ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

アドラー教について(16)

 
  アドラー教について(16)
 
  2018-10-12  
 大人になるってこういうこと⁉︎
https://www.adlersalon.com/entry/2018/09/12/%E3%80%8C%E6%89%BF%E8%AA%8D%E6%AC%B2%E6%B1%82%E3%81%AE%E5%90%A6%E5%AE%9A%E3%80%8D%E3%81%B8%E3%81%AE%E8%AA%A4%E8%A7%A3
 アドラー心理学サロンです。
 
 
ブログ主は、私が長らく批判してきたシャロームshalomに、思想が酷似しています。そう言えば、シャロームは、私がアドラー教を批判することを、気に入らない様子でした。
 

私たちは幼い頃から、大人になることを期待されて育ちます。
そして、20歳になってからは1人の自立した大人であるとして扱われます。
しかし、残念ながらほとんどの人たちは十分に精神的に自立した本当の意味での大人とは程遠いのではないでしょうか?

 
教えてあげる態度、丸出しです。シャロームshalomという偽善者がいましたが、筆致が似ています。
 

これはいくつ歳を重ねても同じことです。
大人であることと、歳をとっていることは相関関係はあっても因果関係はないのでしょう。

 
言葉上、似て非なること、因果関係、というより、同じじゃないよ、と言いたいのでしょう。確かに、シャロームという人は、大人の、知性の理路と、情緒面の共感を、ともに欠いた人でした。
 

本記事では、大人とは何か?、大人を大人足らしめる3つの要件についてアドラー心理学の考え方を混じえお伝えしたいと思います。
目次
目次 •大人とは
•大人になる3つの要件
•承認欲求を否定し、自分の価値を自分で決める。
•自分と他者の課題を分離し、自分で自分の行うべきことを決める。
•世界の中心になるのではなく、主役になる。

 
やはり、課題の分離を言いたいようです。
 

大人とは
結論から言うと、アドラー心理学では、大人とは他者からの承認欲求を持たずに他人への過度な期待、依存をせず、他者との課題を分離して自分の行いを自分で決めることができ、自己中心性を排除した状態のことを表します。

 
要するに、依存しないことですが、自己中心性を排除した状態と、本気で思っているのでしょうか。それとは、真逆に受け取られかねないことブログ主は言ってきたのです。
 
ますます、シャロームのことを思い出します。批判を始めた頃、シャロームは、私がシャロームに人格依存しているからだ、と言いました。かまってもらえないから批判をするのだと言うのですが、シャロームには、そのような魅力は皆無でした。
 
シャロームに依存する・・って、シャロームは、いったい、何様のつもりだ、と思ったものです。平気で嘘を吐き、低劣な言いがかりと言い逃れしか返せない人でした。
 

大人になる3つの要件
アドラー心理学の考え方として、大人としての3つの要件をご説明致します。
承認欲求を否定し、自分の価値を自分で決める。

 
当たり前みたいに言ってますが、自分の価値を自分で決めていいのでしょうか。自分に、低い価値を当てはめられること、高い価値を当てはめること、どちらも望ましいとは思えません。これは、嘘ですね。
 
実際には、自分の価値を考えるときに、客観的に考えるように努めるものです。その客観は、他でもない、他者とのかかわりで、他者を参考にして、内省のうちに、生まれるものでしょう。
 

あなたが、他人のために良かれと思ってしたことが、相手にとってはありがたくないことかもしれません。
そんな時に、「あなたの為を思ってやってあげたのに」や「何でそんな態度を取るんだ」と相手に自分の考えを押し付けるようなことをしては自立できているとは言えません。
自分自身、または自分の行いの価値は、自分自身で決められるようになる必要があります。

 
違います。他者の基準ではいけないということです。他者を無視することではないです。
 
変な宣伝や説教に乗って、勘違いしないでください。自分の行いの価値を決められるのは、他者のあり方を尊重するからです。自分だけでは、妄想が膨らむだけです。まさに、シャロームが、そうでした。
 

自分がしたことや、自分の存在価値を他人からの評価に基づいて決めてしまうことは、他人に依存しており、常に他人から褒めてもらう、認めてもらうことを目的に行動してしまい、結果自分のものでない他人の人生を生きることになりかねません。

 
他者からの評価に基づくのではなく、必ず他者の評価を、それが高くても低くても、参考にすることです。ますます、私が9年間批判してきた偽善者シャロームの言に似てきました。
 
