ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の狂信

 
  楽山の狂信
 
 「第二十講 ヨブの見神(四)」(『ヨブ記講演』内村鑑三著)
 2021年05月06日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/29007491.html
 
 
楽山には信仰がありません。あるのは、それこそ、カルト的な自分信仰です。自分の物差しで何でも測れるという慢心は、もはや、人間として存在の節操を失っていると思います。
 
不感不応で、まともに感受する心のない楽山は、あらゆる信仰の節操をも失って、解体、崩壊してゆくようです。把握も解釈も命題も理路も当為も、何一つ、成り立っていません。自己愛と自己顕示欲の意地または石になっているのです。転がり、破裂し、落ちて、欠損してゆくのでしょう。
 

「第二十講 ヨブの見神(四)」を読んだので、例の如くその内容と感想をメモしてみる。
ヨブ記第三十八章三十九節~四十二章六節の研究。
三十八章一節~三十八節は「宇宙の諸現象の中に神の穎智と力を認めたもので」あり、三十九節~四十一章は「生物界において神の穎智と愛を――殊に愛を強く――認めたものである」。

 
楽山は、まだ、自然は偉大 → 神は偉大 という内村鑑三氏の話の解釈に拘泥して、書いてきます。まだ、ヨブの無力を、神≒自然と比較して語りたいようです。
 
ヨブは、人間として無力であることを、試練を通して、慢心を砕かれて、目覚めることになります。そこに、神と人の立場の違いがあるのです。目覚めなど全くないまま慢心する楽山です。
 

「鴉は人に嫌わるる鳥である」が、神はその鴉でさえ「養い給う」。
「エホバは諸現象を引きまた動物を引きて、神智神力の無限と、人智人力の有限とを教えた」。「神は絶対の力であるに、ヨブは絶対の無力である」。

 
人に嫌われるカラスを神は養う、と書いて、楽山は、何を言いたいのでしょう。インチキと詭弁の偽善にまみれて嫌われる楽山自身も、神に養われるという詭弁のつもりなのでしょうか。
 
今さら、神に、断定はしてないから救ってもらえますよね、とでも言いたいのでしょうか。楽山には、別のものが巣食ってくるでしょう。楽山を、楽山に相応しいところへ、楽山自身が誘導しているということです。
 
楽山は、無力なのに、またしても、自己正当化するのでしょうか。無反省で成長のない楽山は、書き続けるという性懲りのなさで、ますます、無力に、邪悪になっています。今後も、破壊と腐乱のジュクジュクした炎症を味わうのでしょう。
 
ヨブは、神によって、砕かれ、頽(くずお)れて、悔い改めました。
 
楽山は、神の不在を説いたり、神を偉大と言ったり、性懲りの無さを、わざわざ見せつけて、救いも癒しも分からないのにヘッピリな自分を表しています。
 
(ネットより)
へっ‐ぴり【×屁っ▽放り】 の解説
《「へひり」の促音添加》
1 屁をひること。また、その人。
2 つまらぬ奴。人をののしっていう語。
「どいつらも―のくせに」〈滑・八笑人・二〉
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%B1%81%E3%81%A3%E6%94%BE%E3%82%8A/
 

「毅然として友に降らざりしヨブも、今は神御自身の直示に接して、この謙遜の心態に入るに至った」。
ヨブは神を知っているつもりだったが、そうではなく「神について聞いていたに過ぎなかった」。その「知識を所有していたに過ぎなかった」。「今は万象を通じて、神を直観直視するの域に至った」。

 
「神御自身の直示」と氏が書いているなら、自然→神、ではなく、神→驚くべき現象ということでしょう。森羅万象が、神の創造物であるから、神の偉大さに気づくという氏の話を、楽山は理解していないと思います。自然の驚異=神、とでも言うのでしょうか。
 
それは、キリスト教の神ではありません。キリスト教の神は、人格的唯一神であります。神の人格との共感が、キリストによって表されたということです。
 
楽山は、人の言うことを聞かない人です。知識も曲解の先入観に過ぎません。楽山が、神を直視するに至ることはなく、神を肯定する必然も、どこにも表れていません。また、だまそうとしています。
 

ヨブは神学によっても人の言によっても安心はできなかった。「苦悶者の真の行き場所は教会にあらず、教師にあらず、宗教書類にあらず、神の所作物たる自然の万物万象である」。
ヨブが天然に神を見たのは「彼の受けし艱難、彼の抱きし希望、これが彼の天然観を変えた」ためである。

