ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

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   ライブドアブログ
   「議論と保身(7)」アメブロと同じ。コメント欄
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   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)との遣り取り
   一部編集。
 
 
9月で、ヤフーブログの書き込み機能が全面的に終了します。そのことを思ったのか、シャロームから、私のライブドアブログのほうに、コメントが来ました。シャロームは、そのまま受け取れるようなコメントを書いたことがありません。さて、どう読めばいいのでしょう。
 
1. shalom
 2019年09月02日 13:02
戸田聡さん こんにちは
永い間のお付き合いありがとうございました。
当然私が先にこの世を去るとは思っていましたが、
このようにお別れの時が来るとは思ってもみませんでした。
思い出いっぱいのyahooブログでの多くの人のであいでした。
はじめからおしまいまでのお付き合いは戸田さんのほか
数人でしたが、教会という枠を超えて様々な出会いは
ネットならではできないことで、
この世を去るにあたっての良いお土産話になりました。
私の多くの落ち度のために戸田さんに辛い思いを与えたことは
事実ですし、申し訳ないと思います。
とは言え、それは人それぞれの生き方、考え方、信仰の在り方の違いによることでもありますので、委ねるほか最善はありません。
この先ブログをどのように続けていくか具体的には考えていませんが、どこかでお会いすることがあっても、きっと多くの人の中ですれ違うような出会いになると思います。
戸田さんにもまた新たな良き出会いがあるようにと願っています。
お元気でお過ごしください。
shalom!
 
 
2. st5402jp
 2019年09月02日 17:18
 
>永い間のお付き合いありがとうございました。
 
今までの経験から、こういう挨拶が、あなたの場合、おおよそ、感謝とは正反対のコメントであることを知っています。
 

当然私が先にこの世を去るとは思っていましたが、
このようにお別れの時が来るとは思ってもみませんでした。

 
「先にこの世を去る〕は、あなたのほうが年上という前提から言ったことで、
「お別れの時」とは別だと思いますが、
あなたは結び付けたいのでしょうか。
 

この世を去るにあたっての良いお土産話になりました。
私の多くの落ち度のために戸田さんに辛い思いを与えたことは
事実ですし、申し訳ないと思います。

 
ということは、この世を去る時が迫っているということでしょうか。だとすれば、最近の、あなたが楽山ブログのコメントで言っていた、数を頼んでの、皮肉や当てつけの憎々しさは何だったのでしょう。
打って変わって、私のライブドアブログに、今回の謝罪というのは、理解することは困難です。
 
(※ 皮肉と当てつけは、今までもあったけれど、今回のは、議論と保身(11)に掲載予定。)
 
 
3. st5402jp
 2019年09月02日 17:20
 
>信仰の在り方の違いによることでもありますので、委ねるほか最善はありません。
 
あなたは、ゆだねているのでしょうか。もし、ゆだねているのなら、今までのことは無かったはずです。
あなたは、ゆだねていなかったことを認めていない、ということだけが分かるコメントです。
 

この先ブログをどのように続けていくか具体的には考えていませんが、どこかでお会いすることがあっても、きっと多くの人の中ですれ違うような出会いになると思います。

 
自分だと分からないようにする、という意味でしょうか。まるで、そうすることに自信があるような書きぶりですが。
 
以上を総合して、今回のあなたのコメントは、いかにも、もうすぐ死ぬような言い方をしながら、文言を追ってゆくと、一般論を言っているだけとも取れそうですし、言動も文脈も、今までの流れを受けているとは思われません。理路を追えないあなたですから、持ち前の丁寧語を並べているだけではないか、最後の別れを示しながら、よく読めば、そうでもない文脈を創作したと思われても仕方ないでしょう。
 
あなたは、上のコメントで、すれ違うように出会うことを書いています。死んでからではなく、生きて、誰か分からないように別名を名乗り、すれ違う、ということでしょう。間もなく死んでしまうような病か何かの人は、そういう書き方はしないと思います。もうすぐ死ぬかのような書き方は、あなたの、一番得意な作り話の延長なのでしょう。
 
今後、ますます、要注意人物として、警戒してゆきます。
 
 
(追加)
 
コメントの冒頭に「お別れの時」と書いてあります。批判されているのに、お別れというのは、当然、ヤフーブログの終了とともに、批判も終わることを前提にして、暗に、批判をやめろ、または、もう批判は出来ないだろう、という意味にしか取れません。今回は、一見すると、まるで、これが最後で、じきに死ぬかのような書き方ですが・・。
 
シャロームは、批判に応えず、最近は、民主主義の政治の記事を転載しています。賛同のコメントも来たりします。しかし、シャロームは、自尊が絶対の権威主義となっていて、言いたいことを言って、異なる意見は聞かない人です。不都合なコメントは、削除や不承認で、隠蔽してきました。自らの問題に向き合わない人です。
 
私は、批判してきたのですから、もともと和解が成り立つような成り行きではありません。今さら、謝罪みたいなことを書いても、今まで、シャロームの言ったことの一つ一つが信頼できないわけですから、病気でしょうか、それは大変でしょうと今までのことは水に流して素直に謝罪を受け取れというほうが無理なのです。
 
しかも、上に書いたように、すれ違うけれど無駄だよとばかり先のことも書いているコメントの書き方の怪しさはどうしようもないので、注意・警戒を継続し、新しいブログを見つけた場合は、読んでから、十中八九、批判を継続することになるだけです。嘘を何度もつく人は、たとえ本当を言ったとしても、信用されなくなるのです。
 
最低限の信頼をも失うとは、そういうことです。狼と少年です。シャロームという名の嘘吐き少年。
 
 
(2019年09月03日)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
https://st5402jp.blog.fc2.com/
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議論と保身(7)

 
  議論と保身(7)
 
   嫌われる勇気
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41571142.html
   楽山ブログのコメント欄の続き。
   批判対象:楽山と、シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼 )
   私のコメントは、大方、記事用で、一部編集。
 
 
(私)
楽山は、理路の乱れが酷くなっているようです。テーマの本筋よりも、それ以外を漁って、言われそうなことを逆に言って、あげつらい、執拗に、詭弁、おとしめ、言いがかり、などで、キレ気味に攻撃しています。
 
(楽山)
stさんは、このコピペにご不満のようだけど、
これはstさんの人となりを知るうえで、
貴重な資料と思います。

>この記事は、シャロームに対する私の批判に関連していますか。
2019/7/3(水) 午前 1:55 st5402jp
https://blogs.yahoo.co.jp/mine197272/69065689.html
>前の記事のコメントで問い合わせたけれどレスがない。それで一応批判記事を書いたけど、お構いなしに、この記事を書いて、親孝行の話をしている。後ろ手に隠した者は、もう捨てたのか。
あなたはシャロームの後継ぎになるかもしれません。それとも、あなたの筆致は、楽山に似ていますが、あなたも、成りすましなのでしょうか。
2019/7/7(日) 午後 5:20 st5402jp
https://blogs.yahoo.co.jp/mine197272/69067828.html
 」
2019/8/29(木) 午後 6:57 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
良さそうなことばかり書いて記事にしているし、シャロームのブログにコメントして、シャロームが世辞を言っている。シャロームと楽山のお仲間だろうと推測し、筆致が楽山に似ていることから、成りすましの疑惑に入れることになりました。
 
(楽山)
全然関係ない人の記事を、自分のことを書いてるんじゃないかと疑う。
おかしなコメントを入れたら、スルーされて当然なのに、応答がないと怒る。
そして、日めくりカレンダー的なブログにさえ、批判をくわえ、
シャローム、楽山と関連付け、疑う。
自意識過剰、投影、短気、易怒性、攻撃性、妄想、疑心暗鬼…stさんの心にあるものが浮き出てます。2019/8/29(木) 午後 6:58 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
応答がなくても怒ることはありません。ただ、批判が増えるだけです。
深いことではないのに、教える態度で、書いているところが気になっています。
言われそうなことを、私に当てつけてくる、そういうやり方しかできないようです。
しかも根拠のある反論にも弁明にもなっていません。
悪意に対しては、自意識過剰、投影、短気、易怒性、攻撃性、妄想、疑心暗鬼・・楽山の心にあるものです・・と、一応、書いておきます。無駄でしょうけれど。
 
(楽山)

>自己中心のシャロームと楽山について、社会悪だと言っています。二人の決めつけと違って、根拠があるのです。だから、広まったらと考えれば、その規模において間違いなく脅威であり危険であり、全然、大袈裟ではないのです。
 」
これは妄想です。
たとえば、「人は人、自分は自分」というのは、
自己中心でなくて、自己中心を防ぐものです。
自己中心な人からの過干渉を防いだり、
 
(私)
酷い詭弁です。防ぐと言って、自己正当化しているのに、
私が自己中心だと書いています。
自己中心が私だということにして、言われたことをそのまま返してきます。
(私)
楽山が、アドラー教の自己中心だから、そのまま返すしかないのです。
また、根拠が何もありません。楽山と付き合って疑問を呈すると、
このような執拗な責め方と攻め方を受けることになります。
根拠は、中身のない記事とコメントです。無視による自己中です。
(私)
私は、楽山とシャロームのことを自己中心だと言っています。
その弁明を根拠を持って言えないから、妙に一般論みたいに、
楽山は、本筋を逸脱して、ひたすら、おとしめに専念しています。
弁明をする気がないか、できないのだろうと思います。
 
