ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

乱れる嘘

 
  乱れる嘘
 
   私の「無力を憐れむ?」のコメント欄
   http://st5402jp.livedoor.blog/archives/4194103.html?1573959604#comment-3
   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)のコメント
   記事は、コメントを一部編集して書いてあります。
 
 
シャロームは、こちらの批判に全く答えられないので、嘘と嫌がらせだけをしてきます。嘘とその根底にある妄想も、整理できなくなって、乱れてきます。混乱状態に近い。
 

1. st5402さん おはようございます
 2019年11月17日 11:02
(あなたにかかわると碌なことはないのですが・・・。)
shalom
楽山さんにそのことを私が気にしていると伝えると、楽山さんは私に、これは自分のせいで始まったことですから、気にしないでくださいといってくださいました。
 <
st5402
嘘だと思います。楽山は、そういう人ではありません。」


st5402さん
楽山さんに対する根も葉もない無益な妄想批判ではなく、
前記事で、私のコメントに対してあなたが嘘だと言ったことが本当か嘘かどうか楽山さんに聞いてみなさい。

 
シャロームは、また、被害者面して書いていますが、今までのことがあるから、無駄です。
 
分からないようですね。嘘吐きに、真偽を聞くことなど、しないのです。
 
信頼を失うとは、そういうことです。あなたも楽山も、そうです。
 

shalom
(あなたにかかわると碌なことはないのですが・・・。)
 「楽山さんにそのことを私が気にしていると伝えると、楽山さんは私に、これは自分のせいで始まったことですから、気にしないでくださいといってくださいました。」
 <
st5402 
 「嘘だと思います。楽山は、そういう人ではありません。」
shalom!

 
同じことを二度書いています。中身のあることを、シャロームは、言えなくなった、ではなく、ずっと前から、言えない人なのです。嘘しか持ち合わせがないからでしょう。
 
それにしても、ずっと前から、私の批判に、まともに答えられないことで、あなたの、自己中心と、嘘と、節操のない出まかせと、妄想信条が、実証されてきているわけです。
 
さらに、あなたシャロームが、答えられないときに、興奮して、さらに、出まかせの酷い嘘を吐くことで、本性も明らかになってきているわけです。
 
シャロームの嘘については、その聖書解釈と信条において、決して人間の世界で受け容れてはいけないものとして否定されるべきものです。従えば、シャロームを神として無謬であることを認めるかのような恐ろしい妄想です。そういうことで、批判を続けてきましたが、
 
シャロームは、私が、Vという哲学者・神学者に電話して、おとしめたと言うのですが、私は、Vさんの住所も電話番号も知りません。ネットだけの遣り取りでした。Vさんは、シャロームに、よほどの負い目でもあるのだろうかと思いました。
 
ここまで、実在の人物について具体的な内容の、白々しい嘘を吐けるものなのか、と驚いたことです。シャロームとVさんとの関係が、心配になってきます。うまくいくかどうかではなく、二人の関係に、恐ろしい欺瞞と嘘があったのではないかという危惧であります。
 
もはや、ネット上でも、それを聞きただすことは出来ません。シャロームという嘘の自尊の中に、Vさんは取り込まれてきたのではないかとも思います。もしそうなら、シャロームは、人を食い物にする極悪人ということになります。
 
 
  「悪意という病」コメント欄
   http://st5402jp.livedoor.blog/archives/4202269.html#comments
 

1. st5402さん おはようございます
 2019年11月18日 08:11
「ふたりは神に比べて、知性も感性も劣っており、完全ではないことを恥ずかしいとは思わず、互いにありのままを受け容れあい、愛し合い、神と共に歩んでいたのです。
これが神と人との最初のうるわしい姿、関係です。」


神と人との関係の初めの姿が、人が罪を犯す前の神と人とのあるべき関係の姿なのです。
人間本来の親子の関係のひな型でもあるのです。

 
神は神、人は人、神は創造主、人は被造物です。いくらゴタク並べても無駄ですから。
 
神と人が、親子のひな型でも、親と子は同格ではないのです。実に退屈な妄想です。
 

子供は大人である親と比べて感性が劣っているとは思えません。

 
感性は育てるものです。最初から完全ということはないです。育て損なうと、あなたシャロームのような常同情動となり、同じことを繰り返すようになるでしょう。生き生きした刺激を受け取る学習を怠ると、感性は単細胞になりうるということです。
 
