ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の指導者気取り

 
  楽山の指導者気取り
 
 「鬼滅の刃」と「幸福の科学」(4)信者の反応 2
 2020年10月28日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/26779753.html
 
 
楽山は、驚いたことに、また、アニメ「鬼滅の刃」を「幸福の科学」に事寄せて記事を書き、結局、自分を、学者レベルに見せかけ、指導者か助言者であるかのように物を言っています。
 
楽山は、責任ある意見も、持たず、言えず、また、責任を取らず、それでも、訂正不能に書いてくる、という、自己顕示欲だけの猛者か亡者に過ぎません。
 
楽山は、やはり、カルトの指導者になりたいのでしょう。そういう、導き、教えようとする発言が目立っています。やはり、恐ろしい我執と欲望と野望が根底にあるのだろうと推察します。
 
楽山は、自己愛性パーソナリティ障害の病質者であり、無反省で無責任な、一方的な発言だけをする人ですから、誰かを導く資格も、誰かに教える資格も、全くないと思います。
 
楽山に対しては、関わらないことだけを心掛けるべきだと思います。
 
楽山は、ひょっとしたら、仲間もいなくて、成りすましのキャラだけで、インテリ芝居をしているだけの孤独な人で、その孤独を、分かち合う共感性がないために、言い張りを続けて、自分を高く見せかけようとしているだけなのかもしれません。
 

*いつものパターン
ところで、HSは今回も、いつものパターンで動いているようだ。大川隆法が霊言をし、それによって教団も、信者もいっせいに右向け右をするという流れ。

 
楽山が、楽山のパターンで、信者を動かすようになったら、人格破壊から反社会の災いに至るでしょう。それでも、楽山は、責任を取らないでしょう。つまり、そうなったら、おしまいということです。
 

HSでは、アニメに限らず、宗教、政治、経済、思想、歴史、文学、芸能、人物評価など…なにごとに関しても、それ自体ではなく、その霊的真相によって判断することが大切であり、

 
楽山は「霊的真相によって判断」することが出来るような能力は一切ないと思います。霊が分かるっぽい?という妄想的自覚で、言い放って逃げるだけの、ネズミのような貧相な習性の持ち主です。
 
だいたい「霊的真相」などという言葉は、中身が超常ですから、楽山のような超常や心霊好きのオタク的な人たちの用語に過ぎないと思います。そこに、根拠のある理路がないからです。それを、人間の生き方に関わる宗教に持ってくる楽山は異常で、人間の心の深みが分からないだけだと思います。
 

その霊的真相は大川隆法(霊言を含む)でなければ分からないことになっているから、どうしたってそのような流れになってしまうのだろう。信者は、信仰熱心であればあるほど、大川隆法(霊言を含む)の語る霊的真相に従う以外の選択肢はなくなるのだ。

 
楽山は、HSの霊言を否定しても、自らの霊が分かるっぽいことを否定できないために、能力をはるかに超えた欲望によって慢心して、身の程知らずの忠告や批判などをしてしまうのですが、その責任を一度も負うたことのない人です。評論家気取りの詐欺的ナルシストだと判断しています。
 

こういうことは、傍から見たら実にばかばかしいことではあるけれども、信者にとっては大川隆法(霊言を含む)の語る霊的真相こそが真実であり、もっとも重要であるのだから仕方がない。

 
批判しておきながら「仕方がない」 で済ませる、という、主張の理路の表現が、一貫性を欠いて、散乱を見せている楽山です。このように、楽山は、心からの主張など持っておらず、遊び半分であり、いい加減であり、無責任なのです。
 

ドーキンスの話では、信仰上の理由から創造論に疑問を抱くことに耐えられず生物学者への道を断念した人物もいたそうだけども、HS信者のなかにも、大川隆法(霊言を含む)の語る霊的真相のために、好きなことを好きと言えなくなったり、自分の夢を断念したり、才能を自ら捨てざるを得ない状況に追い込まれている人がいたとしたら、本当に残念なことである。

