ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の批判者気取り

 
  楽山の批判者気取り
 
 『香山リカのスピリチュアルを考えよう!〈1〉霊感ってなに?』
 香山リカ中塚圭骸共著
 2020年07月04日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/25397054.html
 
 
また、楽山は、書いてきました。自身の病理に気づかないか、否定できない者の、宿命のようです。またしても、批判に答えず、批判を無視して、我が道を行くつもりで、自らの破滅に、他者を巻き込もうとしています。それは、人間の道ではありません。獣道(けものみち)なのです。
 
身勝手放題の主張を続ける我執と思い込みの強さが病理であります。
 
先ず、楽山とは、社交の世辞以外、真っ当な話し合いも議論も成立しない、にもかかわらず、楽山自身は、論客のつもりでいる、ということを、この一年余りで実感したことを申し上げておきます。
 
その場その場で、読者が安心するような言葉を用意して、楽山ブログは、待っているのです。それが、軟派カルトと私が名付けた悪質なカルトであり、HSのような硬派カルトよりも、いっそう凶悪なのです。良心を、疲労させ、無力化し、食い尽くすカルトだと思います。
 

本書には、中学生の姉と小学生の弟を主人公にした四つの物語が収録されている。いずれの物語も姉弟がひょんなことからオーラ、カルマ、前世、呪いといったことを信じ込んでしまい、大きなトラブルに発展しそうになるが、賢明な叔父がそれらは科学的根拠のないデタラメにすぎず、信じたり、惑わされたりしてはいけないことを説き、事を収めるという展開になっており、テーマは明確である。要は「スピリチュアルには騙されるな!」ということ。

 
自ら、仏様が喜んでいたと親族に言って笑われ、親族のことを、霊が分からないっぽいのに驚いた、と書いていた楽山の、霊が分かるっぽいスピリチュアル気取りが、何の良心の呵責もなく、「スピリチュアルには騙されるな!」ということについて書いています。どこまでも、反省をせず、何事も不都合は他人事としてしか受け取らない体質、楽山の記事です。呆れます。
「心の理論」:幼稚な勘違い
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12450774365.html
 

お話として見た場合、これら四編の物語は、テーマも展開も単純であり、ありふれたものではあるが、それだけに自分にとっては耳に痛く、切ないものがある。恥ずかしながら自分は、過去に新興宗教にハマってしまったことがあるのだ。

 
楽山にとっては、カルトや、オカルトの問題が、単純で、ありふれたものなのでしょうか。楽山が、カルトに嵌っていたのは、過去のことでしょうか。上の、霊が分かるっぽい話は、子供の時らしいですが、それは間違っていたと書いた記事もコメントも見たことがありません。
 
一方で、神がいるならなぜ悪があるのか、と言った幼稚なクレームを、神を遠ざけたいように刷り込みを書いて、小理屈で神を否定できる自覚でいるところを見ると、楽山の中には、結局、自分は霊が分かるっぽいが、今ある宗教は嘘っぱち、という信条で出来ているように思われます。教祖願望でもあるのではないかと思う次第です。
 
カルトは、よくないが、自分の言っていることはカルトではないですよ、と言いたいのでしょう。こういう、物が分かっているふうを装うところに、楽山の恐怖を感じないではおれないのです。
 
楽山の自意識と自信には、全く根拠がありませんが、楽山自身は、恐ろしく、頑固で、無節操です。こういう人が、宗教を語り出すのは、怖いことです。
 
それは、楽山の持ち物が、過剰な自己愛であり、さらに、ただの自慢話ではなく、策略ばかり考えて、不都合を無視し続けられて、無反省で、訂正不能なのは、異常人格だということです。
 

しかも周囲の人から「カルトは止めた方がいい」と注意されても聞き入れないどころか、そういう人たちのことを霊性が低いので、この宗教が本物であることが分からないのだと見下していたのだった。物語の主人公である姉弟は、叔父の注意を素直に聞いているが、自分はそれができなかったわけである。

 
ここでは、「カルトは止めた方がいい」と言いながら、HSの影響を今も完全に否定していませんし、脱会したというのも、嘘かもしれないし、以前から、何か別の、軟派カルトの宣伝者である可能性も、考えざるを得ない楽山なのです。
 
軟派カルトと私が言うのは、誰が見ても、上から教えを垂れるような硬派カルトと違って、一見、物わかりがいい体を装い、常識を説くかのように、刷り込み、印象操作をしてゆくカルトのことです。楽山の、そういう嫌らしさが文章に表れていることを今まで書いてきたつもりです。
 
楽山の、ボンヤリ言語と私が呼んでいる言い方で、なんとなく否定せず、いつのまにか、記憶に当たり前のように残ってゆく、という、ほのめかしと暗示の、マインドコントロールのやり方です。
 
