでなく、人の言葉を借りて、他者を偽者扱いしても空しい限りです。偽者が偽物を指摘するという悍ましさこそが、楽山が、恐怖の偽者である証拠です。
 
 

二つ目は、「誘惑女神」事件である。八十年代に谷崎潤一郎の未発表作品「誘惑女神」なるものが公表され、有名作家が激賞したりもしたが、その数年後それは偽作と判明したのだそうだ。激賞した有名作家は赤っ恥である。

 
赤っ恥から出てきたような楽山が、他者を赤っ恥という資格はありません。あらゆる言論を裏切って、なお、人のことばかり言い続ける楽山の醜さは、今後も、いっそう、見るに耐えないものになるでしょう。あらゆる真実を裏切って、後悔せず、反省せず、学習しない下種であります。関わらないでください。
 
 

三つ目は、江戸しぐさである。これは江戸時代からの口伝という触れ込みであり、文科相の道徳教材にも採用されたが、その後、江戸時代の風習としては不審な点が多いことを指摘されるようになったのだそうだ。


 
あれも偽者、これも偽者、と言っている楽山こそ、自己中で、訂正不能で、学習不能のペテン師です。書けば盛り返せると思うのでしょうか。ただただ、性懲り無い体質によるものでしょうか。反省の無いところに成長はありません。成長の無いところに真実は表れません。
 
 

*影響力
本書を読むと、偽書の内容は杜撰なものばりで、ただのトンデモにすぎず、こんなものを本気にするのは、ごく一部の物好きだけだろうと思えるのだが、実際には、それが学校の教材に取り入れられたり、それを掲げて町興しをしようとする自治体もあるというのだから驚く。どうやら偽書の影響力はあなどってはいけないようだ。

 
楽山のボロクソ節「杜撰(ずさん)」「トンデモ」が飛び出しています。偽者を言うのじゃから、ええじゃろ・・と言う気安さこそが、楽山に、何の病識も、良識も、良心も、全くないということの証拠なのです。楽山を信用するのは「ごく一部の物好き」だけではなく、心の弱い人々であります。
 
尽きることのない嫌悪と否定を、この偽善者、楽山に向けるべきでしょう。偽書と言えば、楽山のネット記事、ツイッター、楽山日記などのブログ、という履歴が、3年以上にわたって続いているのです。呆れるほどに、学習能力の無い楽山であります。
 
 

本書でも指摘されているように、偽書は何らかの目的や願望をかなえるために作られることが多いのだから、同様の目的や願望を持つ人に対しては非常に大きな影響力を持ちうるということなのだろう。

 
楽山の人生が、そういう人です。人生の目的が、大方、自己顕示欲です。中身は嘘です。にやにや笑うことと、怨念を内燃させることが、楽山の体質的です。反省につながるような、しんみりと悲しむ情感を持ちません。その偽りを、罪悪感もなく続けて、影響力をもって教祖願望でも叶えたいのでしょうか。
 
 

謀略論やトンデモ本にはまってしまったことがある自分が言うのも何だが、偽書はいつの時代もなくならず、新しくつくられ続くだろうから、騙されないように注意は怠らないようにしたいものである。

 
偽物を指摘しておけば、自分は偽物とは思われないじゃろ・・という楽山の浅ましさです。楽山の嘘っぱち記事は「なくならず、新しくつくられ続く」でしょう。だから「騙されないように注意は怠らないように」して、注意警戒して、決して近づいてはいけないのです。これもブーメランです。
 
 

     

              偽者が偽物を指摘?
 
 
(2022年10月09日)
 
 
 
  耐える
 
もちろん聖書
キリスト教聖典
手を置いたり抱いたりして
お呪(まじな)いをするための
分厚い直方体ではない
生きている間に読むべき書物である
しかし
聖書の一行に縋(すが)って生きている人と
聖書の総てを諳(そら)んじている人の
信仰に優劣が付けられるだろうか
 
いかに聖句を用いたとしても
理を蓄え
学ならしめようとして
論を振りかざすことは
とても順調な耳鳴りのようなものだ
信仰は理でも学でも論でもない
 
あるニュース
人災か天災か忘れた
突然わが子を失った母親が
まるで感情をなくしたような顔で言う
「かなしいけれど神の計画だからしょうがない」
恐らくそう教え込まれてきたのだろうが
唖然!?…
それで本当に納得しているのか
 
ある映画
フランス映画だったと思うが題名は忘れた
妻子を殺された主人公が
礼拝堂のキリスト像
壁に叩きつけて割ってしまう
そして復讐を果たし終えた主人公は呟く
「もう…何も…」
それは喪失感か
あるいは復讐の空しさか
 
耐える
という愛の行為は
耐えがたい状況における感情
を吐き出すことなしに始まるだろうか
(感情の発散は
 詩の持つ唯一の効用と言われるが
 もちろん詩だけではない)
書くこと・話すこと
何よりも神の前に総てを
背教の念も不信仰も
さらけ出して告白したいと思う
 