 
(ネットより)
クリントンリチャード・ドーキンス(Clinton Richard Dawkins, 1941年3月26日 - )は、イギリスの進化生物学者・動物行動学者である[1]。The Selfish Gene(『利己的な遺伝子』)をはじめとする一般向けの著作を多く発表している。存命の一般向け科学書の著者としてはかなり知名度の高い一人である。
熱烈な無神論者、反宗教主義者、懐疑主義者、ダーウィニストとして知られ、世俗的ヒューマニズムブライト運動、科学的合理主義の推進者でもある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B9
 
楽山は、前に無神論者のドーキンスを利用した記事を書いており、私は、批判しています。
「執拗な引用とペテン」などです。
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12574030430.html
その批判に、何も答えず、反論できず、弁明できないのに、また、学者の名をあげて、自分を評論家レベルに見せかけようとしています。これが、学者や有名人をあげて利用しまくる楽山、という、軽率な卑怯者の所業なのです。
 
霊が分かるっぽい?楽山を信用して、知性と感性の鈍化を来たし、夢も現実も損なって、「才能を自ら捨てざるを得ない状況に追い込まれ」ることのないようにしてください。楽山こそが、総ての言論において、害毒なのです。
 

お節介かもしれないが、もし、このようなHSのパターンにハマってしまい、葛藤を抱えている信者氏がいるとしたら、「大川隆法(霊言を含む)の語る霊的真相なるものは、確定的なものではなく、変更される可能性があるのは周知の事実であるし、それに比べて自己の内なる声は決して変わることはないと確信できるのなら、後者を優先するのが当然だ」ということは言ってあげたいと思う。

 
いかなる真相や真実についても、楽山は、ボンヤリ言語という曖昧な言い方で思想家に見せかけ、時に、さらに、トホホ言語という謙譲芝居で同情をひこうとしてくる精神の詐欺師です。
 
楽山は、キリスト教を、そして、信仰を、曖昧に否定して、別のときには、曖昧に肯定して、その責任を負わず、かつ、反省しないために改めることもない、という、ただならぬ病質の卑怯者です。
 
楽山の内なる声は、オモチャのような使命感を持たせるので、いつのまにか、指導者のように語るようになったのでしょうが、これで訂正不能で不変ですから、迷惑以外の何ものでもありません。
 
楽山のように、大人としての、理路も共感も分別も持てず、反省せず、責任を負わず、人を無視して、平気で、言い張ってくるような、しかも、それで、自己満悦するような、誰からも求められていないのに「言ってあげたい」などと言うような、みじめな人間にだけはならないでください。
 
 
  楽山の"零"的直観
 
 幸福の科学(HS)で、よくあるパターン(ケチのつけ方、持ち上げ方)
 2020年10月31日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/26812951.html
 (一部省略)
 
楽山は、自らを売り込みたいらしく、説教をしています。10月31日、楽山は3つも記事を書いています。下等な理屈で、かっこつけても、程度の低さが表れてしまうというのに。
 

*ひさしぶりのリバティ
今回、ひさしぶりに、リバティの記事を見たのだが、いかにもHS的なやり方で、「鬼滅の刃」を批判していたので、それについて書いてみたい。
*よくあるパターン
まず、幸福の科学(HS)では、誰かを批判しようとするときは、次の三つを論点にすることが多い。
本心…その人は、本心では邪悪なことを考えているとする。
憑依…その人の背後には、悪魔、悪霊など邪悪な存在がいるとする。
過去世…その人は、過去世でも邪悪だったとする。
このことを念頭において、リバティの記事を読めば、「鬼滅の刃」には邪悪な意図がある、その背後には鬼がいる、その過去はこういうものだというように、上のパターンをそのまま活用していることが分かると思う。

・「鬼滅の刃」関連の鬼が出現 日本社会の底流に流れる価値観とは? | ザ・リバティWeb
 」
この三点については現実的な証拠はなく、信じるか、信じないかでしかないのではあるが、それでも信者には十分に影響力を行使できるので、HSではこのやり方を続けているのだろう。

