ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

詭弁について

 
  詭弁について
 
 st、楽山 問題を振り返る 2019年12月22日
 http://mn266z.blog.jp/archives/22718002.html
 楽山日記(LD)
 シャローム( shalom、シャロム、あなた、彼)
 
 
楽山ブログは、ほぼ、カルトと詭弁の資料となっています。去年の楽山の記事にシャロームの言をみつけたので、カルトの詭弁について考えてみます。楽山は、シャロームが正当だと主張するために引用しているわけですが、結局、シャロームの詭弁がまとめられているのです。
 
 (ローマ人への手紙、口語訳)
2:3
ああ、このような事を行う者どもをさばきながら、しかも自ら同じことを行う人よ。あなたは、神のさばきをのがれうると思うのか。
2:4
それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。
 (ローマ2:3-4、新約聖書
 
神が導く、ゆえに、悔い改めは神によって与えられる。これを、シャロームは、自分で悔い改めることをしないことの言い訳にしています。悔い改めるのは人であること、そして、シャロームが悔い改めないのは、神の導きがない、または、シャロームが導きを無視している証拠、それは、そのまま、シャロームキリスト者ではないことの証拠です。
 
>「イエスの十字架によるあがないを信じていれば、悔い改めは必要ない?」

悔い改めなしにイエスの十字架の死による罪のあがないを信じることはあり得ません。しかし、重要なことはイエスの十字架による罪のあがないによってのみ、人はまことの悔い改めに導かれるということです。ですから、悔い改めは人のわざではなく、神によって与えられる恵みの賜物なのです。

 
キリストだけに罪の贖いをさせて、自分は、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、といって訂正する気のないシャロームの言い訳の詭弁です。
 
シャロームは、神が悔い改めに導くと、人は操り人形のように悔い改めをするとでも思っているのでしょうか。祭りの見世物のように、極めて幼稚な解釈です。
 
このように、シャロームは、心で悔いることがないために、聖書を、超常の奇跡~魔法のようなこととして受け取っていることが分かります。ゆえに、カルトでしかありえないのです。あるいは、キリスト教遊び~ごっこをしているだけです。言うまでもなく神への冒涜です。
 
悔い改めることの主語は人です。人の悔い改めに答えて人をゆるす主語は神です。人が悔い改めるのです。与えたり人がもらったりするものではありません。シャロームは、言葉も理路も、主客の区別も、分からないので、メチャクチャなことを言っています。
 
神は、悔い改めの道を用意して導き、人が悔い改めるのを、即ち、正直に祈ることを、愛の寛容をもって、待っておられます。神のほうから救いの約束を反故にすることはありません。したがって、悔い改めない者が赦されることも、決して、ないのです。
 

肉の働きから悔い改めは決して生じないのです。

 
恐ろしいことに、シャロームは、人が、自分の意志で悔い改めることを、肉の働き、つまり、欲望のなせる悪しきわざと見なしています。まさに、シャロームは、自分に悔い改める意志のないことを、自分で証ししているのです。
 
人が自分の意志で悔い改めなくては、人が、神のもとで、人自身の意志で生き続けることは出来ないということです。つまり、シャロームは、自分が生きているのではない、という、超常魔術妄想を語っています。
 

悔い改めをもって自分を義としたり、誇ったり、人を裁くこと、だれも他の人に悔い改めを要求することは出来ないのです。そのような悔い改めは神から与えられた悔い改めではなく、人の自我から生じた肉のわざなのです。

 
キリスト信仰に、悔い改めは必須です。それをしない偽者を、偽者だと言わなければ、この世は、カルトの天国あるいは地獄となって混乱するでしょう。
 
私は、できることをしているだけです。私は自分を義としてはいません。私は折に触れて精いっぱい正直に祈っています。キリストの荷は軽いから、出来ることです。
 
シャロームが、真逆を言っていることが分かります。このように、自分が言われそうなことを、言葉だけいじくって、詭弁をしつらえて、あたかも主張であるかのように言ってくるのは、今に始まったことではありません。それも、詭弁を生業とする者の手段なのです。
 
自我の欲望のほうを向くのをやめて、神のほうを向くことが、祈りであり、悔い改めなのです。
 
悔い改めて、行いが神に相応しくなることは、比較的にはあるでしょうが、完全には、ありません。すなわち、神のほうを向くとは、行いを正すことを必須としてはいません。精いっぱい正直に・・と前に書いたのは、そのためであります。
 
シャロームは、神のほうを向くことのない、信仰の欠片もない、職業的宗教詐欺師です。これまでのことから、良心の欠片もありません。良心の欠片でも、見せたことがないからです。
 
