ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

空想に逃げる楽山

 
  空想に逃げる楽山
 
 『かがみの孤城辻村深月
 2022年12月03日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/35041469.html
   を批判。
 
 
まともに生きている人間が小説を読んでいるという見せかけの、まともな生活を装っている楽山です。実際は、嘘と詭弁と刷り込みで、人をだまして誘導する、ネトウヨであり、反キリストです。短い感想文を書くことの意味はなく、自己愛性パーソナリティ障害NPD(自己愛性人格障害)の症状です。
 
 

ツイッターで本作が話題になっていたので興味を持ち、読んでみた。あらすじは、不登校の中一女子が鏡の向こうの世界に行き、同世代の男女と交流しつつ、成長するという話である。

 
楽山は「鏡の向こうの世界」という空想の世界しか住めなくなったのでしょうか。現実逃避しか出来ないのでしょうか。偏見だけのキリスト教の否定を、ネトウヨで気取りだけの楽山が書いた文章の救いがたさ、それらについて、何の反省も後悔もせずに、書き続けられるという慢心は、病理によります。
 
 

物語が大きく動き出すのは後半に入ってからなので、前半はややじれったいところはあったが、物語世界の全体像が明らかになってからは大きな感動があった。涙涙。最後は悲しいけれども、綺麗な終わり方であり、読後感はよかった。

 
楽山に限って、涙涙はないでしょう。このように、ボク感じやすいの・・みたいに書いておけば、共感が集まると考えること自体が症状でしょう。「感動」「悲しい」「よかった」という単純な言い方しか持っていないことから、その感動言葉同様に、深みのないことがばれてしまう楽山なのです。
 
 

それにしても本作に限らず、小説の主人公はどうしてこんなにも繊細なのだろう。主人公がものを考える人でなければ物語がまわらないのは分かるが、中一でこれほどの思考力はすごい。

 
ウィキペディアによると、作者辻村深月は1982年生まれの小説家で、2017年の作のようですから、35歳頃に発表した小説のようです。「中一でこれほどの思考力はすごい」・・そういうキャラを描いているフィクションでしょう。実在のように感動することに違和感はないでしょうか。
 
 

それに比べると、自分が中一だったころは本当に何も考えていなかったと思う。もっともこれは当時はあれこれ考えていたのを忘れてしまっただけなのかもしれないけれど…。

 
今も殆ど考えていない楽山です。いちばん大事なこと、生きる上で考えるべき真実や人生の大事なことを、ことごとく妄想的な辻褄で語ってきた楽山です。その偏狭な精神で、キリスト教を侮辱した根拠は、具体的な奇跡が起こらないから・・という身勝手な拙劣さです。真実に向き合える人ではありません。
 
 

もしそうであるならば、それだけ自分は大人になったということなのだろうな、大人とは子供時代の記憶を失った人のことだとすれば。

 
自分の自己愛性の障害が表れ、迷惑をかけ、反省せず、責任を負わず、現在までの記憶を、全く意に介せず、平気でいることを「大人になった」と言っています。あらゆる都合の悪い「記憶を失っ」ているなら、まともに交流してよい人ではないのです。つまり、未だ人間ではないのです。
 
 
 
 霊言は名誉毀損になりえるのか?
 (「弁護士北村晴男ちゃんねる」の動画)
 2022年12月03日 幸福の科学とは何だろう?ブログ by 楽山
 http://mmknky21.blog.jp/archives/17946374.html
  を批判。
 
書かなければいいのに、なぜ書いてくるのでしょう。書くことが、まともではないことに気づかないからでしょう。人間性があれば分かるはずのことが、分かっていないのに、分かったつもりで書いてきて、分かっていないことが、さらに、明らかになるという経過です。
 
 

*霊言と名誉毀損、および信教の自由 ツイッターで、北村弁護士の動画が話題になっていたので、リンク保存しておきたい。

 
自己愛性人格障害の楽山に信教の自由を語る資格はありません。未熟で攻撃的で侮辱的な無根拠の否定をしてきたからです。人間的な感受性がなく思考も小学生並みに拙劣な宗教音痴に、そこまで言われる筋合いはないのです。分からないのに分かったふうに否定してくる加害が趣味の虚栄に生きる楽山です。
 
 

手塚るみ子氏のツイート
上記の動画で話題になっている手塚るみ子氏のツイートは、こちらにまとめられている。
手塚るみ子さん「最近『手塚治虫の霊言』という頭の痛い本が出版された。」

 
父親は漫画家の手塚治虫ということですが、『手塚治虫の霊言』などと書かれては、迷惑も甚だしいでしょう。作者は、大川隆法ORです。
 
 

*ややこしい
動画の話からすると、どうやら霊言を名誉毀損とするのは難しそうだ。その理屈は、霊言は一般には信じられていないので、霊言で何が語られようともその内容を本気にする人はおらず、社会的評価が傷つけられることもないので名誉毀損は成立しないということらしい。これは前に聞いたことがある話だけども、改めて聞いても失望とともに、何だか失笑してしまう。

 
楽山の霊能趣味と同じだということでしょう。「霊が分かるっぽい」と書いて、訂正しておらず、ホラーの話題が多い楽山です。どう失笑したのでしょう。楽山の、人の霊は否定して、自らの霊の話は改めないという自己中体質が表れています。人のことばかり言って、自らを見ない人です。
 
 

ただし動画ではこれに続いて、霊言は一般には信じられておらず名誉毀損にはならないとしても、信者らは信じているわけでそれによって社会的評価を傷つけることにつながるならば、名誉毀損にならないとも限らないそうである。
とすれば、霊言が名誉毀損になるかならないかは、結局、なるともならないとも断定的には言えないということか…。若干、歯切れが悪い答えではあるが、これがもっとも現実的な答えなのだろうな。

