ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の根腐れ

 
  楽山の根腐れ
 
 ほんと、ワガママな人だなあ。(st氏のツイッター
 2022年03月12日 幸福の科学とは何だろう?ブログ by 楽山
 http://mmknky21.blog.jp/archives/13752545.html#more
  抜粋して批判します。
 
 
「だなあ」で済むような問題ではないのです。語尾だけ、おどけています。本文は、殆ど、自己正当化と他罰精神に満ちています。表面だけ、柔らかく見せたつもりでも、楽山は、かかえた闇の最悪の単方向の自我を曝しています。既に、そういう人だと承知しています。
 
楽山は、また、ツイッターをコピペして、自分に有利な文脈を捏造しています。このような卑怯な細工が、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の楽山の生業(なりわい)であり、楽山は、そういう作為の故意の悪意に生きているということです。今日も、厚顔無恥が全開です。
 
恐らく、断片的な意見であるツイートの中から、自分に都合のよいものを載せて、刷り込んでいると思います。楽山の、底知れない悪意と、性懲りの無さと、理路も文脈も弁えないで書くことに、良心の呵責も罪悪感もないサイコパスの性根を見逃さないでほしいと思います。
 
私のツイートは、楽山が既にコピペで載せているものもあるので省略します。それに付けた楽山の記事の文章に、楽山の体質が表れています。傍若無人であり、それを、いかにも被害者であるかのように書いてくる善人芝居です。怒らせて、乱したいのです。ここまでの狡猾な悪意は珍しいと思います。
 
 

*出入り禁止
前記事の追記でも触れたが、st氏は自身のツイッターに、楽山はコメントしてはいけないと書いてた。
これは理不尽な要求だが、こちらとしてはst氏に譲歩し、彼のツイッターにはコメントしないことにした。

 
楽山と直接の遣り取りをすることは、詭弁の迷路に嵌って、徒労~疲労~人格破壊の罠に落ちることです。経験済みです。それが、楽山の、人間性を失って、丁寧芝居、被害者芝居で、自己正当化を図る唯一の手段なのです。楽山は、決して関わってはいけない変質者だということです。
 
 

*メンション
でも、どういうわけか、st氏は、「@komo266」を入れたツイートをして、こちらの視界に入ってくるのだから、わけが分からん。
私宛のツイートをしていながら、反論コメントは禁止だというのは、さすがに自己中すぎるだろう。 

 
楽山批判ですから、楽山のHNを書くのは当然です。当たり前に、楽山の視界には入れようとしています。しかし、批判の主目的は、私のブログ・ツイッターに書いて、広く、楽山の赦しがたい悪の情報を敷衍することです。楽山を変えようとすることは既に諦めています。訂正不能の悪だからです。
 
楽山に反論コメントを赦したら墓穴を掘るようなものです。双方向の、まともな遣り取りなど、楽山は出来ません。楽山の汚い詭弁に直接さらされるのはごめんです。経験済みです。ゆえに精神衛生上、直接の遣り取りだけは避けています。楽山は、つまり、精神衛生上の加害者であり、精神の病原なのです。
 
 

*支離滅裂
そういえば、st氏は以前から、楽山と話をするつもりはないと言いながらも、自分を無視するのは許せないなどと怒ることが多かった。
今回もこれと同じだ。楽山は出入り禁止と言いながら、楽山の視界に繰り返し侵入してくると…。
いやはや、こういう人にはどう対応したらいいか分からんね。

 
「自分を無視するのは許せない」と怒った覚えはないです。楽山の、無反省、無責任、嘘、詭弁、などは赦せないということです。楽山の対応など求めていません。一般の読者への情報として書いています。楽山は体質的な根腐れサイコパスなので、直接相手にすることは、自傷~自殺行為となりえます。
 
このツイッターのような、ふてぶてしい嘘の吐き方が、楽山の根底を流れ続ける犯罪心理クリミナルマインドなのです。呆れ芝居の良心のない攻撃が、3年余りの批判の流れの中で、しばしば顔を出してきました。しらばっくれて相手をおとしめる・・という筆致が、楽山の根腐れを表してきました。
 
 

◇◆ 追記 2022.3.12 ◆◇
*もう一つ
今になって気がついたけど、支離滅裂といえば、これもそうだ。
「 
楽山からの反論なるものは、反論ではなく中傷であり、論理ではなく詭弁であり、思考ではなく疲労物質です。寿命を縮めるような楽山は、ずっと、出禁です。
 」
これほどまでに楽山のことが大嫌いなのに、楽山のブログ、ツイッターを何年にも渡って追いかけないではいられないというのは、ほんと、どうかしてる。

 
批判するのは批判対象の楽山を変えるためではなく、身の毛がよだつような楽山という鬼畜の情報を一般読者に知らせるためだという批判の在り方が、楽山には分からないようです。楽山の知性と感性は正常人より酷く劣っています。だから、普通では考えられないような不感不応の嘲りが出来るのです。
 
楽山には、常識と良心からの反応ができません。こちらが「寿命を縮めるような」と書いても、「ほんと、どうかしてる」という、楽山特有の軽口の侮辱を平気で書けるのです。高等感情、つまり、思いやり、共感、羞恥心、罪悪感、などが、致命的に欠けている者の筆致です。
 
まさに「楽山からの反論なるものは、反論ではなく中傷であり、論理ではなく詭弁であり、思考ではなく疲労物質です。寿命を縮めるような楽山は、ずっと、出禁です。」ということです。批判を続けるのは、私の安全のためではなく、誰も、楽山の犠牲者になってほしくないからです。
 