よく考えてみると、楽山の言っていることには、中身がなく、何の役にも立たず、何の説得力もないことを、これからも書いてゆくつもりです。この楽山には、誰も近づいてはいけないと思います。
 

カルトというものは、大抵の場合、一般目線でみればひと目でデタラメ、おかしい、あやしいと分かるくらいバカバカしいものである。

 
だから、楽山は、一般目線で見れば、ひと目では、デタラメ、おかしい、怪しい、ということが、分からないような、一見、常識的で、賢そうな言い方、暗示、刷り込み、印象操作を、手段として、書いていると思われます。
 
楽山自身は、霊が分かるが、既存の宗教は嘘、という、主張ではないかと思っています。だとすれば、楽山という人間もどきには、底知れぬ悪意があるわけで、そのことを、ずっと書いてきました。
 
しかも、楽山の、反省することが一切なく、何を言われても無視したまま、訂正不能で、手を変え品を変え、吹き込もうとしてくる欲動には、人間に大切な、例えば、良心が、欠けている可能性が高いのです。ケダモノの根性が、うわべ、常識的な字面を並べる、という、楽山を、決して信用してはいけないと思います。
 

でも自分の経験からすると、何かの拍子にそれが分からなくなってしまい、傍から見れば明らかな嘘であり、デタラメであるにもかかわらず、「本当かも…」と思ってしまうことがあるのだ。そして次には、「これこそ真実だ。自分はこの真実と出会うために生まれてきたのだ」と涙を流して感動するようになり、ここまでくるともう周囲の注意に耳を傾けるのは難しくなる。

 
このように、カルト被害者を装い、カルト批判をするのも、楽山の特徴です。一方では、楽山は、キリスト教についても、クリスチャン芝居をしたり、対話形式の独り芝居を書いたり、低次元の、いちゃもんをつけたりと、話にならないインチキな男です。
 
信頼度ゼロ、ということを楽山に向けて書いたのは、もうずいぶん前のことです。どうか、この無頓着で無感情の詭弁法師に、気を付けてください。近寄らないのが、いちばんです。
 
楽山の、情緒的な言葉、悲しい、涙が出る、反省、とほほ、などというのは、トホホ言語と呼んで、楽山という感情鈍麻のごまかし方と見なしています。獣道に棲む凶悪なカルトが、牙を隠して、だまそうとしている、と思っていたほうがよいのです。
 

本書の姉弟は、「本当かも…」という程度か、それを少し過ぎたあたりで、叔父の注意を聞いて引き返せているが、もし「これが真実だ!」と強い確信を持つ段階にまで進んでいたら、おそらくは自分のようにそう簡単には引き返せず、やっかいなことになっていただろう。病気は早期発見、早期治療が大事だというけれども、これはカルト問題についてもいえることなのだ。

 
いかにも、カルト反対のメッセージに見える書き方ですが、楽山は、カルトからも、オカルトからも、解放されてはいませんし、解放させてもいません。むしろ、自分のほうが、うまくやれると、ひそかに思って、この記事のような誘い文句を書いてくるのだと思います。
 
一年余り、今まで、一度も、弁明できないまま、批判に答えて前言を否定し反省したことがないのが証拠です。ゆえに、最初から分かってるんです、という主張に、今さらのように書き替えても、無駄なのです。
 
これからも、恐るべき無視の悪意と執拗さで、やさしい?言葉を向けてくるでしょう。
 

スピリチュアルなことを信じつつも、幸せに暮らしている人はたくさんいるし、それからすればスピリチュアルは必ずしも悪ではなく、不幸を生むものでもないのだろう。でも場合によっては、カルトの入口であることもあるし、ここは注意が必要であると思う。

 
スピリチュアルをも悪用して、他者の思慮と感性を、そして幸せを、壊してゆく楽山です。そして、必ずしも悪ではないと、不幸を生むものでもないと、自らの霊能者気取りによって、人々に向けて、カルトに警鐘を鳴らしながら、一方では、自分というカルトに慣らしてゆく楽山です。
 
良心的なスピリチュアルと、楽山のような悪意と策略に満ちたスピリチュアル気取り、霊能者気取りは、違います。
 
楽山は、自らを弁護するために、スピリチュアルの存在を擁護しながら、一方で、常識人気取りを示すために、読書家気取り、インテリ気取り、学者気取りで、刷り込んできます。
 
実際には、理路も感性も、話にならないほど低劣で、批判に弁明も反論も出来ないまま、我欲と我執に生きて、言い張ってくるだけの楽山です。
 
言論の責任を負わない者に、言論の自由はありません。
 
 
(2020年07月05日)
 
 
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