他者を参考にすることは、他人の人生を生きることにはなりません。むしろ、他者を無視することが、自己と自我中心となり、いつもヘラヘラ笑って満悦しているような、この世で最も醜いダメ人間を作るのです。
 

自分の期待した評価をしてもらえず、「こんなに頑張ってるのに!」と腹を立てる人は周囲へ攻撃の矛先を向けてしまい、関係を悪くしてしまいます。
自分と他者の課題を分離し、自分で自分の行うべきことを決める。

 
分かるでしょうか、他者の評価を気にするなと言っているブログ主が、今度は、他者との関係を悪くすることを戒めています。理路が、行き詰まり、すでに破たんしているのです。
 

他人が自分のやろうとしていることを、やって良しとするのかは他人の課題であり、自分のやろうとしていることを、やって良しとするのかどうかはあなたが決める課題です。
自分の行いを、「みんなが」、「親が」、「先生が」良いと言ってたからやるというのでは自立できているとはとても言えません。

 
まだ言っています。他者に気に入られるためにするのではなく、他者の行いから、自分は学習してゆくのです。ブログ主の言うことは、シャロームと同じように、自己中促進にしかならないでしょう。
 

特に日本では、集団帰属意識が強く、集団に何でも根拠を求めがちです。
しかしそれは、「あの人がこう言っていたから」という言い訳にもつながり、責任回避的な行動にもなります。
あなたはあなたの課題があり、自分で何をするのか、どう生きるのかを決めることができ、決めるべきなのです。
自分で何をするべきか決められないということは、他人の人生を生きていることになり、自立した大人とは言えません。

 
これこそ、シャロームが言っていた"日本教"というものでしょう。それで、シャロームは、すっかり"自分教"になってしまいました。訂正不能の自分教は、明らかに、シャロームの思考と情緒を狂わせて、学習機能を捨てたために、考えることも、感じることも、学習することも、成長することも、全くできないところの、破壊した人格像を呈していました。
 

世界の中心になるのではなく、主役になる。
人はしばしば、自分はこの世界の中心であるという錯覚を抱きます。
あなたはこの世界の一部ではありますが、中心にはおりません。
あなたはあなたの世界つまりは人生の主役ではありますが、中心では無いのです。
他人はあなたの期待、欲求を満たす為に生きているわけではなく、自分のために生きております。
それから、あなた自身も、他人の為ではなくあなた自身の為に生きております。

 
中心ではないが、主役になる?・・それを言うなら、自分の人生の主役ということです。・・そう言っているではないですか。世界を持ってくるのは大袈裟です。中心ではなく人生の主役と言っているわけです。世界を持ち出す必要がどこにあるのでしょう。豪語が好きな人は、思考が誇大化しやすいという典型です。
 

人は、お互いに期待と要求を投げかけて、自分か相手のどちらかを満たす生き物ではありません。
自分も相手も、中心では無いと認識しましょう。

 
中心ではないが参考にする、というのと同様に、要求ではないが期待はする、というのが、他者へ向ける、健全な態度なのです。カルトは、詭弁、刷り込み、印象操作など、共通することが多いのか、似てくるようですが、シャロームによく似たブログ主は、まさに、自己中であり、自分を中心において、他者を見ているだけのようです。
 
 
 018-09-12  
 「承認欲求の否定」へのよくある誤解
https://www.adlersalon.com/entry/2018/09/12/%E3%80%8C%E6%89%BF%E8%AA%8D%E6%AC%B2%E6%B1%82%E3%81%AE%E5%90%A6%E5%AE%9A%E3%80%8D%E3%81%B8%E3%81%AE%E8%AA%A4%E8%A7%A3
アドラー心理学サロンです。
 
 

アドラー心理学は、「課題の分離」や「承認欲求の否定」といった特徴を持っており、自分と他者を明確に区別する考え方を持っています。

 
明確ではないと思います。"課題の分離"については、なんにでも通用する明確さを、ブログ主は、表現できていません。
 

また、別名「個人の心理学」や「勇気の心理学」とも呼ばれる個人主義的な特徴のある心理学であり、集団主義的で「自分はみんなの中の一つ」といった考えをする傾向のある日本社会では特に斬新であると言えます。

 
個人主義は、個人主義で、一長一短があることは周知であります。アドラー教は、何も解決してはいないことを、私は書いてきたつもりです。間違って、シャロームのようになったら、人間は、おしまいだとも書いてきたのですから。
 

