楽山五六(語録)?
楽山五六(語録)?
『聯合艦隊司令長官 山本五十六』半藤一利著
2022年11月12日 楽山日記(LD)
http://mn266z.blog.jp/archives/34793938.html
を批判。
信仰について、だらだらと長い記事を書いて、何も言えてないという誤解と曲解を表してきた楽山は、一方で、題名より、知られていることより、深いことを書いたとは思えないような、とても短い記事も書いてきます。自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の自己満足のためとしか思えません。
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*まえおき
山本五十六のことは、米国との戦争に強く反対していたこと、「半年や一年は~」という言葉など、断片的なエピソードは聞いたことはあっても、それ以外は殆ど知らないので本書を読んでみた。
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この記事で、知ったことにはならないでしょう。「読んでみた」楽山は、何故、記事にするのでしょうか。子供じみた自慢だろうということ以外は表されていません。「半年や一年は~」について説明がありません。より詳しいことも書いていません。読んだ・・という自己顕示欲だけの短い記事です。
(ネットより)山本五十六
「それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい」
だから、楽山が、本を読んだと書いてきても、本当に読んだのか、本当に理解したのか、極めて怪しいのです。ましてや、読書のアドバイスにもならないなら、自分のノートにでも書いて、他者に影響しないところで満悦すればいいのに、読んだということだけで、書かずにはいられないのでしょう。
このような、詳しいことや深いことを書けないのに、自己顕示欲だけで読んだことにするのは、無駄な時間を読者に費やさせ、かつ、読書家としてインテリとして、印象付けたいのでしょうが、逆効果になって、うんざりさせてくるという印象を積み重ねるだけです。
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*概要と感想
本書では主に、二・二六事件の頃から、戦争中に長官機が遭難するまでの山本五十六の言行が語られている。山本五十六は世界情勢を見極めた上で対米英戦争の勃発を防ごうとするが、それを理解しない国内の者たちの策動を抑えられなかったこと、開戦の際は国際法規を遵守して攻撃前の事前通告を望むが、それも実現できなかったこと、日米の国力の差から短期決戦を望むが、これもさまざまな理由からだめだったことなど
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遭難ではなく、撃墜されたのではないでしょうか。ネトウヨらしい書き方です。こういうのは、楽山は得意なのかもしれないが、見苦しいだけだと気づかないのでしょうか。あるいは、山本五十六にダメ出ししたいのでしょうか。立場というものを持たない楽山の、いい加減さが表れています。
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…要は、全体的な流れとしては、当時の日本において、山本五十六など一部には立派な見識をもっている人物はいたが、それ以外の者たちはその意見に耳を傾けず、まちがった選択を繰り返し、その結果、国中を焼け野原にした上、多数の犠牲者を出すことになったというものである。
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「立派な見識」と褒めています。こういうとき自己愛者は、気づかずに、自分がそう判断するように、自分のように、立派な見識・・という気持ちで書いているでしょう。楽山というナルシストを満たしている自己陶酔気分が表れています。
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自分としては、欧米列強の悪辣さには殆ど触れず、日本の指導者たちの愚かさのために戦争になったかのような書き方には不満だが、本書のテーマは戦争全体ではなく、山本五十六の美点を描くことであるとすれば、それ以外の部分が省かれるのは致し方ないことなのだろう。
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評論家気取りです。「指導者たちの愚かさのために戦争になったかのよう」・・軍部独裁と言われていた時代に憧れている楽山です。楽山のような自己愛者は、大方、バレて嫌われる不満のために、反動のように、独裁を愛する荒唐無稽文化材なのかもしれません。
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*意外な一面
ところで本書によると、山本五十六は甘党であり、賭け事がすきだったそうだ。みかんを一度に47個食べたり、盲腸炎になったときは切腹の痛みを体験したいので麻酔なしの手術を依頼したこともあったという。
こういう話からすると、どうやら山本五十六は、冗談の通じない堅物ではなく、愉快なところもある人だったようだ。
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「冗談の通じない」、理解しない、相手する気にもならないのが、楽山の特徴ですが、山本五十六の趣味を書いて終わりです。何が言いたかったのか不明であり、以前から、方向もデタラメ、主張も一貫性がなく、思いつきで、読書したことにして、ヒントになるものさえ提供できない楽山です。
心がなく頭が訂正不能になって成長できないために、楽山は、自己愛だけで、こういう記事を書いて、読む人の時間を奪い、いい加減なのが正しいという自分の心情と信条と身上を、だらだらと、いつまでも、表してゆくのでしょう。自分の狭小を、難しいテーマを選ぶことで代償している自慰の姿です。
