ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

空体語の交流

 
  空体語の交流
 
   気持ち
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41563997.html#41564746
   楽山のブログ、コメント欄。
   私のコメントは、削除されるでしょうから、おもに記事用です。
 
 
(私)
記事のほうは、前に私の批判記事にしたと思います。
「くさい」
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12497310827.html
(私)
コメント欄の冒頭は記事にしたかもしれません。
不都合を無視し、実際に忘れてしまう者たちです。
このようになったら、おしまい、と私は本気で思っています。
シャロームは8年前から、そして、楽山も、
私のコメントを、数えきれないほど、削除しています。
 
(シャローム
自由さん おはようございます
「揺れを戻し、整えることも大事。」
そうですよね。
私はやじろうべぇが好きですが、ごぞんじですか。
どんなに揺れても、振り回されることがあっても、
たしかな支点に支えられていれば、相対化の揺れがあっても、
支点によって揺れを取り戻し、整えられる…あの人形ですが。
2019/7/24(水) 午前 9:03 [ shalom ] 返信する
 
(私)
そちらは、削除するわけですから、こちらは、記事にするわけです。
2019/7/24(水) 午前 11:15 st5402jp 返信する
 
(シャローム
> st5402jpさん
「そちらは、削除するわけですから、こちらは、記事にするわけです」
そうです。私も自由。あなたも自由ですよ。
あらら、いま気がついたのですか。
2019/7/24(水) 午前 11:54 [ shalom ] 返信する
 
(私)
いよいよ、狡いケダモノの本性発揮ですね。あらら・・とは
2019/7/24(水) 午前 11:58 st5402jp 返信する
(私)
社交の世辞で、宗教を語る無理が、シャローム経由で、あなたを凶暴さをあらわにする転換点でしょう。
2019/7/24(水) 午後 0:00 st5402jp 返信する
 
(楽山)
>shalomさん、こんばんは。
やじろべえとか、天秤とか聞くと、
山本七平日本教徒の話を思い出してしまいますよ(笑)。
ところで、shalomさんは、コメント削除あり派なんですね。
自分の方は、基本的には、コメント自由派ではあります。
どんなコメントであれ、本人はこれだけは言いたいという
切実な気持ちはあるのだろうし、
削除、承認せず、というのは可哀相な感じがするので。
でもさすがに、実名を挙げてのボロクソコメントは拒否したことはありますが。
2019/7/24(水) 午後 7:12 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
コメントは他者の書いたものだから、コメント削除あり派などは正当には存在しません。答えられない者の卑怯な自己正当化です。都合の悪いことは、みな隠蔽するのです。その上で、美辞麗句を並べて、ちゃんとしているふうを装う、という、見苦しい限り。
2019/7/25(木) 午前 3:43 st5402jp 返信する
 
(シャローム
> 楽山 (自由)さん
「やじろべえとか、天秤とか聞くと、
山本七平日本教徒の話を思い出してしまいますよ」
そうですか。あの「日本教徒」は積読状態で、まだ読んでいないんです。
七平さんがやじろうべぇや天秤の話をどんな風に、どんな意味で書いていたのか気になりますね。
私はブログは自分の家だと考えていますが、いろんな人がいますので、出入りは承認制にしたり、人によっては出入り禁止にします。お断りしているのに、出入りしようとすれば締め出したり、送り付けられるものは送り返したり、時には処分しますね。
自分の家、部屋と他者の家、部屋の違い、区別がつかない人にはそうした方がいいのではないでしょうか。
自分の家や部屋に他の人がヅカヅカと入ってくることに平気な人はいないでしょう。
夏ですが、しっかり戸締りはしたいものですね。
2019/7/26(金) 午後 8:59 [ shalom ] 返信する
 
(私)
私は、前に言ったのに、シャロームは、また、同じことを返しています。
ブログは、管理を管理人がまかされただけで、管理人の所有物ではありません。
ブログは、公共のものなのです。公共に公開されています。
だから、そこに預けたものを勝手に削除するのは、マナー違反であり、
卑怯でしかありません。
そのブログを私物化して、自分の家だとシャロームは言っています。戸締りに喩えるほど、私物化に徹底している様子からは、シャロームは、公共の意識が皆無と思われます。
(私)
やじろべえは、倒れそうで倒れないが、天秤は平衡を計らないとどちらかに傾いてしまいます。シャロームは、倒れても、倒れていない風に、装って、蔓延ります。アンバランスの自覚と病識がないということです。倒れても亡霊のように、口だけ、とんがってくるシャロームですが、何事につけても、シャロームは、破壊の途上にあるのです。
 