(楽山)
自分が自己中になって、他に過干渉をしないようにするものです。
 
(私)
楽山は、すでにずっと自己中、訂正不能、自分が上の勝気だけです。
過干渉をしないと楽山が言うのは、不都合を無視するということです。
 
(楽山)
一方、stさんは、自分をスルーせず、議論に応じろとか何とか、
人に要求ばかりしてます。
そしてその要求に従わない者がいると、自己中と決めつける。
これは、自己中な人が、
自分の言う通りに動かない人を、自己中と非難する
というよくあるパターンにはまってます。
2019/8/29(木) 午後 6:59 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
「応じろ」という命令形は、書いてないと思いますが。
また、印象操作です。楽山の繰り言です。繰り言だけになっています。
呆れるほど、言われそうなことを、こちらに向けてきて、
根拠を全く示せないのです。決めつけは、このような自己中から生まれます。
「これは、自己中な人が、自分の言う通りに動かない人を、自己中と非難する
というよくあるパターンにはまってます。 」
まさに、楽山とシャロームのことです。私の主旨を読む気がないようです。
(私)
言っておきますが、ここに書き込むのは、議論するためではありません。
楽山やシャロームとは、全く議論にならないのは既に承知です。
私が書く目的は、カルトの詭弁に対して批判を貼りつけることです。
 
(楽山)

>脅しのようなことではないという主張であり、脅しのように見せかけた楽山の低劣さを表しているのです。分からない人ですね。
 」
stさんが脅しの意図を持っていたのかどうか、
楽山が脅しと受け止めたのは妥当かどうか、
それは主観的なことでもあり、
議論したって水掛け論になるだけです。
 
(私)
楽山が水掛け論というのは、説明が出来ず、
根拠が無いことを言い張っているからでしょう。
 
(楽山)
私がいってるのは、
stさんの内面や、私の評価、表現の妥当性の問題ではなく、
シャロームと話すな、話すなら批判する
という主旨の発言をしたことは事実か否かということです。
 
(私)
話すな、話すなら批判する、というような脅しの言い方はしていないと思います。
前といっしょですね。また印象操作でしょう。
言い方によって発言者の印象が変わります。前に書いたと思いますが。
こういうのを、粘着、ねちねちと言っています。
楽山は、本筋を逸脱して、ひたすら、おとしめてきます。
(私)
脅しではなく、成り行きとして、
楽山とシャロームの言が、とんでもない自己中のカルトで、
改めることなく、反省することなく、詭弁を書いてくるので、
そういう彼らの詭弁に、批判を貼りつけるという必然になっています。
 
(楽山)
ああそうだ。これと似たことを思い出したけど、
stさんは、ブログをやめろ、やめない限り批判を続ける
というようなことを口走っていたように思います。
最近もそういうことはあったような、
stさんはこれを認めますか?
これらの発言の根底には、
自分の言うことを聞かない奴は批判する
という自己中な発想があるのは明白と思います。
2019/8/29(木) 午後 7:02 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
あなたは、有害な誘導のブログをやめるべきです。
止めないならば、必然として、批判記事とコメントを当ててゆくことになります。
(私)
反省機能のないナルシシストの誘導記事は害毒です。
だから、楽山は、また、反省せずに、言いがかりの文句だけ言うしかないのです。
私の言うことを聞かないからではなく、反社会的な妄想だからです。
 
(楽山)

>シャロームは、答えられないとき、いつも、逃げているのです。また、シャロームも、楽山も、都合の悪いことは無視して、忘れるのでしょう。
 」
これは妄想です。
一般と特殊が逆になってます。
stさんに対しては、大方の人がスルーしてます。
シャロームさんも楽山もそうです。スルーが基本です。
申し訳ないですけど、妄想にはいちいち付き合ってられません。
 
(私)
私の言うことは妄想だと言っておくことになっているのでしょう。
しかし、スルーしていないですね。向きになって。
ここは、一般とか特殊とかは関係ないです。何を言っているのか。
 
(楽山)
でもstさんが、コメント欄にきて、
会話に割り込んだり、連投してきた場合は、
やむなく応答せざるを得ないこともあります。
これが特殊、特別な場合です。
 
(私)
全然違います。ブログとコメント欄は公共物です。参加者を限ることは出来ません。それを、楽山は、そして、シャロームも、私有物のように恣意的に運用しているのです。しかも、カルト誘導だから、見逃すことなどしてはいけないのです。前に言ったのことなのだが。
 
(楽山)
普段はstさんと議論しているのに、
都合が悪いという特殊な場合だけ無視するのであれば逃げでしょうが、
普段はスルーしてるけども、
迷惑行為が酷ければやむなく対応し、
それが一段落すれば普段通りスルーに戻るというのは逃げではありません。
2019/8/29(木) 午後 7:04 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
おとしめしか出来ない楽山は、対応と呼べることなど出来ないのです。
対応じゃなくて、クレーム、言いがかり、悪口のたぐいです。
自覚がない楽山には分からないのです。
 
(楽山)

>この場を借りて、楽山は、シャロームに世辞を言っているようです。楽山は、事実と論理を語ることに失敗してきました。
 」
私が書いたことは、
シャロームさんとやりとりした人なら、
誰もが感じるだろうことにすぎません。
もし私が書いたことが、
単なるお世辞、おべんちゃらに見えるなら、
stさんは、偏見、思い込みのために、
シャロームさんの良いところが見えなくなってるんだと思います。
 
(私)
また、理路になってないですね。シャロームはシャロームらしく、楽山には世辞を言います。私は批判をしているのです。並べて書かれては迷惑です。約8年間、見てきて、シャロームには、キリスト信仰を惑わす害はあっても、良いところはないという判断です。
 
(楽山)
いかに批判対象にしているとはいえ、
その長所を一つも認めることができないなら、
それはまともな判断能力を失い、偏向し、
差別主義者と同じになってるということです。
2019/8/29(木) 午後 7:05 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
差別主義者は、否定の根拠にならないことで差別する者です。
シャロームは、罪を認めず悔い改めない、これはキリスト信仰ではないので、
邪悪だという判断をしないほうが、判断能力を失い、偏向しているのです。
 
(楽山)

>楽山とシャロームには、その書くところ殆ど事実も論理も、見られたことがありません。だから批判コメントは、長くなるのです。詭弁と印象操作の汚さに満ちているだけです。
 」
事実も論理も、それを提示すれば済むことです。
説得という作業はいらないので、長く書く必要はありません。
事実や論理を捻じ曲げようとしたり、
おかしなことを相手に納得させようとするから、
長く書かねばならなくなるのです。
 
(私)
楽山がが、そういうことです。捻じ曲げて、事実でも論理でも、また、人間らしい情緒でもないものを、平気で、すまして、ぶつけてくるのです。だから、私の批判は、長くなっています。
 
(楽山)
妄想が次から次へと涌き出てくるタイプにも、
長文の人は見受けられるようです。
stさんの文章が長いのは、
事実と論理から離れ、
自己都合の妄想が激しく、
自分を分かってほしい、
受け入れてほしいという欲求が
強すぎるからなんだろうと思います。
2019/8/29(木) 午後 7:07 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
自分が向けられている妄想家というのを私に向けても、それが、詭弁家の常套手段であることは、何度も書いてきましたから、通用しません。また、都合の悪いことを、恐らく、わざと無視しています。
(私)
分かってほしいとも受け入れてほしいとも思っていません。
だいたい議論できると思っていません。
宗教や思想について、幼稚で、おかしなことを言うから、
努めとして、できるかぎり、批判を当てるのです。
(私)
楽山やシャロームに受け入れられることは、最も不幸なことなのです。
彼らの釣りの餌である世辞に騙されないでください。
 
(楽山)

>こちらは根拠を示しているのに、根拠もなく妄想だと言って聞かない楽山とシャロームは、つまり、彼らの決めつけの根拠が妄想だということを、逆に示すことになるのです。また、どんどん、妄想語りでしょうか。疲労させて退かせる作戦でしょうか。汚いです。
 」
「こちらは根拠を示している」は、妄想です。
 
(私)
根拠を示せない楽山です。
 
(楽山)
根拠を示しているのでなく、根拠を示しているつもりになってるだけです。
その後の作戦云々も妄想です。
 
(私)
示しているこちらの根拠のことばかり否定するだけで、
あちらの根拠を示せたことがないのです。
言い張るだけで、全部、子供だましのペテンなのです。
何故かと言えば、説明できない自己中心の不条理しか持たないからです。
(私)
普通にできる柔軟な思考が出来ないのは殆ど障害というレベルですが、
障害レベルでも同情する気になれないのは、それで天下取ったような傲慢さで
上から物を言って、深い思考や情緒を分かろうとかの努力や、
反省するとかの姿勢が、まるで無いからです。
(私)
楽山は、罪を気にせず悔い改めない嘘吐きのシャロームが、正しいと言いたいのでしょうか。そんなことを平気で言えることが、かえって、根拠になるのです。さらに、カルトは、罪と偽善に気づかず、それらを、最後まで秘密にして、善人芝居をするつもりなのでしょう。複数の人々、あるいは、複数のキャラ設定をしているようなので、本当に、怖いことになるのではないかと可能性が懸念されます。
 