自分を義としたり、誇ったり、人を詭弁で騙したり、裁いたりしているのはシャロームに他なりません。そして、これは、シャロームの欲望が為せるわざに他なりません。
 
>「イエスの十字架によるあがないを信じていても、悔い改めは必要?」

必要ですね。イエスの十字架による罪のあがないを信じることによって、罪の赦しを与えられますが、私たちは人としての弱さをもった存在には変わりませんから、罪を犯し、過ちを犯さないでで生きていくことは出来ません。
2018/12/12(水) 午後 6:29[ shalom ]返信する

 
シャロームは、今までの、おびただしい偽善と背教を隠していますが、どういう顔をして、神の前に立つつもりなのでしょう。また、今までも悔い改めの祈りなど捧げたことはなく、自動的?に赦されたかのような妄想的な思い込みに過ぎないのに、罪を犯し、偽善を働くたびに、また、嘘を積み重ねるつもりでしょうか。シャロームは、今、所在不明です。気をつけてください。
 

しかし、それも神の恵みによって、私たちを罪の性質から清め導く神の恵みの御業のなかにあるのです。罪を犯し過ちを犯すたびに聖霊様がわたしたちをイエスの十字架のもとに導き、悔い改めに導いてくださるのです。

 
神の恵みの御業の中にあって、平気で、嘘を吐き、偽善を働き、詭弁を弄してきたシャロームです。どうやって清められるつもりなのでしょう。導きに気づかず、悔い改めず、どうやって、キリストの十字架のもとにゆくのでしょう。キリストを騙すつもりでしょうか。神は、総てを既に見抜いておられます。そして、いつまでも黙って見ておられる御方ではありません。
 

そのように御言葉と聖霊の助けによって私たちの心の闇が明るみに出されることによって、はじめて、私たちの心の闇が御言葉の光にさらされ、悔い改めに導かれ、その光にさらされることによって闇の力は砕かれ、清められるのです。この点においても悔い改めは神の恵みによって与えられるのです。
罪の増すところ恵みもいや増せり(ロマ5:20)

 
詭弁を弄するとは、このことです。御言葉、聖霊、助け、闇が明るみに、光、悔い改め、闇の力は砕かれ、清められ、・・美辞麗句の聖書語を、こんなに安っぽく並べて、何より"悔い改めない"シャロームは、どうやって、救われるつもりなのでしょう。
 
罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。(ローマ5:20)
 
 (ローマ人への手紙、口語訳)5:20
律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。
 (ローマ5:20、新約聖書
 
律法を曲解して信仰を堕落させる者たちのために、むしろ、罪が増し加わったが、そのために悔い改めによる恵みもますます満ち溢れた、という意味でしょう。人自身が悔い改めないところに信仰は生まれず、恵みが増し加わることはないのです。
 
そういう深く悔いる罪人は深く悔い改めるから恵みが満ち溢れる、という意味の聖句を、悔い改めなくても恵まれるからと、罪を増し加えているシャロームは、自分に都合よく解釈をして、自分の意志で悔い改めないでいられるわけです。それで救われるつもりでいるのは、シャロームだけです。シャロームも楽山も、日本語訳の通常の理路さえも、理解しているとは思えません。
 

口語訳エペソ
5:12 彼らが隠れて行っていることは、口にするだけでも恥ずかしい事である。
5:13 しかし、光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。
5:14 明らかにされたものは皆、光となるのである。だから、こう書いてある、/「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。そうすれば、キリストがあなたを照すであろう」。
2018/12/12(水) 午後 6:30[ shalom ]返信する

 
シャロームが隠れて行なっていることは、口にするだけでも恥ずかしいことである。光にさらされるとき、総てのものは、明らかになる。シャロームよ、まだ嘘を吐き続けているのか、キリストがあなたを照らし、総てのものが、あなたが大嘘吐きであることを明らかにするだろう。
 
シャロームは、これだけ、聖句が自分を斬っていても、笑っていられる男です。なぜかと言えば、シャロームは、神を、全く信じていないからです。だからこそ、シャロームは、今までのような悪意と嘲笑いの嘘から出てくる詭弁を平気で言ってくるのです。
 
カルト、偽善者、詐欺師、など、嘘吐きは、批判されると、嘘を守るために、また嘘を吐くしかありません。それが、嘘吐きの宿命であり、現象として起こってくる必然の報いなのです。嘘を吐いていると、その嘘によって個人が、他覚的にも自覚的にも、規定されてゆき、嘘が癖となり、普通となります。つまり、嘘が常態化すると、本当の自分が、嘘を吐かない自分が、いなくなるのです。
 
シャロームは、現在、所在不明です。ひょいと、丁寧語の世辞で挨拶をして、コメントを書いてくることがありますから、くれぐれも、丁寧語や世辞に騙されないように、注意してください。
 
 
(2020年03月15日、同日一部修正)
 
 
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