信仰の心2
信仰の心2
殺伐とした批判が続いているので、次の4つの批判記事に移る前に、ここで、一息つきます。
キリストの奇跡の話を2つ上げておきます。物や肉体の奇跡が実際にあったかどうかは知りません。しかし、それよりも、ここで重要なことが、救われた人々の、それぞれの心にあります。
信仰において大事なことは、神そして救い主イエス・キリストに対する、救われた人々の心にあります。
信仰を学ぶということは、つきつめると、この心、そして、そこからの、神への姿勢を学ぶことに他ならないと思います。
反キリストの楽山のように、神の辻褄が合ったら信じてやる・・みたいな態度と姿勢では、信仰は、永遠に、理解されることはないのです。
(マタイによる福音書、口語訳)
9:19
そこで、イエスが立って彼について行かれると、弟子たちも一緒に行った。
9:20
するとそのとき、十二年間も長血をわずらっている女が近寄ってきて、イエスのうしろからみ衣のふさにさわった。
9:21
み衣にさわりさえすれば、なおしていただけるだろう、と心の中で思っていたからである。
9:22
イエスは振り向いて、この女を見て言われた、「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」。するとこの女はその時に、いやされた。
(マタイ9:19-21、新約聖書)
「み衣にさわりさえすれば、なおしていただけるだろう」という女性の言葉は、厚い信仰と受け取られることが多いと思います。しかし、実際に、女性をして言わしめたのは、
他に救いがない
ということだったろうと思います。どこへ行っても治らなかった病気があり、むしろ、信仰云々よりも、救い主と言われる御方が来たと聞いて、せめて、衣にさわるだけでも・・と思って、群衆にまぎれて、近寄り、さわったということでしょう。
ここまでに、具体的に、どういう導きがあったのか、知りませんが、キリストとの縁があり、ここに来ることになったのです。運がよかった、というだけではなく、
ここに至るまでに、女性の心が砕かれて、キリストに、頼るしかない、他にない心になっていた、ということが大事なのです。この心が信仰です。
多くのキリスト者において、信仰に至るということは、また、信仰が深まるということも、他に選択肢がない、という体験を経ているだろうと思います。
キリストは、「あなたの信仰があなたを救った」と、褒めています。言い換えれば、それこそが、信仰なのだ、ということではないでしょうか。
衣にさわるだけが目的となっていますから、女性は、あ、へへっ、治りましたよ、それでこそ、メシアですねー、と、笑って、追従を言ったり、うまくいったと踊ったり、また、治らなければ、損したと、舌打ちしながら帰るような人ではなかった、ということが分かります。
楽山のような反キリストの辻褄合わせなど、何の意味もないのです。
(マタイによる福音書、口語訳)
15:25
しかし、女は近寄りイエスを拝して言った、「主よ、わたしをお助けください」。
15:26
イエスは答えて言われた、「子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。
15:27
すると女は言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」。
15:28
そこでイエスは答えて言われた、「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりになるように」。その時に、娘はいやされた。
(マタイ15:25-28、新約聖書)
「子供たちのパン」というのは、イスラエルの救いのことでしょう。キリストは、旧約におけるメシア預言によって、イスラエルに救いをもたらすことが、元々の目的だったようです。女性は、カナン人で、異邦人と言われている人でした。実際には、もちろん、救いは、イスラエルにとどまるものではなかったのです。
ここで、女性は、キリストに、食い下がっています。その台詞が、「小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」という、自らを小犬に喩えるほど、自分を低くしているのです。
ここにも、他に頼るものがないほどに砕かれた魂が、生きている、という希望があります。人が求めるところの、好ましい善なる心は、たぶん、これに、まさるものはないと思います。
これが芝居ではないと、キリストは見抜いたゆえに、「あなたの信仰は見あげたもの」と、褒めています。この心が信仰です。
治らなかったとしても、女性は、メシアなら治して当然だろがー、などと怒る人ではなかった、ということが分かります。
教義がどうの、神がいるなら悪人がのさばるのはおかしいだのと、反キリストが言うのは、小理屈の辻褄合わせの奴隷となった者の、好ましさとも、善とも、かけ離れた理屈倒れに過ぎません。
つまり、信仰は、物や肉体の奇跡が、起こるなら信じる、起こらなかったら信じない、というような、取引ではありません。
信仰の奇跡は、物や肉体に起こるという結果よりも前に、キリストを知り、キリストに会うことで、心に起こっているのです。
こころ
(2020年10月07日)
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