(私)
自己中心的なところは誰にでもあります。個人主義との境界は、実際は不明瞭かもしれません。
シャロームと楽山のゆるしがたいところは、反省しないことであり、そして何よりも、
自己中心の根拠を、シャロームは神に求め、楽山は、心理学に求めているところです。
人間としての身の程を弁えないと、このようになるということです。

 
 
(2019年09月02日、同日一部修正)
 
 
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議論と保身(6)

 
  議論と保身(6)
 
   嫌われる勇気
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41571142.html
   楽山ブログのコメント欄の続き。私のコメントは、大方、記事用です。
   批判対象:楽山と、シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼 )
 
 
(私)
今回は、性懲りのない策略的な執拗な詭弁と無根拠の言い張りの汚さが目立ちます。
こうはなりたくない、という見本です。
 
(楽山)

>他ブログのコメントまで使って、おとしめるような、
きわめて卑怯な社会悪を追求しているのです。
 」
「社会悪」とは大袈裟ですね。
シャロームはカルトだ、社会悪だ、
みたいなことを言ってるけど、
ようは、
シャロームさんから批判されたことを根に持って、
シャロームはカルトだ、社会悪だと決めつけてるだけではないでしょうか。
2019/8/29(木) 午前 7:02 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
おかしなことを言い続けています。私は、自己中心が広まれば、人災として社会悪となることは目に見えているということから、自己中心のシャロームと楽山について、社会悪だと言っています。二人の決めつけと違って、根拠があるのです。だから、広まったらと考えれば、その規模において間違いなく脅威であり危険であり、全然、大袈裟ではないのです。
 
(楽山)
>「するぞ!」という乱暴な口調は、明らかに、楽山の捏造です。
>「マブダチ」は使わないと思います。印象操作です。
細かい表現に異論はあっても、
 
(私)
細かい表現と軽く済ませられることではなく、
表現を乱暴に見せる悪質な印象操作だと言っています。
 
(楽山)
そのようなことがあったということ自体は否定されないということでしょうか。
こちらとしては、そこを認めてもらえるなら十分です。
細かい表現は、「するぞ!」を「する!」としても、
「マブダチ」を、「親友」「朋友」としても、
私の主張の大意は変わらないので。
2019/8/29(木) 午前 7:02 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
脅しのように見せかけた楽山の低劣さを表しているのです。分からない人ですね。
(私)
もはや、言い張りのみになっています。こういう、ろくでもない詭弁と、印象操作で脅しに見せかける汚いやり方が、彼らの特徴なのでしょう。どんどん、醜さが、あらわになってゆくのでしょう。
 
(楽山)

>シャロームや楽山のように信じられないくらい呆れるほどの汚い策略
 」
シャロームさんや楽山にも落ち度はあるでしょうが、ざっくり言わせていただくと、大半はstさんの妄想と思います。
 
(私)
私は、表れていることを根拠としています。ますます理解困難となっている楽山。
 
(楽山)

 >応分のものを返すことがあるのは、ご存知のはずです。今さら何を言う。
 」
stさんはシャロームさんを巨悪と思い込んで、その一言一言を非難してますが、シャロームさんの方は、時々、応答するだけです。
たとえていえば、stさんの100に対して、シャロームさんは1、2しか返してない。でもstさんはその1、2を、1000か、2000のように思い込んで激怒してるという構図。
多くの人はこのことをすぐ見抜くから、シャロームさんとは話しても、stさんはスルーするということになってるのだと思います。
2019/8/29(木) 午前 7:04 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
分からないのですか。シャロームは、答えられないとき、いつも、逃げているのです。また、シャロームも、楽山も、都合の悪いことは無視して、忘れるのでしょう。でも、ナルシシストの言い張りだから、こう言っても無駄なのでしょうね。性根の問題になります。
 
(楽山)

>冷静に書いても、破壊が進んで鈍感になっているシャローム
理解しないことが分かっているので、ときには、インパクトを考えることもあります。
 」
stさんのシャローム批判は、事実と論理に基づくというより、
シャロームさんから痛いところを突かれたという恨みと、
シャロームはカルトで社会悪だという妄想が渦巻いてるように感じられます。
 
(私)
シャロームに、痛いところを突くような洞察力はありません。この場を借りて、楽山は、シャロームに世辞を言っているようです。楽山は、事実と論理を語ることに失敗してきました。
 
(楽山)
事実と論理は客観的なものですから、他者でも理解できますが、
恨みと妄想は個人的なものだろうから、他者には理解しかねます。
そして恨みと妄想が巨大化するほど、他者は近付けなくなります。
 
(私)
恨みと妄想が巨大化するほど、乱暴になり、攻撃的になり、手段を選ばなくなるのが、カルトでです。貶め、嘲り、嫌がらせ、罵詈雑言になって、ついには、暴力的となり、それで、広く知られるようになるのです。
(私)
楽山とシャロームには、その書くところ、殆ど事実も論理も見られたことがありません。だから批判コメントは、長くなるのです。詭弁と印象操作の汚さに満ちているだけです。しかも、ますます、ひどくなっています。まだ、さらに、わざわざ、醜さを、見せようというのでしょうか。
(私)
こちらは根拠を示しているのに、根拠もなく妄想だと言って聞かない楽山とシャロームは、つまり、彼らの決めつけの根拠が妄想だということを、逆に示すことになるのです。また、どんどん、妄想語りでしょうか。疲労させて退かせる作戦でしょうか。汚いです。
(私)
よって、楽山とシャロームの恨みと妄想が巨大化するほど、他者は近付かないようにしなければなりません。前に書きましたが、彼らの根底には、自尊があり、その自尊が、ことあるごとに恨みを生じて、負けることなど、反省することなど、想定も覚悟もしていないのでしょう。因業と言えば、因業ですが、それだけに、ますます引っ込みがつかず、悪質化してゆくのでしょう。
 
(楽山)
stさんのシャローム批判は他から理解されず、
それをすればするほど、スルーされるのは、
この辺りに原因があるのではないでしょうか。
2019/8/29(木) 午前 7:05 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
ほぼ、楽山の独り言と言ってよいでしょう。
遣り取りと、私のコメントは、記事にして、一般の読者に公開することは言うまでもありません。
(私)
不都合を無視して、返せると思ったところだけ返して、しかも、成り立たないことを決めつけて言い張るだけで、また、さらに醜さを増している楽山に、言われたくはないし、言う資格はないと思います。楽山は、ずっと、言い張るだけの、駄々を捏ねるおっさんです。
(私)
詭弁家のカルトの汚さが全開です。前から、クリスチャン芝居や小学生にしか通用しない幼稚な説教芝居をして、悪質な誘導をしてきた楽山ですが、これで、公共に、一般の人々に、何かを訴えているつもりでいるのは、ナルシシストくずれでなければ出来ないでしょう。それが、病巣であり、今のところ不治の病なのです。このような者の言説で、社会を染めようとするなど、以ての外であります。楽山とシャロームは、ここのところ、際立って汚く醜いものを、毎日、見せてきて、それでも羞恥心を覚えないのが特徴です。
 
(私)
私の批判の目的は、社会悪と思われる妄想に、誰も近づかないように警鐘を鳴らすことですが、個人的には、信仰に基づいています。務めと自覚することについて出来ることをする、たとえ、誰にも理解されないくても、できることをしました、甚だ不十分ですが、どうかお赦しください、あとは、お任せいたします、という祈りが支えとなっています。
(私)
不正に対して、根拠があって文章が書ければ、むしろ、批判することは、キリスト者の務めです。
批判禁忌のキリスト教的先入観に縛られてはいけません。悪い言葉と批判は違います。
人間は、できることは、しなければいけないのです。
(私)
だから、気負うこともなく、勝つ必要もなく、負けて体を壊しても、不完全で罪深い私は、主の執り成しを祈るしかないことが、むしろ平安につながる、ということを希望としています。努めながら、人生の終わりに向かうために、絶えることのない希望です。
(私)
 
このシリーズは、(11)まで続きます・・疲れます・・
人間性を持たないカルトの執念でしょうか。
 
 
(2019年09月01日)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
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議論と保身(5)

 
  議論と保身(5)
 
   嫌われる勇気
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   楽山ブログのコメント欄の続き。私のコメントは、大方、記事用です。
   批判対象:楽山と、シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼 )
 
 
(私)
楽山は、キレかかって、なりふり構わず、おとしめのために、悪質な印象操作をしてきます。
 
(楽山)
なんか、シャロームさんに呪いをかけるようなもの言いですね。
思い出したけど、幸福の科学のネット界隈にも、批判者に対して、不幸の予言のような、呪いをかけるようなことを言う信者さんがいて、
ノロイ先生とあだ名されてました。
2019/8/28(水) 午後 6:04 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
呪いではなく、シャロームのコメントから、破壊が進んで起こりうることを推測しています。つまり、シャロームは、皮肉や当てつけを書いている場合ではないのです。冷静に書いても、破壊が進んで鈍感になっているシャロームは理解しないことが分かっているので、ときには、インパクトを考えることもあります。そうすると、シャロームは、しばらく黙るか、感情的に返してくるようです。
(私)
厳しい比喩表現や罵詈雑言も言ったことが何度もあります。それは、読者に対しては、私が不利になりますが、シャロームや楽山のように信じられないくらい呆れるほどの汚い策略をもって、感情や気力を傷つけ消耗させる者を相手にしているので、応分のものを返すことがあるのは、ご存知のはずです。今さら何を言う。
 