あなたは、あなたの考え方と生き方によって、著しく劣ったものになっています。だから、あなたは、人が、つまり、あなたの言う、神の子?だから、と言って、今度は、自ら神格化して、血迷っているのです。
 

しかし、知識も経験もありませんし、自分で生活できるわけでもなく、親なしに生きることすらできません。が、人の人格としてなんの不足もなく、不完全でもありません。たとえ生まれながら障害を持っていてもです。

 
悪逆、悪徳、ここに極まれりですね。人が完全なことを、障害者に事寄せて語るのか。いかなる障害者が祝福されても、あなたシャロームは、祝福されない。詭弁腐れ。
 
障害児が、非障害児と比べて感性が劣ることはない、と言って、シャロームが語ろうとしているのは、自分は完全な感性を持っているということです。障害児・障害者をネタにした自己正当化の詭弁です。
 
障害があろうとなかろうと、何もしなければ、何もない人になる、ということを実証しているのが、まさに、あなたシャローム自身なのです。
 
「人の人格として」と言っているではないか。神ではない。嫌がらせとしか思えない。遠くへ行きなさい、どこか遠くへ。あなたシャロームが哀れでも、付き合うのさえ御免だ。
 

その姿を星野富弘さんや、水野源蔵さん、またれいわ新選組から参議院議員となられた船後さんや木村さんに見ることができます。

 
人間は誰も、神格ではありません。障害を持つ他者を利用する劣悪さ、吐き気がする。
 

2. st5402さん おはようございます
 2019年11月18日 08:16
しかし、そのような神とアダムとエバとの本来のあるべき関係が罪によって侵されることによって、神とアダムとエバの関係が破壊され、また人と自然の関係も破壊されたのです。
その結果が私たちの心、社会、世界を支配して、破滅寸前のところまで来ているのです。

 
あなたシャロームの言論は、既に破滅しています。いちゃもんゴタクの誇大妄想などやめなさい。あなたシャロームに、人間も、世界も、語る資格はありません。醜いだけ。
 

山本太郎は自分は落選しながら、船後さんと木村さんを国会に送り込んだのです。山本太郎カトリックですが、イエス・キリストを信じるクリスチャンのようです。まるで末期症状を呈している日本にイエス・キリストによって遣わされた人の姿を見るようです。
今日も彼は泣きます。叫びます。生きようと。

 
末期症状は、いつまでも、求められてもいないゴタクを並べるあなたシャロームです。直ちに退散して、二度と出てこないように。
 
山本太郎は、イエス・キリストではありません。いつまで妄想白昼夢を見ているのか。あなたにとって、イエス・キリストが、いかに軽い存在であるかを、自ら表してしまいました。そうでなければ、人を、救い主に喩えたりはしません。あなたの底の浅い妄想信仰が、また、明らかになりました。
 

3. st5402さん おはようございます
 2019年11月18日 08:17
神との関係が本来の姿であれば、エデン園での神と人とのうるわしい交わりが、この世界の本来の姿だったのです。

 
罪の性質によって、誘惑に乗り、本来の姿ではなくなりました。
その、罪の性質と罪への堕落が、あなたにおいて破滅的に著しいのを私は見ています。
 
挫けることなく執拗に妄想を語るあなたシャロームは、もはや、人間の意志ではなく、悪しき自尊の欲望だけによって、口を開閉して流涎しているイメージです。発作か。
 

聖書は神は神の民イスラエルの歴史によって、神と人との関係のあるべき姿と失われた姿をありのままに証言しているのです。
神はイエス・キリストを私たちとこの世界の救い主とお遣わしになる約束、契約をされたのが旧約聖書の記されていることであり、
神はその約束を成就するために、救い主としてイエス・キリストをお遣わしになられ、私たちが罪の代価として背負っている裁きを、罪なき神の御子イエス・キリストに負わせ十字架につけ罪の代価を支払い、すべての人が信仰によって罪の赦しを神の恵み、賜物として受け取ることができるように、与えて、神は神と人、人と人、人と自然の失われた関係を癒し、回復してくださっているのです。