楽山には、誰も関わってはいけません、近づいてはいけません。ましてや、コメントの遣り取りなどは、飛んで火にいる春夏秋冬の虫です。楽山は、誰の意見も心情も無視して書いてきます。楽山の害から逃れるためには、楽山が何を書いてきても、楽山を虫として無視して意識から削除することです。
 
楽山の丁寧語や冷静を装う芝居は、よく見れば、罵詈雑言の類だと分かります。客観や中立を装うのは、読者を誘導し、読者に印象を吹き込むための、楽山の企みですが、文脈と表現のあちこちに、楽山からの軽蔑と底知れない悪意は、ずっと表れてきました。自分を見ることだけは出来ない人だからです。
 
楽山は、他者の言うことを、マニュアルのようにしか見ていません。心が無いからです。ゆえに、マニュアルのように書いてきます。ときに、くだけた表現を使いますが、なごみの心を持たず、世辞と同じような芝居に過ぎません。結果として、自分に異常を感じることが出来ません。
 
そして、受け取って理解して反応して書くのではなく、自分が言いたいことだけを書きます。だから、永遠に、議論のプロセスにも結論にもなりません。楽山には、前もっての自分の結論しかないからです。楽山との議論は成立せず、楽山の自己満足だけが、楽山にだけ残る脳のプロセスなのです。
 
3年余りも批判されて、楽山の反応は、受け取って考えることがないのです。つまり楽山は単方向だけで、学習も成長もないのです。極めて時間の無駄なのです。それで、議論ではなく、こちらも、楽山の言を引用して批判することに専念しています。楽山との議論は、誰にとっても禁忌だと思います。
 
楽山は病的な自己中なので、客観的に自分を見ることができません。認識の中心が自我で満たされて、そこから離れられず、いつも上から裁く態度で見ている、それが、楽山の本能的な姿勢です。成長しようがない幼稚な妄想自我です。ゆえに、悔いることなく嘘を吐けるのでしょう。
 
 

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            悪意の 虚偽の 誘導 狼狽
 
 
(2022年03月14日)
 
 
 
  (拙作断片)
 
笑いはがらがらと震え過ぎた紙の声
派手な衣装は次から次へと去ってゆく
この街も変わりましたねえ
深みのない視線で見渡せば
遠い山から吹いてくる風が神の声にも聞こえよう
人格の崩れゆくとき
悪意と作為を拒んだときから
愛は悪い夢の中で目覚め
流涎して悪い現に夢を見る
 
 
子供の靴下よりも
大人の袋や箱よりも恐いもの
悪意や誘惑のプレゼントを配っては
心の中にキーンキーン
キーンキーンと響きを忍ばせて隠しておくんだ
見えない足跡を残しておくんだ
 
 
  世捨て人の
 
世捨て人の夢見るものは
虚無のやさしさで
無為の速度で
自棄の靴紐を絡め
退廃の旅支度を過ごし
厭世の渡し舟を待ちながら
絶望の気道を開いて
暗黒の呼気を促し
怒気の吐息を拾い
悪意の杭を抜いて
憎悪の河に流して
せめて見送れるだけ見送ることだ
 
 
  朝を行く
 
ゆるやかに焼土と化してゆく町の
紙切れ一枚に託された
朝の光と入れ替わるように
みずみずしく滴り落ちてゆく
悪意
覚えはないという
廃虚に燻り炭化して肉質を離れる
かつての
そしてこれからの
痕跡
ほら今日もこんなに光っている
開いた肉芽を屈折して通る宝石の
切通しに立ち竦(すく)む
覚えられることを拒むかのような
幾つもの折れた眼差し
 
 
 
楽山日記のコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 」
 
 
楽山は、恐らく人格と能力の不足のために、小児期~思春期に、不都合を経験し、ルサンチマン(弱者に募る怨念)が蓄積して、他者無視そして不都合無視の、自己絶対が固定されたのかもしれません。それによって、内省、反省、罪悪感、共感性、などが、さらに欠損してゆくのです。
 
楽山が死んだとき悲しむ人がいるだろうか・・と思います。ネットで、インテリ常識人を気取っていますが、やっていることは、インチキ占い師やペテン師レベルでしかありません。いつか、公共において暴かれるでしょう。前に言っていた、責任問題は生じない、など、通用しないのです。
 
 
 
 ※
 
楽山の仲間でしょうか、私のツイッターの通知欄に、楽山ツイッターのタイトル画像と、楽山の発言を載せてきています。明らかな嫌がらせです。逆らう者には、そういうことをしてくる楽山です。楽山に関わることの災いを表しています。人としての品格の欠片もない楽山、下種の極みであります。
 
楽山は、マニュアルのようなアニマル、決まり文句を覚えても、その文脈を考えて書くことが出来ず、我欲の本能任せに、仲間を頼んで、ウイルスのような毒性をまき散らすヒト型肉食獣、または、人間界に巣食う悪性黒色腫のような、どこまでも汚い癌細胞なのです。
 
楽山の仲間ということは、早晩、楽山とともに堕ちてゆくのでしょうか。楽山の底知れぬ恐ろしさを思います。感じることも考えることもできない楽山の罠に堕ちることは、人間としての良心や真善美の感性から、限りなく乖離してゆくことを意味します。肛門周囲炎のような臭い熱を感じます。
 
今回のことで、楽山には、仲間がいる、または、だまされて同類になった人がいる、または、複数の成りすましをしている・・などという可能性が高くなります。どんどん悪の性根を表してくる楽山です。荒らし軍団の登場です。実に不潔です。最終的には、この中の誰かが、楽山をぶん殴るのでしょう。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター
https://twitter.com/st5402jp
(ブログ記事をコピペすることあり)
 
 
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