(楽山)
今日になって、ふと思い出したことですが、先日あれっと思ったのは、このコメントを見たときでした。案の定スルーされてます。
こういうのは止めた方がいいです。

>この記事は、シャロームに対する私の批判に関連していますか。
2019/7/3(水) 午前 1:55 st5402jp
https://blogs.yahoo.co.jp/mine197272/69065689.html
>前の記事のコメントで問い合わせたけれどレスがない。それで一応批判記事を書いたけど、お構いなしに、この記事を書いて、親孝行の話をしている。後ろ手に隠した者は、もう捨てたのか。
あなたはシャロームの後継ぎになるかもしれません。それとも、あなたの筆致は、楽山に似ていますが、あなたも、成りすましなのでしょうか。
2019/7/7(日) 午後 5:20 st5402jp
https://blogs.yahoo.co.jp/mine197272/69067828.html
2019/8/28(水) 午後 6:11 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 」
 
(私)
筆致が似ていたので、聞いたところ返事が無かったということです。
それで、成りすまし疑惑のキャラが一つ増えたということです。
その疑惑は、今も続いていますが、楽山は何を不当みたいに言うのでしょう。
他ブログのコメントまで使って、おとしめるような悪意の
きわめて卑怯な社会悪を追求しているのです。
 
(楽山)
話はガラリと変わって、
先日このコメント欄で、私が「ありがとう」と伝える事、子供を大事にすることについて投稿したのと、
ほぼ同時刻に、マリアさんも同じようなテーマの記事を投稿してたらしい。
こういう偶然はたまにあるけど、ちょっと、おもしろい。
・娘が、、今朝も、
2019/8/24(土) 午後 5:30
https://blogs.yahoo.co.jp/magtaranomaria/43324680.html
 2019/8/24(土) 午後 5:27[ 楽山 (自由) ]
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41571142.html
2019/8/28(水) 午後 6:14 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
また、他のサイトの記事を拾って、自己正当化を図るのでしょうか。
悪人には、役目があるというより、義理や、引けないとか、生活のためとか、事情がある場合もあるでしょう。それは、キリストが憐れんで救うような悪人の場合です。
楽山とシャロームは、そういう悪人ではなく、非を認めない社会悪の偽善者なのです。
 
(楽山)
また思い出した。
いつぞやは、私がシャロームさんと話してたら、stさんはこんなことを言ってきたのだった。
「シャロームと話すな。話すなら、シャロームの仲間として批判するぞ!」
私は、この時、
「『みんな、あいつを無視しろ』という、いじめの主犯みたいだな」
「こんな脅しめいたことを言うのは、私のことを、脅せば言う事を聞く奴だとか、子分だとか思ってるのかな」
「『批判したくない人に、批判することを強要しない』とか書いてたくせに、シャロームさんに対して自分と同じ立ち位置につくことを強要してるじゃん」
など、疑問に思ったのでした。
2019/8/28(水) 午後 6:27 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
「するぞ!」という乱暴な口調は、明らかに、楽山の捏造です。とても下等な印象操作です。こういうことをしてくるのです。だんだん、人格破壊が進んで、キレかかってくると、見境がなくなる楽山であることが明らかになっています。怖い一面が出てきました。
(私)
批判したくない人に批判することを強要しない、というのは、批判する主格のことを言っているのですが、シャロームは、批判対象です。楽山の理路は、意味不明です。
 
(楽山)
もう一つ思い出した。
シャロームさんとある程度の距離を保った会話をしてたら、stさんが唐突に、「二人はマブダチですか」とか問うてきたのだった。
私は、見れば明らかなように距離を持った会話してるのに、マブダチはないだろうと思いつつ、ネット上の知り合いですと答えたのだった。
この時、シャロームさんは私のことを案じてくれたらしく、知り合いというのは取り消した方がいいと言ってくれたけど、私は何となしにペテロの否認のことを思い出してそうはしなかった。
これはstさんから攻撃される一因になってるかもしれないけれども、自分の良心としては、「シャロームさんとはマブダチでも知り合いでもありません。そんな人は知りません」とか嘘を言わないでよかったと満足してる。
2019/8/28(水) 午後 6:35 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
「マブダチ」は使わないと思います。
野卑をそんなに否定はしませんが、楽山の意図は印象操作です。
楽山は既にキレて、破壊が進んでいるようです。
(私)
ペテロの否認は、ペテロが激しく泣いて、悔い改めにつながります。
自分をペテロになぞらえる楽山の気が知れません。反省と悔い改めの欠片もないのに。
(私)
悪い友達は、悪さを共有して、仲間ぼめをする、ということを自ら表しています。
友情を表したつもりのようだが、我を通して相手をおとしめるだけの、
乾いた砂のような、温もりも潤いもない仲間たちのコメントです。
 
(私)
真理を得たと浮かれて他者より偉くなったと得意になるのがカルトです。
真心を得たと感動して他者より感じやすくなるゆえに冷静になるのが信仰です。
 
 
(2019年08月31日)
 
 
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議論と保身(4)

 
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(私)
楽山の、みすぼらしい言い逃れの詭弁です。どこまでも、非を認めないという性質だけでも、いずれ、具体的な社会悪となってゆく要素なのです。
 
(楽山)

>会話の途中ではありません。コメント投稿の途中です。それが、まだ書き込みがあるか、すぐあるか、ないのか、すぐ分かるという楽山は、千里眼でも持っているというのでしょうか。
 」
これは話が違ってきてますね。
これまでの流れをコピペするとこうです。
2019/8/28(水) 午前 7:04 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
ということらしいが・・
 
(楽山)

>私が他の方と話をしてるときに、強引に割り込んできて、攻撃的なコメントを連投するということが、ちょいちょいあるし、これは御勘弁ください。
 」
2019/8/26(月) 午後 9:32[ 楽山 (自由) ]

>これも、呆れた話です。コメントの遣り取りの途中であるか、一休みであるか、大方、区別はつかないものです。それを分からずに上のようなことを書いてくることこそ、独りよがりの自己中心の表れなのです。
2019/8/27(火) 午前 5:23st5402jp
 」
2019/8/28(水) 午前 7:05 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
私は、コメントの遣り取りのことを書いています。何がおかしいのでしょう、何が、あれ?、なのでしょう。
 
(楽山)
>普通は、会話の途中か、一段落したかはすぐ分かるもんだと思いますが、もし分からないのであればしょうがないですね。失礼しました。
>2019/8/27(火) 午後 10:00[ 楽山 (自由) ]
 
(私)
楽山は、コメントの遣り取りから、ここで、会話という言い方をしています。
むしろ、この楽山のコメントが、あれ?なのです。すり替えだと思います。
 
(楽山引用)

>会話の途中ではありません。コメント投稿の途中です。それが、まだ書き込みがあるか、すぐあるか、ないのか、すぐ分かるという楽山は、千里眼でも持っているというのでしょうか。このように、仲間意識で偏向しているために常識的判断が出来ないのが、シャロームと楽山の特徴です。
 」
2019/8/27(火) 午後 11:40st5402jp
2019/8/28(水) 午前 7:05 [ 楽山 (自由) ] 返信する
(楽山)
これを見ると、
stさんは当初は、複数人の「コメントの遣り取りの途中」かどうかを念頭において話してた。
私は、複数人の会話の途中に割り込まないでといってたのだから、これは当たり前です。
でも、stさんはなぜか急に、一人の「コメント投稿の途中」の話に変えてきた。
 
(私)
大丈夫ですか。遣り取りするためには投稿するわけですから、コメント遣り取りも、コメント投稿も、いっしょです。私は、一人のコメント投稿など、書いてはいません。二人以上の複数でなければ、相手がいなければ、書き込みがあるかどうかが分からない、ということは成り立ちません。どこに、複数とか、一人の、とか書いてあると言うんだ。何を言ってるんだ。いい加減にしなさい。
(私)
コメントの遣り取りというテーマは、何も変わっていません。あなたの読み違いです。読解力が無いのです。こういうことで苦情を言える根性が信じられません。さすが、カルト、手段を選ばない。どうやら、わけのわからないことを、言い張って凌ぐつもりのようだ。
 
(楽山)
察するに、
stさんは、自分は空気が読めないことを自分で暴露してしまったことに気が付いて、話を変えて誤魔化し、ついでに楽山に嫌みを言い、シャロームさん共々こき下ろしたということでしょう。
2019/8/28(水) 午前 7:06 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
空気なんか関係ないです。誤魔化してなどいません。楽山は、コメント、会話、などと変えているが、私は、一貫して、相手のいるコメントの遣り取りについて書いています。
(私)
コメント投稿において、後の誰かのコメントが、すぐ来るか、来ないか、しばらくして来るか、ということは分からないと言っているのです。
(私)
愚かな楽山です。私は最初から、コメントの遣り取りのことを書いています。楽山は途中から会話ということになっている。こういうのを、いちゃもん、言いがかりというのです。
(私)
楽山は、夢でも見てるんじゃないか。でなければ病気か障害です。でなければ、作為の、とにかく何か言ってやろうという嘘っぱちです。楽山は、被害妄想に陥って、それに合わせて、でっち上げの、通らないことを言い張っています。もはや、何の理解も出来ないのでしょう。
 
