ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

お忙しい?(1)

 
  お忙しい?(1)
 
   お忙しいですか?・・・(1) 2009/9/19(土) 午後 2:11
   https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/7131441.html
    by shalom (シャローム、シャロム、あなた、彼)
 
 
シャロームは、楽山ブログの記事のコメントで、
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41568352.html
今回の批判対象となっている自分の書いた記事を楽山に勧めています。
 
(シャローム
楽山さん おはよございます
ふと40年ほど前に書いた“お忙しいですか”を思い出しました。
“おいそがしいですか”の書庫に乗せています。
①、②と2回に分けていますが、折を見て読んでみてください。
私はズボラですから、暇なのが好きですね。よく行き先もはっきりさせずに旅に出たことがあります。家族が捜索願を出したらと相談し合ったこともあります。
さすがに、年のせいか、最近はあまり出かけなくなってしまいました。ざんね~ん!
2019/8/13(火) 午前 10:02[ shalom ]返信する
 
ここから、今回の記事です。かなり古いものです。シャロームが、10年前と変わっていないことを示しています。
 
以下、記事本文と批判
 

◎「お忙しいですか?」と挨拶されたらどのように挨拶を返されますか?
「はい、おかげさまで」とか「まあ、まあですね」とか「いや~ヒマですね」
というふうに挨拶を交わされることでしょう。
「忙しい」ということには物事が順調にいっているよい意味があるようです。
反対に「ヒマ」であることには良くない意味があり、そのために「ヒマ」で
あることを、ひそかに恐れたり、恥じたりしているのではないでしょうか?

 
シャロームの記事は、たいていの場合、誰かの記事を真似たり、その言葉を真似たりしています。
シャロームの記事の中で、まともに思える部分は、恐らく、他者の文章だろうと思います。
 
「お忙しいですか?」が挨拶ならば、たいして意味を込めていない言葉だと思いますが、
シャロームは、挨拶と言いながら、意味をほじくって深爪で痛い書き方になってゆきます。
 

しかし、「忙しい」の「忙」という漢字には“心を亡ぼす”という意味がある
のですが、あなたはどのように思われますか?
私たちは誰でも一度ならず、人は何のために生きているのだろうかと考えてみ
たことがあると思います。
真剣に生きようとしている人、困難に直面された人ほど悩まれたと思います。
こんなにあくせくと苦労してまで生きる理由があるのだろうかと。

 
早速、シャロームは、挨拶と言っておきながら、漢字から、心を亡(ほろ)ぼす、と言っています。
そして、何のために生きている、困難に直面、あくせくと苦労、など、
とても強引に重い話を始めています。常識的な理路の設定が出来ないのでしょう。
 

私たちがいつもしていることには、必ず意味や目的があります。
もし私たちが生きること、いていることの意味や目的がハッキリしていないと
したら、いずれ、今、自分のしていることがむなしくなってしまうのではない
でしょうか?

 
そして、意味や目的という、さらに重い話に誘導しています。
シャロームの特徴として、文脈を作れないこと、そして、何より、重いテーマについて、超常話以外、答えもヒントも用意していない、ということです。
 

そして、欲望を満たすことや手近かな楽しみばかりを追いかけ求めるようにな
り、そのうちに真剣に生きることを忘れてしまったり、投げ出してしまうので
はないでしょうか?、
なんとなく毎日を過ごし、思うように行かないと人が悪い、社会が悪いなど、
自分だけがどうして・・と自己憐憫に陥ってしまったり、不平をこぼしたりし
て、井戸端会議や酒屋談義を賑やかにしているのではないでしょうか?

 
そして、全部がそうではないだろうと思うようなことも、ボロクソ節に持っていくのです。
 

でも、私たちの心はそのような生き方には決して満足できませんし、
本当の喜びを感じることはできないのではないでしょうか?

 
そして、これもボロクソ節になりますが、喜びがないと言っています。
シャロームは、救いのヒントを書けるのでしょうか。
 

昔行われた拷問で一見なにも苦痛に見えないようで、実はもっとも
苦痛になる拷問が行われたと、ある本で読んだことがあります。
それは、ひとつのバケツに入っている水を、もうひとつの空のバケツに移し、
そして、また、空になったバケツに水を戻すという単純な繰り返しを行わせる
ものだそうです。

 
そして、今度は、拷問の話に持ってゆきます。
人の日常は、こんなだろうと言いたいのでしょうか。
全か無で、一般の人々を、空しいと判断しています。
 
「お忙しいですか」という挨拶の、忙という漢字から、掘り下げたというより、強引に、ほじくった話で、常識的な理路から、無理な連想ゲームになっています。難しい話題に持っていって知的な説教をしているつもりなのでしょうか。
 
言っておきますが、いちばん空しいのは、シャロームです。
虚しいことをしているだけでなく、嘘と詭弁でキリストをけがしてきたからです。
今になって、まだ、こういう記事に意義があり、自分の著作だ、という感じで
勧めてくるような厚顔がシャロームの反省しない生業なのです。
訂正不能の人生は、これほど、空しく、醜くなってしまうという実例です。
 

それは初めのうちはなんでもないことのように思われますが、
いつ終わるとも知れない、その行動を繰り返しているうちに、人は肉体的な苦
痛を訴える前に、精神的にまいってしまうということです。

