ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

神義(2)

 
  神義(2)
 
   神義論って難しい…。
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41562913.html
   楽山のブログ記事。2019/7/20(土) 午前 8:00
   コメントの順序が前後しているところがあります。
 
 
聖書を悪用する楽山とシャロームは、人それぞれに加えて、解釈は一つではない、ということを、自己正当化のために持ち出しました。しかし、これは、同じことなのです。人間が聖書に対して施す解釈は、一通りではないのは当たり前ですが、そこには、対等の議論や話し合いがなくてはなりません。人の話を無視して、自分の解釈だけを一方的に言い続けるのは、言論において、反論できない自分は欠格だと自分で言っているようなものです。
 
まことに、話にならない無法者たちは、カルトを広める手段として、人の話を理解できませんし、理解しようともしません。そうして、出来上がった解釈が、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、などという、人を自己中心に導くものである限り、そのようなカルトの解釈と説教は、キリスト信仰とは、正反対になり、その解釈者を、反キリストと判断することにおいてのみ、十分なのです。
 
まことに、詭弁だけで、楽山とシャロームは、何も答えられないまま、似たような詭弁を繰り返して、自説を繰り返しています。何故、そうするのか、それは、何も正当な答えを言えず、それゆえに、作り事の詭弁で、駄々を捏ねるしかないからです。その結果、キリスト信仰など何も分かっていないしるしのように、幼稚さを表してゆく破目になっています。
 
 
(楽山)
>ですから聖書には、それは誰も信仰を誇ることがないため、
 誇るものは神を誇れと聖書には書いてあります。
(楽山)
 前に、聖書についての本を読んだ時に、
 聖書のなかに、矛盾した記述があるのは、
 自分を誇れなくさせるためだとあったのを思い出しました。
 解釈が一つであれば、自分は律法を守ったと誇る者が出るかもしれないが、
 解釈がいろいろ成立しうるなら、そう単純には、自分は律法を守ったと誇れなくなると…。
 私はこれを読んで、意図的に矛盾を入れてるなら、
 矛盾点があると批判したところでしょうがないなと思い、
そういうところはさほど気にしなくなったのでした…。
2019/7/21(日) 午後 7:09[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(楽山)

解釈が一つであれば、自分は律法を守ったと誇る者が出るかもしれないが、
解釈がいろいろ成立しうるなら、そう単純には、自分は律法を守ったと誇れなくなると…。

 
(私)
解釈がいろいろ成立すると言っています。成立する解釈は、議論可能で、かつ、人を生かす要素を持っている解釈です。言葉だけで、こねくり回したような、誇大的な神がかりの妄想では、いつの時代にも成り立たないし、人間を、カルトの餌食にするだけです。
(私)
性懲りもなく、自分の解釈に凝り固まって、自己中心の陰謀を、丁寧語やボンヤリ言語で、押し出して、批判者がうんざりするのを待っているのが、楽山とシャロームなのです。
(私)
誇る者は神を誇れ、というのは、信仰を誇ることのないように、即ち、説得力もなく、弁明も出来ないのに、成り立たない解釈を、一方的に押し出すような、神を恐れない所業を戒めています。
(私)
つまり、聖書は、元々、神のもとにある人間としての節操を守ることを教えており、誇るような性質のものではないということです。ですから、当然のこととして、相手に弁明も反論も出来ずに、あれやこれや、言葉を捻り回して繰り出してくる楽山とシャロームは、反キリストの背教者なのです。
 
(シャローム
> 楽山 (自由)さん こんばんは
 
「解釈がいろいろ成立しうるなら、そう単純には、自分は律法を守ったと誇れなくなると…。
 私はこれを読んで、意図的に矛盾を入れてるなら、
 矛盾点があると批判したところでしょうがないなと思い、
そういうところはさほど気にしなくなったのでした…。」
 
 自由さんらしい、物事を一方的に、一面的に決めつけないで、
 何もかも相対化すること、それが人間の有限性と相対性であることからすれば、たしかに人として一番良心的だと思われますね。
 私の場合はしばらくどうしてだろうと戸惑いましたが、神という方は人としては矛盾をそのまま受け容れることのできないけれど、人の良し悪しの判断を越えた、常にすべてのことを善にして善をすることのできる方である統合者である方だという信仰を与えられる体験をしました。人の知性や理性を越えたむずかしい神は三位一体や神義論に対する神からの答えだとも思われました。
2019/7/21(日) 午後 8:10[ shalom ]返信する
 
