ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

武装?

 
  武装
 
 
神の前に、祈るときに、
正直のみを用意することを"武装"と言いました。
もちろん武力や暴力のことではありません。
 
考えてみました。
 
祈りにおいて精いっぱい正直であること
言い換えれば、努めて正直であること
これが信仰を持つ人間ならば誰でも意識できることです。
これこそ、信仰の原初的表れです。
 
正直は、神に、このようですと、見せるべき信仰のしるしのようなものです。
人間の側の、はっきりした備(そな)え、という意味で、武装という言葉にしました。
備えという言葉以上に、はっきりと意識しなければいけないからです。
 
いつでもどこでも、神の前に、正直という備えだけは必要で、
この備えは、人間ならば明確に自覚し努力することが出来るからです。
 
 
神は、人が祈るとき、既に、人を総て見抜いておられます。
 
 
嘘、偽りの告白、世辞の讃美、心の無い豪語、信仰自慢、これらをだらだら述べて、救われる民として慢心していること、実際に、このようなばかりしている偽者がいるわけです。
神は、このような者を待っておられるでしょうか・・明確に、否であります。
 
神が何を待っておられるか、と考えるとき、善でもなく、正しさでもなく、美しさでもない。これら真善美に属することは、不完全な人間に決められることではないからです。
 
神に対して、正直であることだけしか、人間が正当に捧げられる供え物はない、と考えざるを得ないというのが根拠であります。神は、不完全な人間に対して、ただ正直な告白だけを待っておられる、としか思えないのです。
 
神に対して、めったなことは言えない、聖書と信仰に沿うような良き言葉を使わなければいけない、などと思っている人は考えてほしいのです。それは、他でもなく、人が、神の前に、良し悪しを自分で決定できると言っているに等しいのです。
 
 
正直によって"武装"することが必要なのは、まさに、自分自身の不正直に対してであります。
 
 
他者に対しては、正直であることを心得ていることが、心無い罵詈雑言や、おとしめ、軽蔑などに対して、動揺したり感情的になることを、かなり防いでくれるでしょうし、冷静に対応することが出来るようになるかもしれません。
 
神の前に、見栄を張ったり、できもしないことを理想や「べき」論を分けずに言ったり、嘘を吐いたり、飾ったり、などの不正直に気づいたときには、その時に、改めて、正直に告白してください。それが、信仰があっても不完全な人間であるところの信仰者に、折に触れて、必要となる悔い改めの祈りです。
 
 
自分の不正直に気づく時というのは、何か、神から与えられているような、とても大切な恵みの時なのかもしれません。
 
 
(2020年04月03日)
 
 
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