 
ここに至って、興奮したのか、総ての人を、ボロクソに決めつけているのです。
また申し上げますが、挨拶の言葉から、精神的に参ってしまう話になっています。
こんな感じで、シャロームの言は、関わる人を、無意味に疲労させ、
精神的にまいらせてしまうということです。
 

それは、今していることに何の意味も目的もなく、しかもいつ終わるとも知れ
ないことだからです。私たちの日常生活の中にも、これと同じようなことがあ
るのではないでしょうか?毎日学校へ行くこと、毎日職場へ行くこと、また炊
事、洗濯、掃除、片付けなどという具合です。

 
ボロクソ節です。際限なく、総てがボロクソだけだという書き方です。
総てが空しい、という話になってきました。
 

こうした毎日続く単純な繰り返しで私たちの生活は成り立っていますし、
またこの繰り返しによって助けられてもいます。
物事がうまく運び、からだも健康であれば、大して苦痛にもならないことですが、
ちょっとしたことで、私たちの心身に大きな負担や苦痛ともなってしまうのです。

 
病気の話をするのでしょうか。人々を病気に定めるのでしょうか。
また言いますが、お忙しいですか、という挨拶の言葉から始まった話で、
押し売りのように強引に、興奮してゆくのがシャロームの特徴です。
 

しかし、生活のため、食べるため、子供のため、将来のため、
それをやめることができないということによって、私たちの心を抑圧し、いらいら
させてしまうのです。
そのようなストレスが、体や心にさまざまな障害をもたらしてしまいます。

 
こういうことは言われなくても多くの人が分かっていることです。シャロームは、自分を省みず、他者の災難には、誰よりも得意気に多くを語り、にもかかわらず、誰よりも無関心です。
 

心身症といわれるものは多くあります。
心身症に多い病気は、胃潰瘍・十二指腸潰瘍・過敏性腸症候群自律神経失調症
摂食障害円形脱毛症・頭痛・気管支喘息・高血圧症・心筋梗塞狭心症・ジンマ
シンなどで、身体のあらゆる部位が対象となります。

 
そして、知っている病気の名前を並べてきました。シャロームは、治せるのでしょうか。それとも、
シャロームの言うことを聞かないと、大変なことになるというカルトの脅しでしょうか。
 

そのため日常的な繰り返しや人間関係はわずらわしいものとなり、
また自分をそのような環境に縛りつけようとするものに対して、ストレスを感じ、
腹立たしくなり、ある人は不安や怒りを抑圧し怒りっぽくなってしまい、
ほんの些細なことにも堪えられず切れてしまうのです。

 
上の病気は、切れて、かかる病気でしょうか。病因はもっと複雑だと思います。
シャロームは、総ての人の成り行きを掌中に収めているつもりでしょうか。
自分は大丈夫だけど、他の人は、劣っているのでこうなる、と言いたいかのような筆致です。
自慢と高慢と傲慢、あらゆる羽目の外し方をした自尊の捻じ切れた現れです。
キリスト者は、こうはなりません。シャロームは、反キリスト者です。
 

その結果、悲惨な痛ましい出来事が繰り返されています。それは深刻になっていく
ばかりです。現実逃避のため、衝動的に蒸発したり、自殺したり、人を簡単に殺し
たり、傷つけることは、今や日常茶飯事となっています。

 
日常茶飯事でしょうか。とうとう、日本全土を掌握しているかのようです。
日常茶飯事に起こっているのは、シャローム根腐れです。
 

人を本当に豊かにするものを見失い、お金やものの豊かさを追い求めた結果なので
す。政治は物事の表面だけしか扱うことができないのです。

 
このように、政治まで、軽く見て、シャロームの解決策は何なのでしょう。
 

問題の解決は失われた神との関係と交わりを回復することにあるのです。
その解決を私たちすべての人に与えるために、神はイエスをお遣わしになったのです。

 
どうすればよいかについて、ずっと前から、こんな具合なのです。具体的には何も示せず、神とキリストをあげていますが、悔い改めのないシャロームは、牧師でもキリスト者でもありません。
 
つまり、シャロームは、自分と同じ信仰を持てばよいと言いたいだけなのです。なのに、信仰の何たるかを全く知りません。詭弁家、評論家気取り、預言者気取り、自己満悦、という自己中心の救われ妄想しか、シャロームは持っていないのです。意義のあることなど全く言えないシャロームです。だから、関わると、疲労しか残らないのです。
 

「神は、ひとり子を世にお遣わしになりました。その方によって、
わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛が私たちのうちに
示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、
わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。
ここに愛があります。」(新約聖書ヨハネの第1の手紙4章9,10節)

 
何も言ったことにならないから、聖句を載せて、ごまかしています。
そして、聖句の解説は、しないのです。ありがたいですねという説明抜きの結びです。
 
恐らく、そのまま、自分は、何をしても、神に愛されているという自己満足しかないのでしょう。シャロームの語る神もキリストも、シャロームの周りをぐるぐる回るシャローム専用の偽者に過ぎません。人間性を失うと、人間的な理路も情緒も失い、押し売りをして、善を施した気分になるようです。
 
だまされないようにしてください。偽牧師シャロームは、デタラメなインチキ説教者です。
鰯(いわし)の頭のほうが、まだマシなのです。
 
(2)に続く
 
 
(2019年08月15日)
 
 
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