 
楽山は、人間として宗教を理解できない者の特徴として、どうしても、人格に共感する神を、自然が暗示するだけの抽象名詞にしたいようです。「天然に神を見」るのは、天然観が変わったからではありません。信仰観が新たになったからです。
 
楽山は、ここまで、神を対象としてゆくなら、信仰の救いに気づくこともなく、自身がどうなってゆくかを自覚はしないまま、粘りつく油と砂を味わってゆく定めしかないように思われます。
 

釈尊の場合はすべてを観察した上で一切は苦であるとし、それらに対する執着を去り、厭い離れることを覚ったというが、内村鑑三によればヨブは天然自然に神を見てその中にある幸福を覚ったということらしい。

 
自己愛に執着し、自己愛から自己中になり、執着だけになっている楽山は、神から、厭われ離れられることを自覚しないままであることが、明らかとなっています。
 
「ヨブは天然自然に神を見てその中にある幸福を覚った」・・楽山は、神には人格がないことを強調しています。天然自然に表れる神も、人格に寄り添う神も、共感の主イエスも、つまり、創り主も救い主も、楽山には縁がなく、よって、自然そのものを神だと言い張るに至っています。
 
楽山のような呆れた偽善者に安く規定される神ではありません。ヨブは、天然自然を見ることが神を見ることだと分かったのではありません。自然を支配する神の力を見せられたのであります。
 

これらは正反対の行き方にも思えるが、どちらにも一理あると感じられるのはなぜだろう。これはちょっと不思議。

 
楽山は、どこが「正反対」だと言うのでしょう。何をもって、上から「どちらにも一理ある」なのでしょう。何も説明できていないことが楽山の本質です。神は、楽山のような裁きの対象にしかならない人に、上から規定されたり評価されたりすることはありません。
 
楽山の、神なき自然が神とでも言うような詭弁は、どこにも成立しません。楽山は、批判に対して、まともな返しも弁明も出来ない人です。知性も感性も失って皆無になってゆく途上であります。
 
分かっていないのだから、分からないと言って、引っ込むべきです。人の口を悪用して出来もしない自己主張をするのは、宗教、特に、キリスト教を、理もなく、心もなく、おとしめる公害です。
 
どこまでも、信仰を理解せず、理解しないのに信仰について書いてくるのは、信仰の意義を、否定し、消し去りたい楽山の、訂正不能の自己顕示欲でしょう。楽山は、既に、自己愛性人格障害を経て、単なる無神論ではなく、ある種の強迫症状の悪魔性に変貌しているようです。
 
こうなる前に、不遜に気づくのが人間であり、共感するのが信仰者です。何も気づかないのが楽山です。
 
そういう資質すら無いゆえに、うんざりするほど、楽山は、繰り返し、繰り返し、有名人の名前を出してきて、引用して自慢し、悪用して我を張ることで、神を上から見るような自己愛性の誇大妄想性を表しています。
 
知ることもなく、感じることもなく、説明も出来ない、というこの楽山の、我の張り方は、子供レベル以下だと思います。
 
 

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               自己愛の妄想
 
 
(2021年05月08日、同日一部修正)
 
 
 楽山のツイートですが
 

心機一転★こも楽山
@komo266
信仰告白尊いと思います。
でも正直言って、及川さんがこの方を神だと信じ崇めているというのは、うまく想像できないです。すいません。
午後9:38 · 2021年5月6日·Twitter Web App
https://twitter.com/komo266/status/1390284862326677506

 
ORが、翼を付いた仮装をして両手をあげている写真です。楽山の白々しい嘘が明らかです。「信仰告白尊い」などと思っていません。「すいません」・・楽山は本気で謝罪などしたことがありません。皮肉のつもりなのでしょう。
 
独りで見て、あざ笑い、さらに、これ見てよ・・とばかり出してくる、批判者ではなく、卑怯者、いちゃもん屋の、変わりない楽山の所業です。独り満悦が、醜いです。
 
根拠を示して批判するのは自由ですが、人をバカにして笑う、というのは、正当な批判の出来ない楽山の図式です。責任を負わなくて済むように、楽山は、これで、表現をやわらげたつもりなのです。あざ笑いが目に見えるようです。
 
(2021年05月08日)
 
 
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