(楽山)
これは分かりやすい例ですが、stさんにはこういう「あれ!?」と思わせられることがちょいちょいあります。もう少し踏み込んで言うと、偽善だ、詭弁だ、カルトだというシャローム批判は、自分自身をシャロームさんに投影してるだけじゃないかと思うことが度々あります。でもそれを指摘すると、逆ギレ、粘着される結果になるので、スルーすることになります。
 
(私)
完全に、言い逃れのカルトの罵詈雑言モードです。結論だけを決めつけるというやり方で、おとしめにかかっています。きたない。恥ずかしくないのか。
(私)
自分が逆ギレして粘着、すなわち、ねちねち執拗に、いちゃもんを並べているのに、自分が言われそうなことを、こちらに当ててくるという、シャロームもやっていた言い方で、また、おとしめてきました。さらに、投影という、シャロームの言ったいたことをも、当てつけているが、よほど、二人は、投影という言葉が魔術的に見えて、好きなのでしょうか。シャロームと楽山の共通した、罵詈雑言となっています。
 
(ネットより)
心理学における投影(とうえい、英: Psychological projection)とは、自己のとある衝動や資質を認めたくないとき(否認)、自分自身を守るためそれを認める代わりに、他の人間にその悪い面を押し付けてしまう(帰属させる)ような心の働きを言う[1][2]。たとえば「私は彼を憎んでいる」は「彼は私を憎んでいる」に置き換わる[2]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%95%E5%BD%B1
 
(私)
投影というのは、策略の詭弁としては、まさに、自分が言われそうなことを、相手に当てはめるのに好都合なようです。詭弁家の、弁明が出来なくて困ったときの便法なのでしょうか。汚いです。
 
(楽山)
またシャロームさんが他の人と会話をしてるとこに、stさんが乗り込んでいっているのをみると、そこのブログ主さんはシャロームさんとは話しても、stさんをスルーしてるようです。
 
(私)
それはね、ある程度承知の上です。なぜかと言うと、私はシャロームだけを批判しているからです。文脈と流れから、楽山は分からなかったですか。しかも、他のサイトのことを、ここで書いて、おとしめの材料にしているのは、実に汚いです。楽山のケダモノ性か怪しい香具師(やし)性が表れています。
 
(楽山)
このことからもstさんをスルーするというのはそう間違ってないようだという判断になりますし、stさんのシャローム批判を真に受けてシャロームさんを無視したり、非難する人はいないようなので、stさんから批判されてもいちいち反論する必要もなく、スルーでよいということにもなります。
お節介なことかもしれませんが、stさんはいろいろと反省した方がいいです。
2019/8/28(水) 午前 7:08 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
「スルーするというのはそう間違ってないようだという判断になります」
「スルーでよいということにもなります」
自分に許可を与えているような言い回しです。その割に、嘘の汚い言いがかりで、おとしめてくる楽山です。これが、カルトであり、荒らし体質であり、理屈倒れであり、言いがかりである楽山のやり方なのです。こんな人が、人生について宗教について書いても、いい加減な内容の刷り込みにしかならないのは当然だろうと思います。相手を、混乱させ、疲労させて、難を凌ごうとするような、いわゆる輩(やから)なのです。
(私)
楽山が、人の意見を、楽山の都合に合わせて取捨して、勝手な文脈を作るのなら、自覚も罪悪感も病識ない楽山の文章など、見る価値は皆無だと思います。
 
(楽山)

>楽山の記事と変わりはないのです。都合の良いところだけ、反対できそうなところだけ、拾って何やら、おかしなことを言い、あとは忘れているアドラー教なのです。近寄れば、滅びます。
 」
紙幅も、時間も限りがあるので、すべてを書くのではなく、テーマ、状況を絞って書くのはあたりまえです。
 
(私)
テーマは絞っています。たとえば、ここでのテーマは、楽山の偽善と詭弁です。それでも、楽山とシャロームの文章は、始めから前提が偽善であり、総てが自己中心の妄想で出来ているのです。だから長くなるのは当然であり、短くしろ、などというのは、悪も偽善も認めたくない者、楽山とシャロームの、逃げ口上です。騙されないでください。
 
(楽山)
だから、たとえば、Aという個性で、Bという状況を設定して書いた人生論的な文章に対して、Cという個性とDという状況では該当しないと批判したところでそれはナンセンスであり、文章の背景を読み取れてないということです。
stさんは空気を読むのが不得意だったり、相手を批判したいという気持ちが強すぎるせいか、この辺りのことを読み取れず、的外れなことを書いてることが多いです。注意した方がいいです。
2019/8/28(水) 午前 7:15 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
理屈を書いているつもりのようだが、人間の心の発露と表現に対して、A,B,C,D、意味不明です。遣り取りしている最中に設定できるわけがありません。楽山やシャロームの無感動で平板な世辞と違って、人間は動く活性を持っているからです。楽山は人と人の意見を見るのに、プログラムのチャート図でも見ている感じなのでしょう。これで何か、説明したつもりなのでしょうか。
(私)
楽山の、理解力、理路と情緒の鈍化に加えて、説明力、説得力の欠如が、あらわになっています。
道理で、小学校の作文のようなものや、ボンヤリ言語になるはずです。
(私)
>「stさんは空気を読むのが不得意だったり、相手を批判したいという気持ちが強すぎる」
根拠が、まるで示されていない、楽山とシャロームの多用するいつもの決めつけです。
(私)
「この辺りのこと」?・・、何を、いい加減なことを言っているのでしょう。一刻も早く、真実追求と紛らわしいカルト記事を引っ込め、ブログを閉じてください。そして、二度と公共の場に、詭弁と嘘を抱えて出てこないでください。あなた方は、社会悪なのです。
(私)
楽山は、文脈も状況も空気も、何も読み取れていないことを、ごまかすために、勝手な理屈を捏ねて理屈倒れになっているだけです。楽山そのものが意味不明だからでしょうか。このようなコメントで、答えたつもりでいるなんて、今回は、祭りのインチキな出店のように、理路も目的も情緒も安っぽくて、みすぼらしい楽山です。
 
(私)
私は、努めているのであって、何も得意なものなどありませんが、ナルシシストの楽山は、いつも、分かっている、知っている、という立場から見下ろして、嘘や小細工をもって、詭弁臭を吹きかけてきます。みじめな末路をさまよっている偽善者たちは、今も、自分だけは、見ようとしないのです。
 
(シャローム
> st5402jpさん おはようございます
(私)
キリスト者の正しさは、言動の正しさではありません。
 (私)
キリスト者の正しさは、祈りと赦しが必要なほどの告白の正直さ以外ではないのです。
 (私)
 神の前に、キリストの御名によって祈る心得は、正しさではなく正直さであります。
 (私)
 神に背くような、人間としての弁えの鈍い者たちは、やたらと正しい立場を売りに出していますが、
 (私)
 私たち信仰者は、既に、自らが正しくないことを認めた人間であります。そのような人間が、救いを求めるところは、豪語ではなく、礼儀ではなく、美辞麗句ではなく、世辞ではなく、思い込みではなく、ただ神に対してのみ、一途に正直であろうとすること、そのただ一点においてのみ、救われる信仰者がいて、救い主がいるのです。
2019/8/27(火) 午前 5:25st5402jp
2019/8/28(水) 午前 9:57 [ shalom ] 返信する
 
(私)
何か、それがシャロームの有利に働くと思っているのですか?
あなたは、やたらと正しい立場を売りに出している人なのですが。
あなたは、自分が正しくないことを認めたことがないのですが。
あなたは、豪語し、礼儀と美辞麗句と世辞を振り回し、思い込み、神に対して、一途に偽りをもって、その一点において、信仰を台無しにしているのですが。
また、日本語を間違えましたか?
 