神の前で背教の念など以ての外?
背教の念を抱いたことなど全くない
と言えるならそれでよい
しかし少しでも覚えがあるのなら
告白しないことは自分を偽り
神を偽ろうとしていることになる
不義を喜び真理を喜ばないで
真実に蓋をすることになる
 
人前では隠したいこともある
繕(つくろ)わねばならないときもある
喋(しゃべ)りすぎて損をした気持ちにもなる
しかしクリスチャンにとって
人から神へ訴える唯一の手段
祈りの場においては正直でありたいと思う
 
 
  (抜粋)
 
人格的唯一神はその御子イエスキリストによって、呼べば人間の持っている感性のレベルで答えて下さる神様です。人がキリストに近づくのではなく、キリストが人のレベルに近づいて下さるのです。したがってキリストとの絆は強くそして暖かい絆です。決して人間離れした超越的な感覚を要求するものではありません。
 
信仰が恐怖によって人を駆り立てるとき
その信仰は偽物か偶像である
 
 
 
  森の叫び
 
霧の酸を散らし
薬の雨を浴びる
森の叫びよ
かつて空気を水を浄化した
森の面影よ
迷い込んで途方に暮れて
蹲(うずくま)る旅人に告げよ
この地は最早(もはや)
旅人を癒す泉も潤いも持たず
刹那の益に流された血と汗と油と
股間を擦(す)り抜けた風の
腐敗の住処(すみか)になるのだと
砂塵を防いだ森林は
砂塵によって妨げられる
変わり果てる色彩は声よりも叫ぶ
滅びゆく森の最後の叫びは
乾いた砂の咽喉から病んでゆき
木々は虫食いの古文書に記(しる)され
果実は偽りの花押となって落ちてゆき
古びた墓碑が
眠らない屍の埋もれる砂の中に倒れていると
 
 
 
楽山の害毒メモ:
 
今までに表れてきたこと。これは、楽山に限らず、聖書においてキリストの敵となった宗教指導者や、世に数多いる偽善者の特徴でもあります。この世で最も迷惑な人の特徴です。楽山は無責任です。決して信用しないでください。
 
楽山は、1つのことを書いて、別の時には、それに反することを平気で書いてきます。そこで、反省、修正、というステップを書かず、あたかも最初から思っていたことのように書いてきます。自分に誤りを認めない自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)だからです。
 
偽善者の特徴でもあります。
 
人格:
自己愛が強く自己中である。
笑いと怒りしかなく、悲しみの情がない。
共感がなく、罪悪感がなく、反省しない。
自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)と思われる。
平気で嘘を吐く。様々な詭弁を弄して、柔和に見せかける。
深い情感がなく、共感性がない。相手が疲れるのを見て快感を得る。
後悔、反省、修正ができない。学習による成長がない。
罪悪感、羞恥心が見られない。サイコパスと思われる。
アドラー心理学の宣伝をしていた。自己中心である。
中身や実質のない形骸的精神機能しか持たない。
 
奇怪な単細胞。
 
議論:
議論や交流が、表面的で、整わないし、できないし、元々する気もない。
相手の意見を受け取っていないので、反論、弁明が成り立っていない。
理路が常識的にも浅く、基本的に訂正不能である。理解力がない。
自分なりの堅実な理路を組み立てられない。
読書自慢。感想は平板で、独創性や深みがない。
様々な気取り。読書家気取り、評論家気取り、インテリ気取りなど。
分かっているという我執から離れられない。
非を指摘されると、逆に、こちらに当てはめて被害者面をする。
人を批判~誹謗中傷するが、その言葉で自分が斬られるブーメラン現象。
真面目に応答~議論すればするほど、病的な徒労感と疲労のみをもたらす。
ボンヤリ言語:語尾を濁し曖昧で婉曲的な言い方で、印象を刷り込もうとする。
トホホ言語:謙虚で弱いと思わせて悪意を隠すための嘘の芝居。
しばしば、自身への同意を期待して、見え透いた世辞を言う。
「反省。とほほ」などと書くが、不自然であり、前後で何も変わらないので嘘です。
騙して、言い分を詭弁や嘘で通そうとする、通っていると思い込む。
 
訂正不能の偏執。
 
宗教:
反キリスト、反宗教。聖書およびキリスト信仰を、貶めてくる。
キリスト教とキリスト信仰を字面だけで云々し、理解していると思い込む。
HSを脱会したと言っているが、真実かどうか、疑わしい。
霊能者のつもりだが、それに見合う直観的洞察は皆無である。
 
慢心して中身の無い形骸。
 
楽山の書いた文章を、3年数か月のあいだ見てきた結果ですから、大きく変わることはないでしょう。これらについては、新しい情報によって、必要なら加筆し、繰り返し載せることになるでしょう。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
 

2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。

 
後悔も反省もせず、楽山は、他人事のように、評論家気取りで書く続けます。それがいかに醜いことかを感じないのです。誰も相手にしなくなること以外には、楽山を止めることはできないでしょう。今日も、寄生虫の精神を満足させるために、身の程知らずを表し続けている楽山です。近づいてはいけません。
 
 
 
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