 
楽山に、他人を批判する資格はありません。楽山は、批判され、断罪され、言論の世界から追放されるべき存在です。楽山の存在意義は、悪と偽善の見本でしかありません。
 

*ヨイショの場合
ついでに書くと、HSで、誰かをヨイショする場合は、上とは反対のことをする。
本心…その人の心は、善意で満たされているとする。
憑依…その人は、悪魔悪霊には憑依されておらず、天使に見守られ、指導を受けているとする。
過去世…その人は、過去世でも善良で、立派な人物だったとする。
これも上と同様に、確たる証拠は何もなく、信じるか、信じないかという話でしかないのだが、信者は確たる証拠がなくても、大川隆法の言葉(霊言を含む)は何でも信じるからそれでいいのだ。
*霊的な直観を磨く方法
こういう指摘は、熱心な信者にとっては、バカバカしいことであり、不快な話でもあるかもしれないが、ある程度、ものごとを冷静に観察することができる信者の場合は、HSに対しても、その他のことに対しても、こういう風によくあるパターンを探してみてはいかがだろう。これは物事の本質を見抜く霊的な直観を養い、鍛えることに通ずるし、試してみて損はないと思う。

 
教えたがり屋の楽山が、霊的な直観と言っています。自分にはあるという前提でしょうが、まずもって、楽山にはいちばん大事な良心がありません。楽山は、不都合を総て無視するので、経験や刺激に反応して、自らの問題を考え、解決する方向に考えてゆくことが出来ません。そのせいで、全く反省と学習による成長が見られません。
 
この記事も、超常カルト楽山の勝手な用語として使うらしい、本心、憑依、過去世、などと分類している体を装っていますが、中身は、悪意と善意以外、霊も過去世も想像に過ぎません。よくあるパターンとは、楽山の鈍く空想した内界でのパターンに過ぎません。
 
それ以外は、今までも、小学校レベルの当たり前の道徳みたいなことを仰々しく言ってきたのです。そして、それを、少しも守っていないのが、楽山その人です。しかも、その内実としているのが、「霊的な直観」 です。
 
「霊的」という言葉を付けるのは、楽山やカルトなど、知ってるんだ・・と自己満悦したい者の特徴です。いかに胡散臭いか分かると思います。
 
今までのことから、楽山が自己顕示したいのは、感性的直観ではなく、心霊的な超常の超能力のことなのです。そして、楽山には、必要なことを何も感じない鈍麻と無視の性質はありますが、何かを感じ取る性質は、皆無であります。詐欺的カルトの言説であり、信ずるに値しません。
 
楽山の言うとおりにして、磨かれるというより刷り込まれるのは、嘘と詭弁と三文芝居の、だましの技術だけです。その時には、人間の大事な良心は崩壊している段階になっています。
 
 

     f:id:stdsts:20201101235821p:plain

        闇を病む者
 
 
(2020年11月02日、同日一部修正)
 
 
※ 近況:
ダイヤル番号を忘れてしまって郵便受けが開かない。私も認知症へ進行中か。母の老健施設の入所費の請求書が来ているので、明日、管理人か管理会社に聞いてみるつもりです。
私の母は、2012年、腰を痛めて入院したのがきっかけで、認知症が明らかになり、介護施設、肺炎と尿路感染で、また入院を繰り返し、今は、一時的に、老健施設に入っています。
10月に面会に行きました。一階ホールの一画を衝立と壁で囲まれ、母と私の間も透明な樹脂の衝立で仕切られたテーブルに向かい合って、しばらく話をしました。
母は、記憶がかなり欠損していて、それを補う無意識の作り話のような妄想を交えて語ります。だから、話の中の時間とか人物の様子などが不正確になります。
面会の終わりの方で、母が、面と向かっている私を、上の息子つまり兄と思っていたと言ったのが哀しいことでしたが、五感の衰えと、認知症からなので、そういうもんだと思うことにしています。
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
https://twitter.com/st5402jp
(ここは、たまにブログ記事をリンク)
 
 
https://poem.blogmura.com/darkpoem/ranking.html
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
https://philosophy.blogmura.com/christian/ranking.html
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング
https://blog.with2.net/rank4482-0.html