(シャローム
自らが正しくないことを認めた人間で・・・そのような人間が、救いを求めるところは、豪語ではなく、礼儀ではなく、美辞麗句ではなく、世辞ではなく、思い込みではなく、ただ神に対してのみ、一途に正直であろうとする信仰者は・・・stさんだけで、そのただ一点においてのみ、救われる信仰者がいて、救い主がいるというのです・・・ね。
shalom!
2019/8/28(水) 午前 9:58 [ shalom ] 返信する
 
(私)
一途に正直であろうとする信仰者ではなく、嘘八百で讃美するペテン師、その一点において、救われる信仰者も、救い主もいない、というあなたシャロームなのですが。
また、日本語を間違えましたか?
2019/8/28(水) 午前 10:42 st5402jp 返信する
(私)
どうやら、シャロームは、私の書いたことを引用して
「・・・stさんだけで」と、茶化したかったようですが、
「・・・ね」という、ふざけた書き方で悪意の念を押したつもりのようですが、
神に対して正直であろうとするのは、ごく自然なことで、悪意は功を奏さず、
代わりに、シャロームの赤っ恥に変わるのは、シャロームの人格破壊が進行しているのでしょう。
神に対して、不正直であり、かつ、神を騙そうと企む者が、自ら報いを受けているのでしょうか。
神は、人を真実へ向かわせます。その神を悪用する者は、逆へと破壊されてゆくのでしょう。
何かの超常の魔法というのではなく、人間が、そのようにできているようなのです。
しかし、シャロームは、それを恥と受け取らないでしょう。
それが、反省しないシャロームという人です。
2019/8/28(水) 午前 11:33 st5402jp 返信する
(私)
いずれ、シャロームは、ふるえて眠るようになるでしょう。
2019/8/28(水) 午前 11:34 st5402jp 返信する
 
 
(2019年08月30日)
 
 
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議論と保身(3)

 
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(私)
楽山の、お仲間シャロームへの依怙贔屓が全開になっています。正義などお構いなしだということは前から知っています。シャロームが元々のお仲間であることが明らかになっています。カルトの仲間だということです。おぞましい限りです。一面的、一方的、が目の当たりになっています。
 
(楽山)
>shalomさん、おつかれさまです
臭い臭いと文句を言いながら、他人のおしりをなめ続ける生き方って、なんだか、すごい表現です。でも言ってる意味ははよく分かる。
2019/8/27(火) 午後 10:00 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
尻出しの汚い表現でも、楽山は褒めるしかありません。お仲間ですから。
楽山がシャロームと共にする汚さがよく分かる。
 
(楽山)

>これも、呆れた話です。コメントの遣り取りの途中であるか、一休みであるか、大方、区別はつかないものです。それを分からずに上のようなことを書いてくることこそ、独りよがりの自己中心の表れなのです。
 」
普通は、会話の途中か、一段落したかはすぐ分かるもんだと思いますが、もし分からないのであればしょうがないですね。失礼しました。
でもこれが分からないなら、連投しすぎは止めてくださいといっても、伝わってないかもしれませんね。
一応、具体的にいうと、連投しすぎは止めてくださいというのは、5連投以上は止めてくださいという意味です。
2019/8/27(火) 午後 10:00 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
会話の途中ではありません。コメント投稿の途中です。それが、まだ書き込みがあるか、すぐあるか、ないのか、すぐ分かるという楽山は、千里眼でも持っているというのでしょうか。このように、仲間意識で偏向しているために常識的判断が出来ないのが、シャロームと楽山の特徴です。にもかかわらず、すぐ分かるもんだという無責任なことを平気で言うのも特徴です。
(私)
言葉を、5コメまで、という、心ではなく、数で評価するのは、実に、言葉軽視の楽山らしい。詭弁で出来ているから、レスが5コメで収まるかどうかは、全く保証外のことです。楽山は、言論の本質について、まるで分っていない、ということが明らかです。また、ねちねち書いてくるのだろうか。
 
(楽山)

>楽山に対しては、物わかりのよさそうな言葉面に騙されていたと分かったのは、シャロームの意見が常識的にも通らないところで、根拠もなくシャロームの味方をしたことで、信頼してはいけない相手だと知って批判をしています。
 」
この流れについては、shalomさんのコメントで読んだ覚えがあります。
内容は不正確かもしれませんが、大体こんな話だったと記憶してます。
stさんは、誰かと知り合った時に、はじめはすごく謙虚に対応する、
相手もこれに応じて礼儀正しく対応する、
でもそのうちに、stさんの態度に、あれ?と思ったりして、徐々に距離を取るようになって行く…云々。
ざっくり言えば、私もこういうパターンだったということです。
shalomさんは、空気を読んだり、状況を把握したりできる人のように思います。
2019/8/27(火) 午後 10:03 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
私は、楽山のコメントを直接受けた経験から言っています。
私は、すごく謙虚ではありません、ふつうです。批判に転じてからは、相手がシャロームか楽山だと、無視が頻繁なので、だんだん厳しくなったということです。
(私)
あれっと思うのは私のほうです。そこから、私は一種独特な詭弁臭というものを学びました。嘘を吐くときの、文章に表れた、似ているけど違う別の言葉に置き換える、理路をごまかす、ニュアンスの違いを利用する、曖昧な全般を個別に当てはめる、個別を全般に広げる、などの詭弁が、すごいわけです。
(私)
人間ならしないような呆れる騙しのテクニックです。今もしています。だいたいこんな話と言っているのは、シャロームと楽山に当てはまることです。自分が言われそうなことを先に相手に当てはめてくるという彼らの汚さは忘れることが出来ません。
 
(楽山)

>シャロームの、やさしそうな言葉は、全て嘘だと知ってほしいです。
 」
stさんは、この手のシャローム批判を何度も書いてます。シャロームの丁寧語に騙されるなとか。
 
(私)
まさに、シャロームについても、楽山についても、そういうことです。
 
(楽山)
でも私は、この一年ほどシャロームさんを見てきましたけど、大体いつも変わらないです。どこで誰と話しても、大体同じ感じ。
 
(私)
矛盾していません。いつも変わらず、嘘を吐いてきます。いつも、嘘を基調に、神を讃美したり、豪語したりするわけです。
 
(楽山)
シャロームさんはクリスチャンで政治的には左寄りっぽいらしいでけど、ノンクリで右寄りで唯物論っぽい話をする私に対しても、怒って攻撃してくることもない。
 
(私)
ノンクリで唯物論って話だけなら、私は批判しないでしょう。唯物論や自然科学には興味もありますから。シャロームは、楽山に、怒るわけはないですね、攻撃するはずもないですね、お仲間だから。楽山は、無意味なことを書いています。
(私)
つまり、楽山は、私が偏ったことを強要するというイメージをここで作りたいのです。ネトウヨや悪い政治宣伝の言い分や刷り込みと同じようなものです。宗教についても、宣伝で料理してやろうという悪だくみが明らかになっています。ますます危険人物としての楽山の誘導が明らかになっています。もっと浮き彫りに出来ればと思います。
 
(楽山)
私は当初は、シャロームさんに皮肉はダメだとか批判的なことを書いてたけど、そのときも逆ギレはしなかった。
 
(私)
シャロームは、お仲間には、逆切れとかしないです。どうしても、独立した人格と思わせたいようです。なりすましかどうかにかかわらず、お仲間同士が宣伝し合って、不都合分子を排除しにかかっているだけのことです。正体は、恐らく、とても怖い連中なのです。
 
(楽山)
一方、stさんはといえば、はじめは私にすごく慎重に丁寧に応対してた。でも考え方の相違点が出てきたら態度は豹変した。
 
(私)
私は、すごく慎重に丁寧に応対などしていません。私はストレートです。豹変ではありません。卑怯者に対して変化しただけです。丁寧、豹変、これらは、私についての、ひどい人という印象操作です。こういうことだけを学んできた者たちなのです。心を学ばないで、小手先の言葉の細工だけを学んできた、という、足らない自分を自覚できないナルシシストの醜い姿なのです。
 
(楽山)
正直、こういう経験をしてると、stさんの上のようなシャローム批判は根拠に乏しく感じられます。あしからず。
2019/8/27(火) 午後 10:04 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
最初にシャロームの味方をしたときの同じような書き方です。ねちねちと根拠が乏しいと言ってきました。ネットにおいて証拠となる根拠を示すことは困難です。したがって、人間的なセンスが必要になりますが、これは、楽山とシャロームが、最初に捨てたものなのでしょう。
(私)
シャロームの、悔い改めない言い訳の、悔い改めは神が与える、などという詭弁は、悔い改めていないなら神はあなたに与えてはいない、という残念にしかならない詭弁です。その重大なことを、楽山は、スコーンとすっ飛ばして、根拠が無い・・を、私に向けているのです。恣意的でしかありえない。
(私)
根拠に乏しく感じられます、と言うけれど、都合の良いところだけ、突っ込めるところだけあげつらうのです。自覚がないから、また、同じ詭弁の筆致を繰り返しています。
(私)
あしからず・・は、皮肉の笑いです。ここで、性根を表しています。楽山とシャロームの基調にあるのは、他者を馬鹿にして、笑っている感情だけなのです。誠意の欠片もないのです。二人の丁寧語に騙されないでください。ストレートが一番正直であることを知ってください。
 
(私)
楽山が、冷静に中立に、を装って書いてくるというのは前からです。多くの人が、こういう書き方に騙されていると思います。
(私)
シャロームと楽山の二人組は、ずっと前から、カルト宣伝という目的によるところの、仲間だということが、一部だけを取り出して、根拠もないのに、ねちねちと、楽山の執拗な苦情と、シャローム弁護と、詭弁によって、明らかになったと思います。
(私)
私は、今回の応答の拙劣かつ卑怯な有り様から、彼らは、本当に、根腐れだと思います。
(私)
もっともっと、言い負かしに自惚れている楽山とシャロームという詭弁家については、真実を求める人間性に基づいた人間らしい心の追求から、さらに明らかになることがあるでしょう。
(私)
シャロームは8年間、実際はそれ以上、楽山も、推測するに長きにわたって、この二人ほど、変わることなく、反省することなく、キリスト教の神を、敵に回し、愚弄し続ける者を、他に知りません。人はもちろん、神をも、恐れていない証拠です。その対立軸である悪魔性が基調なのでしょうか。
2019/8/28(水) 午前 0:10 st5402jp 返信する  
(私)
楽山は、都合の良いところだけ、反対できそうなところだけ、拾って何やら、おかしなことを言い、あとは忘れるという徹底した自己中心主義のアドラー教なのです。近寄れば、滅びます。
(私)
神は、自己中心の者の神ではない。 何故なら、神が中心におられるからだ。
 