(私)
コメントを削除すれば、凶行に及ぶ根性が明らかとなり、
批判もそれなりに厳しくなってきたわけです。
 
(楽山)
たしか山本七平は、日本教徒の特徴を、天秤を比喩にして説明してました。
支点は人間で、天秤には空体語、実体語という錘をのせているが、空体語という錘が極限まで大きくなった時、天秤は回転してすべての重りを振り落とし、再び平衡となると…。
先の戦争を例にすると、本土決戦、一億玉砕などの出来もしない空体語が大きくなり、支点(人間)に近くなるほどに、本土決戦も一億玉砕も無理だという現実的な声は、支点(人間)から遠く、小さくなり、やがては天秤はバランスをくずし、すべての重りを落とし、何事も無かったように平衡に戻ると…。
自分の理解だと大体こんな感じの話だったと思います。
2019/7/27(土) 午前 7:23 [ 楽山 (自由) ] 返信する
(楽山)
コメント欄については、当方も、いろいろと考えてはいました。
優柔不断なので対応は遅れてますけど、今よりは、shalomさんの考え方に寄っていくことになりそうです。
2019/7/27(土) 午前 7:29 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
他者の文章を、自己正当化のみに利用している楽山です。空体語という言葉を使っているが、比喩的表現としては、空体語は、実体語と対立しているようで、悪しきもの、空しきものの台頭を言っているのでしょうか。そこだけの理解なら、何を受け取ったのかについて不十分でしょう。
 
(ネット検索)
2010年6月4日 投稿者: takahiko
実体語と空体語について
実体語と空体語は、故山本七平氏が提唱した日本分析のキーワードである。日本国民は常に、この二つの極を行ったり来たりしてコントロールされてきたと述べている。
実体語と空体語を具体的に紹介することにしよう。(「日本教社会学山本七平小室直樹対談より)
「モデルとして太平洋戦争末期をとりあげてみましょう。あの頃、無条件降伏という実体語があれば、一億玉砕という空体語でバランスをとっているわけで、その空体語がないともう何も機能しない。
ところが、一億玉砕というのは極限ですね。どうもできませんね、これ以上は。これ以上もう空体語を積めなくなる。
http://www.kawaitakahiko.jp/archives/533
 
(私)
天秤ばかりの比喩のようです。戦時中の日本の行き詰まりを思わせます。実体に釣り合いをとるための空想ということでしょうか。
 
(シャローム
> 楽山 (自由)さん おはようございます
「支点は人間で、天秤には空体語、実体語という錘をのせているが、空体語という錘が極限まで大きくなった時、天秤は回転してすべての重りを振り落とし、再び平衡となると…。「」
ありがとうございました。よくわかりました。
日本教とは支点が人間であり、天秤には空体語、実体語という錘をのせ、ひっくり返れば、元の黙阿弥、元に戻る、まさにそうですね。日本は今戻っていますね。
ところで私のやじろうべぇの支点は人間ではなく、イエスさまなんです。十字架につけられたイエスさまの姿をよく見てください。まさにやじろうべぇの姿です。
で、十字架は日本人のみならず、世界中の男女にかかわらず、一番愛されるアクセサリーですね。
でもその十字架を見るとキリスト教がほとんど日本教化していること、アクセサリー化していることを表しているように私には思われます。
2019/7/27(土) 午前 10:06 [ shalom ] 返信する
 
(私)
不十分な比喩を聞いただけで、シャロームは、よくわかったそうです。シャロームについて言えば、わかるということは、ありえないように思っています。浅く薄く呑みこんで、盛んに無秩序に言いまくってきただけなのです。そして、自分が斬られていることに気づかないシャロームしか表れていません。シャロームの言が、空タイ語であることにすら気づかないのでしょう。
(私)
十字架は、世界で、一番愛されているアクセサリーでしょうか。シャロームは、また、誇大的になっています。そこで、すぐ、日本教化にアクセサリー化という言葉を造語して、悦に入るシャロームです。ベースにある思慮が、いかに、安易で、安っぽいかがうかがえます。アクセサリーのような気安いトークをして、都合よく忘れてゆくシャローム
 
(シャローム
> 楽山(自由)さん
ところで楽山さん
あの厚くて、決して読みやすい本ではない山本七平さんの「日本教徒」の要点をズバリすぐに的確にコメントできるなんて素晴らしい理解力と文章表現力ですね。
メモ魔のようですが、メモしておられたのですか。
私は面倒くさがりですから、心に残っていても読みっぱなしですね。次第に忘れてしまいますし、もったいないなぁと思わされました。感謝!感謝!
2019/7/27(土) 午前 11:08 [ shalom ] 返信する
 
(私)
早速、同じ穴のムジナ同士の仲間ぼめです。前に、シャロームは、仲間ぼめを嘆く本を読んで記事にしていましたが、いかに、自分の都合だけで、本を利用し、かつ、忘れているかがわかります。本当に、シャロームにとって、本は、アクセサリーに過ぎないようです。熱しやすく冷めやすいのではなく、最初から、利用しているにすぎないシャロームの読書なのです。読んだと誇りたいだけなのでしょう。
(私)
シャロームが、読みっぱなしで忘れてゆくのは、自分に都合の良い処世と言っていいでしょう。本当に忘れてゆくのでしょう。今の様子なら、すべて忘れて、物を言うことも忘れてほしいものです。
 
