ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

人間関係(修正)

 
  人間関係
 
 
神を信じるとは
すべての人間関係を相対化することだが
人は人間関係の中で生きている
 
縦と横の関係
親族や友人や仕事や
宗教や思想を含めたあらゆる組織と社会
 
世話になり助けてもらい
世話をして尊敬を得る
 
小さな縦の頂点に立つと
小さな国の王様に近くなる
 
人間関係は
しばしば個人にとって
その関係を断つと
社会で生きられなくなるほどの
死活問題となる
 
それぞれのポジションにおいて
人は築いてきた関係を
壊してはならないものとして
守ろうとする習性を身につける
 
違うと思っても
関係を裏切ることは
築いてきた自分を裏切ることになるから
恐怖の中から
従順な「好い子」が生まれ育つ
 
「悪い子」は近づけば拒否され
「悪い子」から人は遠ざかる
 
かくして
信仰者も非信仰者も
信仰以上の
何ものかへの「信仰」を持つことになる
 
 
神を信じるとは
すべての人間関係を相対化することだが
 
関係を相対化して隷属を拒否することは
関係を築いてきた自分を否定することになり
変化が目に見えることが多いだけに
実に
神に背くよりも
神に従うよりも
神を信じるよりも困難となる
 
困難だからと諦めるのではなく
全知全能の神は
人間のそのような罪の性質もご存知なのだろう
ということを思うならば
 
私たち信仰者が
いかに気安く神に背いているか
ということを知るだろう
 
赦しの祈りは
赦しが必要だと分かったときに祈るけれど
これからの罪を
前もって全部ゆるしてください
というような祈りの前払いはないのだから
 
覚えざる罪の存在を知る手がかりが多い人間関係は
その逆である正しさの自覚に思い上がることを避けるうえで
とても大切になるだろう
 
そのことは
神聖を信じる信仰が、そして神の救いが、
神聖ではない人間の関係にあることを教えている
 
 (ルカによる福音書、口語訳)
17:20
神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。
17:21
また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。
 (ルカ17:20-21、新約聖書
 
他者同士の関係の良し悪しを語るよりも先に
自らについて考えるべきことがある 
 
 
(2011年10月18日)
(2019年05月01日、加筆修正)
 
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手動引っ越しを兼ねて、過去記事の修正再録をしています。