(私)
補足的に・・既に(2)のほうに、シャロームの心ない決めつけについて批判を書きましたが、シャロームは、キリスト信仰とは真逆の、罪は気にしなくていい、罪は悔い改めなくても救われる、という偽信条を持っています。そして徹底した自己中心で、何の節操もなく、歩み寄る人を騙して、世辞を返されて気分爽快となるシャロームです。
(私)
つまり、シャロームにとっては、騙しおおせて世辞と偽りに生きていることが順調な人生であり、批判されている今が異常だ、被害だという認識になっています。認識もまた真逆なのです。以上から正常に戻ることは、シャロームにとって、苦痛なのでしょう。しかし、シャロームの自己中心の順調さは、関わるものにとって甚だしく迷惑であり有害であります。
(私)
こういう極めて常識的なことが、何十年も分からないでいるというところに、シャロームの悪性の病巣があります。そして、その偽りの程度は、社交の世辞の表面的なお付き合いの弊害を、はるかに越える犯罪性を持っています。シャロームは、いつも、既に勝っている上からの立場に自分を置いて、批判されると、批判者を打ち負かすためだけの、嘘っぱちの、動じないぞ、という、人を食った言い方で、また嘘を重ねたり、劣った者に教える高慢な態度で貶めてくるのです。
(私)
罪を犯して笑う宗教人?は、偽善を善と勘違いして、罪を感じる罪悪感が麻痺しているか、元々持っていない者なのです。
 
(私)
偽善は、あらゆる罪の中で、キリストが、それゆえに赦さなかった最大の罪であり、二千年前に、既に、キリストが、屈しない命をもって、明らかに伝えているのです。罪は、悔い改めることがありうるが、偽善は、悔いない傲慢を既に内包しているから、と言ってよいでしょう。
 
(私)
私などは、善より、はるかに悪と罪のほうが多い人間ですが、キリストに出会うことが救いとなったのは、キリストすなわち神の前に正直な人には、犯罪人であっても赦して信仰の義を与え天国を約束したからです。
(私)
罪に塗れている人間は、それを上回る善行を神の前に捧げることなど出来ません。何故なら、自らの犯した罪の原因と結果を総て辿ることが人間にはできないからです。だから、一つの罪の原因を完全に除くことも出来なければ、完全に償うことも出来ないのです。そこに人間の不完全性があり、罪性があるのです。
(私)
では、善ではなく、信仰として、人間が捧げられるものは何なのか、ということを考えると、もはや、罪人であることを認めて、神の前にだけは正直に生きてゆくこと以外にはありません。すなわち、人間が、神に捧げることの出来るものは、ただ一つ、精いっぱいの正直以外にはないのです。
(私)
そのことから、いかに慈善事業に参加したり、いかに親切を心がけても、神の前に、故意に偽れば、救いを拒んでいることとなり、神のとの御縁を人が自ら否定することになるのです。また、人に対する正直や善行は、信仰の表れとしての結果に過ぎず、救いを担保する何ものでもありません。
 
 
(2019年08月29日)
 
 
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議論と保身(2)

 
  議論と保身(2)
 
   嫌われる勇気
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   楽山ブログのコメント欄の続き。私のコメントは、大方、記事用です。
   批判対象:楽山と、シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼 )
 
 
シャロームが、口を出してきました。夜のこの時間にシャロームがネットするというのは、あまり見たことがありません。成りすましを疑る根拠が一つ増えたかもしれません。
 
(シャローム
> st5402jpさん こんばんは
「愛とか心とか信仰とかいったテーマについて、楽山、シャローム、易坊は、書けないのではないかと思っています。」
あなたにとって「愛とか心とか信仰とかいったテーマ」は
現実のテーマではなく、ブログという仮想現実だけで虚しい言葉を書きつらねる言葉遊びをすることのようですね。
 
(私)
シャロームは、無責任な妄想の言い張りだけを続けていますが、まだ、自分の意見が言えると思っているようです。仮想現実、空しい言葉、言葉遊び、いずれも根拠が皆無です。こういう人を、まともに相手にしてはいけません。意味もなく挨拶していますが、根性は、荒らしと同一なのです。
 
(シャローム
だれでも人は自分の人生ノートにそのテーマについて書くべき言葉をさがし求めながら生きているのではないでしょうか。
 
(私)
シャロームは、違うと思います。シャロームが書けば、ノートは罪と偽善だらけになるからです。にもかかわらず、こういう、説教口調で書いてくる、それが、シャロームです。聖書に書かれている偽善者よりも、うわべの丁寧な分だけ、裏切りの悪性度は高いのです。
 
(シャローム
人のノートの書かれている言葉が気に入らないからと言って、
ただ人を誹謗、中傷するばかりなのですから、あなたの仮想現実という土俵でしかないノートでかわす言葉なんて一言もありませんよ。あなたもそうではないのですか。
2019/8/26(月) 午後 11:02 [ shalom ] 返信する
 
(私)
気に入らないから書いていると、既に、私が否定したことを、また、あげつらってきます。この人は、根腐れなので、理解力も読解力もなく、言いたいことだけを言って終わりなのです。そして、誹謗中傷と決めつけています。読めないからでしょう。言われそうなことを、言ってくるのです。ネズミかゴキブリのようにゴソゴソと、ウンコのような雑言を振りまく活動様態です。決して近づいてはいけません。
 
(シャローム
あなたが今日一日、明日、その後どのように「愛とか心とか信仰とかいったテーマ」に向き合って、自分のノートにどのような言葉を書くか、他の人とどのように生きるかはあなたのテーマです。たまたま共感し合ったり、そうできないとしても、あなたはあなたであり、私は私であり、私の生き方にあなたが干渉したり、また、あなたも他の人に干渉渉されることでもありません。
 
(私)
テーマに向き合って、どう言葉を書くか、どのように生きるかが、私個人だけの問題だと言っています。とんでもない、これは、重要な人間一般の問題です。シャロームは、どんなに迷惑をかけても、自分勝手に吹聴し、自分勝手に生きてきたから、考えたことがないのでしょうか。
(私)
人は人、自分は自分、という自己中心の身勝手を、真実追求においては、既に私は、何度も否定してきましたが、また、書いてくるのです。何も受け取っていない証拠です。自分に都合の悪いことは何も受け取らない人です。人間とは思えないです。
(私)
鈍感が敏感のふりをし、無理解が理解のふりをする、という、見栄だけで、悪口を決めつけてくる人型のケダモノだと思います。サイコパスと言ったことがあります。この人と関わることは、滅びを選ぶことに等しいと思います。
 
(シャローム
もし、そうできないのであればあなたはかけがえのない自分の自尊心を乗っ取られてしまい、自己肯定感のないまま自立も、自律もできていないからではないでしょうか。
 
(私)
最近、シャロームは、私が何かに乗ったられたからみたいなことを書いてきます。根拠を示せないのに、平気で書いてくる異常者です。シャロームこそが妄想に支配されることが他者に有害となる実例を示しています。
(私)
前に、唐突に、あなたは自他未文化ですね、と書き始めたことがあります。どこからか仕入れて言葉を分かりもしないで当てつけてくる低劣な悪口が特徴です。そして、賛同者には、痒くなるような世辞を平気で言います。このような人がいること自体、驚きでした。今も何も変わっていません。
 
(シャローム
心を乗っ取られた怒りと不信、うらみをぶつけて他の人の心を自分の支配のもとに取り込もうとしても、自分の心を取り戻すことは出来ませんよ。それ心を癒し、回復してくださる方がイエスさまです。あなたのイエス様にはできないのですか。
2019/8/26(月) 午後 11:04 [ shalom ] 返信する
 
(私)
約8年間の、シャロームキリスト者ではないという批判があり、反論も弁明も出来ず、今も続いている現状で、上のような癒しと回復を語ることが、実に気色悪い偽善の表れになる、という長い文脈の流れが、シャロームには分からないから、気づくこともなく、また、書いてきています。吐き気がします。

(私)
怒り、不信、恨み、いずれも、シャロームの言動の源泉です。それを相手に向けて、心を乗ったられたなどといっています。シャロームは、心の無い人です。
(私)
シャロームの讃美言葉の酸味は、腐敗しか表しておらず、実に気持ち悪いことです。
(私)
「あなたのイエス様にはできないのですか」という言い方でも分かるように、シャロームのキリストは何でも癒やして回復してくれるシャロームの奴婢のような存在なのでしょう。このようにキリストを私物化しているのがシャロームなのです。
(私)
シャロームの神は、ただシャロームを愛してくれて、誉めてくれて、救ってくれるだけで、戒めもせず、懲らしめもしないのでしょう。そんな信仰が、人間にとって、何の助けになると言うのでしょうか。シャロームのキリストは、さぞかしシャロームそっくりの顔をしていることでしょう。身の毛の弥立つほど気持ち悪いことです。
(私)
このように、以前から、根拠なく批判者を病気と決めつけて、求めてもいない説明をしてきます。恐らく不都合な場合には、いつも、このように他者を悪か病気に決めつけて逃れてきたのだろうと思います。卑怯だけ、嘘だけ、偽りだけ、偽善だけを、生きる生業にしてきたのだろうと思います。決して近づかないでください。
(私)
シャロームが、回復してくださるのがイエスさま、と言っているのは、聖書のキリストではなく、シャロームの救われ妄想の中で、いつもシャロームの味方となり、いつもシャロームが正しいと言ってくれる捏造の偶像です。加えてシャロームがキリストを讃美するとき、シャロームは、褒めておけばいいじゃろ、という、最悪の罪を犯しています。有形無形の事実を総て、既に、ご存知の御方に対してです。
(私)
このように、聖書とキリストと神を悪用しているのですから、その罪と偽善の重さは、測り知れません。しかも、恐らく、故意だろうと思います。罪だけでなく、神とキリストについても、利用する以外、何とも思っていないのだろうと、最近、私は、思います。
(私)
本気ならば、本気で信仰によって、批判に抗してくるはずですが、時に「(笑)」と書いたり、今回のように牧師の説諭であるかのように装って、実際は、嫌らしい当てつけと悪口しか言っていないのです。
 