(楽山)
多分、幸福の科学での経験があったので、記憶に残りやすかったんだと思います。
幸福の科学では、でっかい空体語で会員にはっぱをかけて動かし、現実的な判断は、マイナス思考とか何とか言って排除するということが繰り返されてたので。
でも先の説明は、あくまで私の大雑把な理解で、山本七平の著作だと、空体語とは何かとか、ややこしい説明があったし、自分の理解は必ずしも正確とは言えないかもしれません。そこ、ご勘弁願います。
2019/7/27(土) 午前 11:31 [ 楽山 (自由) ] 返信する
(楽山)
ところで、shalomさんは、アクセサリーとしての十字架は容認なんでしょうか。
自分はかつて、十字架のペンダントは格好良いと思って買おうとしたら、当時、親しくしていた人から、そういうものは信じてない人が身に着けるべきでないと言われて、買うのは止めたのでした。
この人は、ノンクリだけど、キリスト教系の学校に通ってたので、そこら辺の線引きはビシッとしてたのかもしれません。
2019/7/27(土) 午前 11:45 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(シャローム
> 楽山 (自由)さん
本当に十字架には人の心をひきつける魅力がありますね。
エスさまは負われた十字架は生ける神を見失った私たちすべて人が負っている罪とその重荷、呪い、裁きの象徴であるとともに、同時にすべての人の罪とその重荷を、神ご自身が負われ、私たちすべての人が背負っている罪の重荷と呪い、裁きをご自分で負ってくださり、救いを与えておられる象徴なのです。
それを福音、喜びの訪れというのです。
2019/7/27(土) 午後 4:55 [ shalom ] 返信する
 
(私)
キリストに罪を負わせて、シャロームは、罪を認めず、悔い改めず、信仰の何ものをも持っていません。そして、それでも、シャロームは、神が罪を背負って、自分を救うと言っています。そのようなキリスト教もキリスト信仰も、どこにも存在しません。どうかシャロームを真に受けないでください。シャロームは、恐ろしい背教の言を、今日も止めません。滅びつつあるものの宿命なのでしょう。
 
(シャローム
十字架のアクセサリー、イエスさまが十字架につけられている姿は、信じている人には神の愛と恵みによって与えられる救いの象徴ですから、その喜びをあらわし、多くの人に知ってもらいたいという信仰の証しといえると思います。
そのことを知らない人にとっても、神の愛と恵みによって与えられていることは同じなのですが、そのことをまだ知らないとしても、十字架をアクセサリーとして大事にされることは何の差支えもないと思います。
私も自身も長い間、全く分からい時があったのですから。
今はわからずにしていることでも、後になり、ああ、そういうことだったのかと知らされることって多いと思います。
子どもの時はわからなかった親の気持ちが、自分が親になって少しは分かるようになるということだってありますし、過去のつらい体験で、思い出すのも嫌だったこと、苦しかったことなのに、ある時、ふと、ああ、そういうことだったのかなと、ふと気づかされることもありますよね。
2019/7/27(土) 午後 4:56 [ shalom ] 返信する
 
(私)
十字架のアクセサリーは、アクセサリーであって、信仰の証しにはなりません。滅びゆくシャロームは、前にも増して、暴言を吐くようになっています。
(私)
シャロームは、ああそうだったのか、ということを表したことは一度もありません。私が前から言っているように、訂正不能だからです。シャロームは、何も見えず聞こえず、気づくことのない闇の洞窟を歩いています。
 
(シャローム
2000年以上の、遠いイスラエルで起こったイエスさまの十字架の死が、時間と空間を超えて、今生きている私たちの心に届いている神の福音、それが十字架というアクセサリーによって示されているのは本当に人知を超えた神の御業と愛ですね。
気にせずに十字架のアクセサリーを身につけてください。
shalom!
2019/7/27(土) 午後 4:56 [ shalom ] 返信する
 
(私)
シャロームの偽善的代償的ベタ褒めの讃美?の便尿失禁です。垂れて流れるだけです。大嘘吐きです。十字架のアクセサリーは禁止ではありませんが、シャロームの言動は、ことごとく反信仰としてしか表れません。したがって、シャロームに十字架のアクセサリーを許可する権限はありません。
(私)
シャロームは、キリスト者が負うべき十字架を負わなかったのです。神の救いの御業も愛も、シャロームが拒否しているのです。最近、シャロームの恐れを知らぬ暴言が増えているのは、人知を超えた神の裁きが進行中なのかもしれません。
(私)
神は、いつまでも、黙って見ておられるわけではないのです。
2019/7/27(土) 午後 6:29 st5402jp 返信する
 
 
(2019年07月29日、同日一部修正)
 
 
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