(私)
「人の良し悪しの判断を越えた」「善をすることのできる方である統合者である方だという信仰を与えられる体験をしました」・・これこそ、神がかりの異常体験です。何故なら、その結果、おびただしい嘘と、詭弁と、侮辱をするシャロームが出来上がったからです。この二人を、決して、ひとかけらも許容してはなりません。
(私)
悪質です。真実に近づく姿勢を持たない者たちの言い分です。カルトの宣伝臭さが満載の詭弁です。諦めが悪いのは、訂正不能の欲望のためです。
(私)
上に書いてあることが嘘であることは、シャロームが、ここでは、コメントを取捨選択して、反対コメントを承認せず隠蔽または削除することに表れています。本当に恥を知らない。
(私)
そのような者が、罪を自覚しないで、嫌がらせだけをしてきます。そうして、シャロームは、私を、根拠をまるで示さないで、病者扱いし、カルト扱いし、人格依存者扱いして、おとしめてきたのです。
(私)
彼らこそ、あらゆる罪の根源として人間性を捨てた者たちであり、その、やさしげな言葉によって、人を誘導し、騙し、人間離れのお仲間を増やしたい、欲望だけの能力、つまり、本能を剥き出しにしてきています。手段を選ばない、人の言うことを理解しない、・・本能だけの動物だからでしょう。
 
(シャローム
それは聖書のはじめに記されている天地創造についての聖書の言葉を読み、神は神の目でご覧になられ、すべてを良しとされた万物を創造された後で、人を神のかたちに似せてつくり、神のいのちの息吹を人に吹き込み、生きたものとし、すべてを統べ治めるように与えられたが、そのあとで、
ただ善悪を知る木の実だけは食べてはなりません。それを食べると死ぬと言われた意味も心にすとんと受け容れることができるようになりました。
 善悪を知る木の実を食べて生きると人は誰でも、有限で、相対的であるにも関わらず、自分お目でm手正しいと思われる善悪の善悪の基準によって、すべての物事を統べ治めるようになり、そのために、すべてのことに矛盾に直面してしまい、自己義認の罠に嵌まり、自分を義としはじめ、たがいに裁きあい、受け容れあうことができなくなり、争いに支配されてしまうということも
、あ、そうなんだと聖書の罪という言葉の意味も人の言葉や理屈を超えたこととしてわからされたように感じましたね。
2019/7/21(日) 午後 8:11[ shalom ]返信する
 
(私)
シャロームは、善悪の木の実を食べないで生きているつもりなのでしょうか。善悪の判断を自分でしていないつもりなのでしょうか。それで、コメントを削除し、嘘を吐き、詭弁を弄し、侮辱をしてきたのでしょうか。・・シャロームは、気が狂っていると思います。誰も近づいてはいけません。特に、社交の心で、受け入れ姿勢の人にとっては、シャロームと楽山の精神は、悪性であり、伝染する性質を持っています。
(私)
私たちは、信仰者も、求道者も、善悪の判断を自分でしているのです。その自覚こそが、罪を認め、悔い改める、という、信仰が生まれるきっかけとなる者です。自分の善悪の判断が不完全であることから、罪が生まれることに気づくからです。
(私)
それに気づかないままの、楽山とシャロームが、善悪の判断をしなければよい、そうなっている、という恐ろしい狂気の反信仰をむき出しています。こうなってしまうと、訂正不能になり、人の意見には不感不応になり、信仰?が、繰り言になってしまいます。
(私)
その結果、ごまかしと詭弁のみで、言い得たという自己満悦に浸るようになってしまっています。楽山とシャロームは、非常に危険です。
(私)
はっきり申し上げます。あらゆる宗教と無宗教と、あらゆる良心と良識に対して、非常に危険です。楽山とシャロームのようになったら、人間は、おしまいなのです。
 
(私)
どうか、欠点のゆえに悲しみ、不完全であるがゆえに罪を犯しても、反省するがゆえに悔い改めることの出来る人間であってください。それが、救いの必要十分条件なのですから。
 
 
(2019年07月22日、同日一部修正)
 
 
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