(シャローム
私と、楽山さんと易坊さんはなりすましの同一人だという
あなたの妄想に付き合っているほど時間はありません。
もう十分すぎるほどの多くの時間を費やしているとは思いませんか。
 
(私)
時間があるかどうかの問題ではありません。
(私)
私は成りすましの疑惑と言いました。妄想は決めつけることです。また、間違えている。
(私)
そして、妄想は、シャロームが持っているものです。そして、今、私を対象にして、妄想だと言っている悪口が、その例です。いつも、シャロームは、何でも人のせいにする最悪の実例にしかならない、ということが表れています。
(私)
多くの時間を費やしても、不感不応の、オトボケや、繰り言や、妄想が返ってきます。シャロームを説得することは、とうに諦めています。シャロームが出てくるたびに、批判を貼りつけて、警戒を呼び掛けています。
 
(シャローム
人はそれぞれ、自分の思い、感情、言葉、行動には自分に責任があるのです。
 
(私)
その責任を、一切、負うてこなかったのがシャロームです。また、自分の言葉で、自分を斬っているようですが、今まで、ずっと、あらゆるシャロームの言葉が、シャロームを斬り、否定する根拠となっているのです。シャロームの低劣な発言を見るたびに、その醜い根性がますます臭ってくるからです。
 
(シャローム
私たちだけではなく、誰もが認めようと、認めなくても、生ける神の御手に守られ、御手に導かれ、愛され、生かされているというのが私の信仰なのです。
 
(私)
シャロームの讃美言葉の酸味は、腐敗しか表しておらず、実に気持ち悪いことです。
(私)
神は、嘘を、偽善を、神の名を悪用した無罪妄想を、守るでしょうか、否であります。シャロームは、聖書から都合の良い言葉だけをベロベロしゃぶっているだけで、聖書を読んでなどいないと思います。
(私)
神は、偽善者を守る神でないことは聖書から明らかなのです。シャロームは、聖書から、欲望の保証を受け取っているようですが、そのような神は、どこにも存在しません。このように、信仰という生き方の真実を求めるテーマにおいては、人それぞれは決して成り立ちません。
(私)
シャロームは、生ける神の御手は、偽善者をいずれ滅ぼすということを、聖書から学んでいないのです。神さえも欺いて、今も、平気で信仰?を説こうとする悪意は、いかなる詐欺師よりも、激しい病理の発露として、ネットをヌルヌルと邪悪さで滑りやすくしてゆくだけなのです。
 
(シャローム
あなたがどのように考え、思われるかはあなたの自由です。
いつまでも私のお尻をなめるような生き方をしているのはあなた自身であって、くさいくさいと文句を言っても、それは私のせいではありません。
 
(私)
シャロームは、言わなくてもいい自由を書いたあとで、おかしなことを書いています。
自分に対してお尻を持ち出すのは珍しい比喩の書き方ですが、シャロームは、とりわけ臭さを強調したいのでしょうか。シャロームは、すでに破壊されている途上ですから、そういうことも、あり得るのでしょう。人格の低格化、シャロームを動かしているのは、とても、原始的な感情反応に基づく嘘と詭弁と悪口です。今後さらに醜くなり、最後はパニックのうちに狼狽するでしょう。
 
(シャローム
いつでもあなたが自分で自分の歩み始めればよいことです。今週でyahoo ブログもおしまいになりますから、残り少ないこれからの時間を大事にされてはいかがですか。
Shalom!
2019/8/26(月) 午後 11:05 [ shalom ] 返信する
 
(私)
「こんばんは」「Shalom!」という挨拶言葉を書けば、丁寧な説諭を言い得たと思うようです。どちらの言葉にも相応しくない無根拠の悪口ですから、発言するたびに、罪と偽善を重ねているのです。ここまで来ると、手遅れのような気がします。
(私)
巻き添えにならないように、決して相手にしないでください。批判目的以外でアクセスしないことが大事です。世辞を言われて世辞を返したらシャロームの思うつぼです。ヤフーが終われば、別のブログで、同じことを始めるでしょう。百害あって一利なしですから、筆致からシャロームと分かれば批判も続けるつもりです。
 
(私)
前にも何度か書いたことですが、シャロームは、かつて、私に対して、1.被虐待児が大人になって虐待者になっている、2.自分に人格依存しているから構ってあげないと攻撃する、3.エホバの証人に似ている、と書いてきました。3つとも根拠のない侮辱です。
(私)
1.私の幼少期をシャロームに話したことは一度もありません。私は普通の両親の愛によって育ったと思っています。それを誇りはしませんが、シャロームは、全然知らないことからも、嘘を作り出すということを知ってほしいです。それが甘言で誘う低劣な詐欺師なのです。
2.シャロームに、依存する魅力は皆無です。依存される人というのは、その言動に何らかの魅力がるものですが、シャロームは、丁寧語と讃美言葉と聖書語を乱暴に羅列するだけしか出来ません。
それで誰もが頷いてくれると思っているのでしょう。自我の弱い人はそうかもしれないので注意してください。これは楽山や易坊にも言えることです。
3.エホバの証人について、私は、食べ物の戒律があることくらいしか知りません。
シャロームは、信仰においてさえも見栄を張る的外れですが、シャロームは、奇跡で守られていて、罪は悔い改めなくても赦されるので気にしてなくていい、という原始的なカルトのご利益信仰を語っていました。これは、シャロームの発言であり、シャロームは訂正していません。
(私)
そのことは隠しながら誘ってくるので警戒しておく必要があり、何より、近づかないことが最善です。シャロームの、やさしい言葉には、作為であり、実体はケダモノだと思っています。
 
(私)
シャロームは、キリスト教について書いてきても、讃美言葉を並べるだけなので、突っ込んで聞くことで馬脚をあらわしてきたのです。そのシャロームの信仰?は、おおよそ、人間の生き方からは、かけ離れたもので、何の救いにもなりません。シャロームというキリスト信仰など全く知らない者が、自分に都合の良いように捏造した妄想に過ぎません。シャロームは、不感不応と訂正不能の猛者(もさ)、そして、反キリストの亡者となっています。
 
(私)
シャロームは、今回「尻」という下品な言葉を使っていますが、問題は、言葉使いが荒いとか下品とかいったことではありません。シャロームは、平気で嘘を吐く男です。人間としての品格も節操もないと思います。その時点で、既に、シャロームの信仰についての発言は、詐欺師の騙し文句に過ぎないのです。
(私)
だから、理路も情緒も持ち合わせていないので、批判に対して返せないで、代わりに、コメント不承認・削除による隠蔽や、無根拠の悪口など、手段を選ばないのだろうと思います。捕らえられたケダモノの、涎を垂らしながら牙を剥いた断末魔の顔を連想させるほどの、野蛮な白々しさを、約8年間感じてきました。シャロームの、やさしそうな言葉は、全て嘘だと知ってほしいです。
 
(私)
私は最初から厳しい批判をしてきたわけではありません。シャロームに対しては、まともに答えず、はぐらかし、当てつけをしてきたことから、批判に路線を変更しました。約8年前のことです。
(私)
楽山に対しては、物わかりのよさそうな言葉面に騙されていたと分かったのは、シャロームの意見が常識的にも通らないところで、根拠もなくシャロームの味方をしたことで、信頼してはいけない相手だと知って批判をしています。
(私)
楽山&シャロームのラインは、私を、自説を強要する荒らしと見なしたいようです。では、彼らの言い分は、公共において成り立つでしょうか、否です。自己中心を勧め、実践しているところの、無罪妄想のシャロームと、アドラー教の楽山は、許可されてはいけない社会悪です。そこにおいて、批判の源泉が生じることは、必然だったと思います。
(私)
皆が信じれば社会が成り立たなくなるのが、カルトであり、自己中心は、その中心なのです。良心があるなら誰でも分かるはずの常識的判断が、楽山もシャロームも欠落しています。ゆえに、既に否定されて答えられなかった言い訳を、さも成り立つかのように、やさしい詭弁として、否定されても繰り返すしかなくなっているのです。
(私)
私は、自説の絶対的正義を主張しているのではない。楽山とシャロームの言うことが、とんでもないことだから、決して成り立たない社会悪だから、批判が続いているということです。
 
 
(2019年08月28日、同日一部修正) 
 
 
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