そこで、今回は「承認欲求の否定」という定義について考察していきましょう。
他者との「課題の分離」を理解するよりも、複雑で骨が折れるかもしれませんが、出来るだけ詳しく記載しました。
それでは、ご相談事例を見てみましょう。
>>
【ご相談】
「承認欲求を持つ必要が無いということは、仕事を依頼されても自己満足で完結させて問題ないということになりませんか?また、自分が良いと思うことを他人に押し付けることにもなると思います。」
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【考察】
アドラー心理学では、他者への貢献が幸福への道であるとして「他者への貢献」をすること、また「自己満足の貢献感を得ること」を提唱しております。
つまり、他者を幸せにする活動を自分ができる範囲、つまり自己犠牲をしない範囲で他者に貢献するという解釈になります。

 
「他者への貢献」をすると言いながら、どう貢献するかについて、課題を分離してしまえば、「自己満足の貢献感」にしかならず、それを提唱すると言っています。つまり自己満足なのです。
 
貢献が正しいかどうか、それによって、他者の幸いに寄与したかどうか、ということを無視するように勧めているのです。つまり、自己中なのです。それ以上への発展の可能性を閉じているのです。
 
自分で決めつけた善を施すだけで、他者を参考にしないなら、それは、親切の押し売り、というものになります。
 

また、特定の誰かからの評価や期待に応えようとする必要はなく、より大きな共同体である世の中全体への貢献をするべきとしています。
つまり、上司や先輩など特定の人達だけに貢献するのではなく、世の中への貢献という解釈となります。

 
大きな共同体へ、また、世の中へ、自己流に、自己中に、貢献したと思い込むことにしかならないでしょう。特定の他者ではなく、より大きなものへ目を向けることによって、より大きなものへ貢献した自己満足に酔い痴れよ、と言っているようなものです。
 
つまり、特定の他者という明確さを避けて、世の中に貢献したつもりになることで、"夢を見て、現実を検証せずに、貢献を確かめるのではなく、貢献感を得て"、自己満足せよと勧めているのです。規模が大きければ大きいほど、焦点がぼけて、漠然としてくることを利用して、自己満足せよと言っているのと同じです。
 

特定の誰かからの承認を求めてしまっては、その人の期待する人生を送らなくてはならなくなります。
こうして、他者を幸福にする貢献を心掛けていれば、自己満足で仕事を完結させたり、良いと思うことの押し付けになることはありません。
アドラー心理学では、他者に迷惑をかけても良いという考えを推奨してはおりません。

 
他者を幸福にする貢献と言っていますが、上のことから、漠然とした世の中への貢献感を得て、それこそ、上のほうで、「自己満足の貢献感を得ること」と言って、自己満足を認めたのは、ブログ主なのです。自己矛盾も甚だしい。
 

アドラー心理学を真に理解し、アドラー心理学を取り入れ人生を変えて行くには「これまで生きてきた年数の半分」程度の期間が必要であるとされてます。
アドラー心理学の考え方を少しずつ取り入れて、少しずつ改善するという姿勢を取った方が良いと考えられます。

 
「これまで生きてきた年数の半分」を費やして、それを、詭弁と嫌悪で出来ているようなアドラー教につぎ込んで、シャロームやブログ主のようになってしまうのは、地獄であります。
 

私でも完璧に「課題を分離」ができているかと言うと微妙です。
しかしながら、アドラー心理学で人生を見つめ直し、幸福を手にした人達は沢山いらっしゃいますし、私自身もアドラー心理学に大変救われました。

 
シャロームは、自分の課題を持ちませんでした。自己中に、自分は完成しているつもりだけだからです。シャロームは、救われ気分で、何度も神に白々しい感謝と讃美を書いていました。実際は、平気で嘘を吐き、誇大妄想的なことを言い、批判に対しては嫌がらせを書いてくるだけで、しまいに"名無し"などと匿名の荒らしを名乗りだしました。シャロームは、人間のクズです。
 

1人でも多くの方が、この「課題の分離」の定義を見直して、柔軟に自分自身の考え方に導入していけたなら望外の喜びです。

 
一人でも多くの人が、この「課題の分離」などに惑わされず、柔軟に自分自身の考え方で、学習し成長しながら、他者に依存しないが、他者を尊重して、生きてくださることを願って止みません。
祈っています。拝。
 
 
(2020年02月11日)
 
 
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