 
このような救いの教理をを暗記するだけで信仰だと思っているのは、大間違いです。あなたシャロームの言には、救いの筋書きの言葉が並んでいるが、救いの実感のある心がどこにもない。
 
表れているのは、回復してくださった、ということに舞い上がって自己を無謬性にすることの、悍ましい惨劇だけです。
 
ゆえに、救いの筋書きだけで救われたと思い上がる心の堕落によって、神に真っ向から背いてきたのが、あなたシャロームです。ずっと前から私は言っています。
 

人がたとえ神の前に不完全で弱い存在としても、失われた関係と交わりが回復されることによって、本来のうるわしい姿とかえてるために、助けてくださっているのです。

 
その助けを、誰よりも無にしているのが、あなたシャロームです。今までの経過が、総てを示して余りあります。どこに、うるわしい姿の片鱗またh可能性があるでしょう。カルトの醜い訂正不能だけなのです。
 

一旦罪の奴隷となった私たちは、神との関係が信仰によって回復されても、なお、罪の力の攻撃にさらされ、罪の虜としてのみじめな弱さがあります。

 
今度は、罪が悪いと、罪のせいにしてきた。この経過において、誰の罪か、あなたシャロームの罪です。これは、この経過において、悔い改めない限り、変わりませんから。
 
今さら、いくら救いの教理を述べても、あなたシャロームの口からでは、糞尿にも値しないという経過と結果なのです。
 

かつてはその弱さにつけ込まれ誘惑されて罪を犯していたのですが、しかし、信仰によってその弱さが神の愛と力があらわされる恵みの水路となるのです。神はすべてのことを相働かせて益としてくださる方であると聖書に書かれているとおりです。
shalom!

 
さて、あなたシャロームは、いつ、「弱さにつけ込まれ誘惑されて罪を犯していた」のでしょう。
今、まさに、今そうなのです。お構いなしに嘘と妄想を並べています。
 
妄想が信仰?になっているあなたシャロームが、まともに見せかけるために語れば語るほど、神の裁きが、近づいてくるのですが、長びく背教によって誇大化した妄想の訂正不能によって人間離れしてしまったあなたシャロームにだけは、分からないのです。そして、人を食ったように、ほぅほぅと笑ってしまうでしょう。
 
どんなもんだい、これだけ、言えるんだ、とでも言いたいのでしょうか。救いの筋書きの正誤など関係なく、あなたシャロームに、教理を語る資格はありません。既に、かなり前に、あなたシャロームが、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、と言って訂正しなかったことは、それだけで、キリスト者ではないことをダイレクトに表しているからです。どうにもなりませんね。
 
シャロームは、罪を認める気もなく、悔い改めをする気もないないようです。
 
悔い改めとは、罪の償いをすることではありません。罪は、既に犯したのであり、償うことは、大方、不可能です。何らかの賠償をしたからと言って、罪は無かったことにはなりません。
 
悔い改めとは、正直に罪を認めて、赦しを神に祈り願うことであって、罪を犯す前に戻ることではありません。神に対して、人間は赦されることを祈り願うしかない立場です。
 
悔い改めというのは、悪や欲望のほうから、神のほうに方向転換することです。神のほうを向くとは、即ち、主イエス・キリストの御名によって、神の前に、飾らず、精いっぱい正直に、祈ることです。
 
それだけが、神の民として、人を、罪多き暮らしから、他者から、解放すると思います。いかなるときも、向かい合っても飾らなくていい御方に、正直に祈ってください。
 
そこまで、神とキリストに対して、真剣に正直に祈ろうと努める人は、人の前では、少なくとも、あからさまに騙すための嘘は吐けなくなるでしょう。簡潔に言えば、それだけが、救われる必要十分条件である、ということは前にも述べたと思います。つまり、それが悔い改めです。
 
 
(2019年11月20日)
 
 
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