 
名誉棄損になりうるという話を、楽山は短絡思考で「断定的には言えない」という話にして「歯切れが悪い」「現実的な答え」という結論になるでしょうか。事実関係によっては犯罪になるということでしょう。楽山の見方は全か無のような話になり、一方で、語ることは、ボンヤリして終わります。
 
 

*霊言を信じるかどうか
最後に、ついでに書いておくと、私は北村弁護士と同じく、霊言は信じてはいない。霊言は真実というより、スピリチュアル エンターテイメントだろう。

 
今さら言い訳しても遅いのです。白々しい楽山を、楽山の発言の事実が、追及することになります。百害あって一利も一理もない楽山です。かつて「霊が分かるっぽい」と言ったのに、ここでは「霊言は信じていない」と言っています。赦されるはずもないことです。エンタという書き方ではなかったのです。
 
 

こちらの記事の後半にあるように、霊媒の口に水をためさせ、テープで塞いだうえでも霊言がなされ、その声が空中を飛び交うなどということが現実にあったならば、「本物かも…」と思うかもしれないが、霊媒が口を動かし、しゃべっていて、声も変わらないなら、それは真実の霊言とはいえなかろうと思う。
・『イギリスの霧の中へ 心霊体験紀行』の感想 (1) - 楽山日記(LD)

 
霊能趣味の楽山の見なしの幼稚さが表れています。超常現象が起こったら本物と思うのでしょうか。真実を声も変わるかどうかで判断するのでしょうか。どういう根拠なのでしょう。楽山の、自分でその場で決められるという、とても浅い短絡性が表れています。これで宗教を語られてはたまりません。
 
 

ちなみに、当該記事の追記にあるように映画『死霊館 エンフィールド事件』のなかでは、少女が口に水を含ませた上で、男の声で霊言し、その後、口に含んでいた水を吐き出すシーンがある。

 
ここで映画の話です。「口に水を」・・で、なるほどなんて思わないでください。楽山が、現実と映画を混同していることのほうが、はるかに病的なのです。楽山は、当為も事実も現実の理路を組み立てることが出来ないということが如実に表れています。
 
 

霊言が真実であるかどうかの見分け方として、霊媒の口に水を含ませ、しゃべれないようにした上で霊言をさせるというのは、もっとも簡単な検証方法だろうから、真実の霊言をしているという人には、ぜひともチャレンジしてみてほしいものである。

 
霊が分かるっぽい楽山は、すっかり霊能モードで見分け方まで書いています。「見分け方」「ぜひともチャレンジしてみてほしい」・・どうして、こういうことが分かるのでしょう。どういう能力と資格があって、超常の霊現象の条件を語るのでしょう。
 
根拠がありません。口で言えなければ、霊が語る証拠という短絡のようです。ペテンの細工~トリックの可能性は考えないのでしょうか。口で言ったら霊言ではないという根拠は何でしょう。そんな条件、分かるわけもありません。楽山は、霊言を先入観で決めて、思い込んでいるだけです。
 
現実と空想の区別がつかなくなったのでしょうか。思いつきで超常に自分の浅知恵を当てはめています。楽山は超常の条件まで語り出しました。楽山の自己愛性パーソナリティ障害の空想が、進行して妄想になってゆく精神病理のプロセスでしょうか。
 
手塚治虫は、SFを中心に、たくさんの楽しいマンガを書いてくれた有名人です。それを、楽山の霊能気取りで扱われては、ファンがたまりません。訴訟になりそうなのは、楽山のほうでしょう。どうか楽山に関わらないでください。近づかないでください。
 
 

       

               現実から妄想へ
 
 
(2022年12月05日)
 
 
 
  亡霊妄想
 
働きのない熱は
真冬の硬質な大気に
曝(さら)され刺されながら
凍てつく駐車場へ向かう
 
やがて外の風を通さない
走る車の温められた鍋の中で
シートにべったり沈み込んで
フロントガラス越しに
冷たい光へ首だけを晒(さら)して
首から下は煮汁になってゆく
 
とにかく仕事もせずに
給料だけ盗んでいるという
とんでもない人ですから
と思う人がいて言う人がいて
人を貶(おとし)めるために
人の名を騙(かた)る人がいる限り
社会の片隅で益々(ますます)動けず
 
動かないまま流れてゆくだけの
働きのない熱は
帰ってきて車を降りてから
再び大気に曝され
凍り付いた灰汁(あく)から澱(おり)までを
今度は部屋の暖房で
再び融(と)かそうとしている
 
これほど浮かばれぬ
亡霊になろうとは
生きながら鬼哭啾々(きこくしゅうしゅう)
いつまでも不十分な
凍結と融解のまま
 
 
  (抜粋)
 
危ない情動を青白い顔の端末に隠して
先祖のぶら下がりの血の重み
妄想の救い難い正直さ
あらゆる血の徘徊を
飲み込もうとして咽頭が裂ける
薬で癒されぬ重い風の迷いの中
 
無理な睡眠に逃げていこうとする
無理な答えに問いに
また悪夢から悪夢へ
のめり込む遊びの前に
明日はすでに数え始めている
眠れなかったとは言えない速さで
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
 

2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。

 
嘘吐きでは済まなくなりそうです。楽山が書けば書くほど異常性が表れてきます。自己愛性パーソナリティ障害NPD(自己愛性人格障害)は進行性なのでしょうか。学習と反省をしないと、病質人格が、どういう方向に進行してゆくのか、・・恐ろしい気がします。統合失調的な妄想に向かうのでしょうか。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター
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(ブログ記事をコピペすることあり)
 
 
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