私は老人ですが、少しばかりの学習意欲は残っています。訂正不能だけは避けたく思います。説得力のない楽山の文章を読むのは、批判という目的があるからです。どう書いても訂正不能の自我が出てしまう楽山は、年齢不詳ですが、書けば書くほど反面教師(悪いお手本)が表れます。・・こうはなりたくない・・
自己中が奪う色
(2022年11月14日)
失敗だった曲に合わせて
束の間の夢をいだいて
秋の街を歩いた
あの頃
君の心にはもう
動きようのない索引が
私をいっしょにまとめてしまう
はねるような笑顔で
秋の色をたたんで
君は去った
女は性を求めていた
彼女は位置を求めていた
そして仕事を
私は今も遊び人
使い物にならないリビドーを秘めて
また秋の街を歩く
君の音色を求めても無駄なこと
失敗だった曲に合わせて
私は歌い始める
そしてせめてはと
そっと
君の思い出に
裏切るように
生と死の境目で
歌を滑らせる
高い窓
壁の 絵の
幼い少女は 手を伸べて
あそこよ と 指さしている
それが最初に見た
希望の形だった
伸びてゆく 手 が
かすかな影を ふるわせながら
うすい 光の 向こうで
声 を 待っている
孤独な 光だけが
医者のように 顔色を変えないで
夜じゅう 診ていたらしい
しらんでゆく窓に 衰弱して
くぼんだ 血管の 足音を聴いている
その小さなふるえから身を引いて
あきらめた 手 が
狭い視野から
落ちてゆくころ
また朝焼けの始まる
高い 窓の
物陰に隠れて
目覚めてはいるが・・・
夏から秋へ
天気予報がまた
夏に始まった
台風を告げる
しかし熱を吸い取られるように
すでに秋が来ている
緑から黄へ
紅葉へ
落ちてゆく前の
ゆるやかな命
きらめいて
やがて土の表を
流れ
土へ
帰る
かつて熱していたもの
色あせてゆくもの
身を引いてゆくもの
沈んでゆくものの
語録をゆっくり閉じてゆく
枯れてゆくもの
別れてゆくものの
見過ごしてしまいそうな
ほんの小さな元気を残して
秋の色と
思い出をたたんで
後ろ姿を見るように
汗をなつかしむ
大地はまわり
大気は移り
多くの肌に触れて
風と呼ばれる
知らず知らず
秘められた語録に向かって
農道
空の色とは似ても似つかぬ
ソラ色のビニールの
雨に汚れたカバーの下に
石灰に包まれた魂が
瞳のない目をあけている
材木が二本
細く黒ずんで
不揃いにソラ色から足を出し
降ってくる空の恵みの下で
垂れてくるソラの恵みを受けながら
暖かい腐敗を待っている
点々と水たまりが追いかけてゆく
走り去る轍の上を
その向こう遠くの山が
流れない雲になって
消えるあたりを目指して
近づかない風景を歩む
雨は上がった
音・・・?
生き物がいる
瞬(まばた)きしている
冷たい風
冷たい風
動かぬ山
火の国の 火の山
ときに山肌の色を変えて
煙と雲の向こうに
命を生む太陽
命を奪う太陽
冷たい風
動かぬビル
人の国の 人の山
ときに人々の顔色を変えて
雑踏と騒音の向こうに
命を生むシステム
命を奪うシステム
冷たい風
ふらつく私
私の国の ウソの山
ときに人々の顔色におびえて
心と体の中に
明日を生む命
明日を奪う命
さいはて
町の中から地の果ては見えない
地の果てから町は見えないけれど
さいはて
そこからなら町も人も見えるような気がして
多角形のいびつな塊のように
あるいは鈍く点々と
流れ、沈んで
浮かんで
見えるはずもない
行ったこともない
果ての果て、その
さいはて
霧のようで
かすかに色めく
風の渡り
広く低く
しーんと響いて
聞こえるはずもない
行ったこともない
ここは田舎の
町の中
ある人にはいつも
さいはて
楽山の偽善性
議論:
議論や交流が、表面的で、整わないし、できないし、元々する気もない。
相手の意見を受け取っていないので、反論、弁明が成り立っていない。
理路が常識的にも浅く、基本的に訂正不能である。理解力がない。
自分なりの堅実な理路を組み立てられない。
読書自慢。感想は平板で、独創性や深みがない。
様々な気取り。読書家気取り、評論家気取り、インテリ気取りなど。
分かっているという我執から離れられない。
非を指摘されると、逆に、こちらに当てはめて被害者面をする。
人を批判~誹謗中傷するが、その言葉で自分が斬られるブーメラン現象。
真面目に応答~議論すればするほど、病的な徒労感と疲労のみをもたらす。
ボンヤリ言語:語尾を濁し曖昧で婉曲的な言い方で、印象を刷り込もうとする。
トホホ言語:謙虚で弱いと思わせて悪意を隠すための嘘の芝居。
しばしば、自身への同意を期待して、見え透いた世辞を言う。
「反省。とほほ」などと書くが、不自然であり、前後で何も変わらないので嘘です。
騙して、言い分を詭弁や嘘で通そうとする、通っていると思い込む。
訂正不能の偏執。
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html
「
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
」
>
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
<
長いのを書いたり短いのを書いたり、忙しいというより落ち着かない楽山ですが、中身がないという特徴は一貫しています。何のために?何が言いたくて?というのが、いつも信用ならない楽山です。保身の上に、嘘と詭弁と、短い舌を載せて、唾を飛ばし、言葉を舐めている楽山です。
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
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(古い記事もインポート済み)
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(ブログ記事をコピペすることあり)
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