ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

キリスト信仰

信仰の厳しさ(古い記事修正)

信仰の厳しさ 信仰は厳しくなければならない もちろん暴力という意味ではない いかなる場合も強制力は不可である 微笑みを絶やさず柔和に などというのは自らの失敗に気づかないだけだ 話し合うことに人によって気遣いは必要だが遠慮や忌憚があってはいけな…

信仰者の感謝

信仰者の感謝 感謝だけでは信仰は語れない 感謝する人の善い話と感謝しない人の善くない話だけでは信仰は語れない 感謝できないこともある人の心 人の心に触れ人の心を通して人の心を考えなければ神の下にある人の信仰は語れない 悲しみから仰ぎ祈り求めると…

自己中、ときに

自己中、ときに 主観と客観 前の記事「時と風」との関連で思い出したこと 昔、夏、台風の夜、通りに出ると強い風が吹いていてむしろ、吹かれていると、心地よい。 しかし、この風は、別のところで、別の人や家を壊しているかもしれない。でも、今、自分にだ…

神は死んだか

神は死んだか 先ずウィキから引用 神は死んだ ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉として、ニヒリズム(虚無主義)を表す言葉として広く引用される言葉である。ニーチェによれば、神・霊・魂といった虚構によって、栄養・健康・住居といった人生の重…

神について語るには

神について語るには キリストや聖霊についても同様ですが神というものを考えるとき全知全能の神については私たちの概念の箱には到底納まらないということを言いたいのです。 したがって「神」を概念や観念として言葉で考えることは無理すれば人が全能者を扱…

神の存在と信仰

神の存在と信仰 「客観的に言えば 神はいないかもしれない」このことは キリスト者が言ってはいけないことではありません。 何故なら、キリスト者が 神はいるんだ!と、いくら言い張っても また、非信仰者が 神はいない!と、いくら言い張っても 神の存在も…

神への恐れ

神への恐れ 教会の、ある集会に出たときです。 私が洗礼を受けた日本基督教団の教会ではなく、 教会の独立を主張している日本基督教会の集まりでした。 伝道活動の報告を信徒がしていました。そして、捗々しくない進み方について少し、言い訳めいた感じで、…

救われる条件

救われる条件 キリスト者になると柔和な人間になると あるいは社会的基準においても善人になると思われているかもしれません。 実際は、そうではありません。 普通の人間と同じように頑なになることがありさらに信仰があるという自覚ゆえに特に教理や善と悪…

求道と信仰

求道と信仰 求道者は心が動いて信仰に目覚め キリスト者になります。 キリスト者になったら悟ったからと心を固定してよいはずはありません。 心を動かしてくれるものによって信仰は人を動かします。 一般には感動と呼ばれますが心に感じ心が動くということな…

自己中心信仰

自己中心信仰 初期の、あるいは、未熟な信仰が犯す過ちがある。 一種のセンチメンタリズム(感傷)でもある。 神を信じるが その神は自分を救ってくれる神でしかない。 聖書に書いてある神はそれだけではない。 信仰者が過ちを犯さないように同じ過ちを繰り…

不可知の神

不可知の神 不可知の神と言えば グノーシス派とかを知っている人もいるのだろう。 私は、よく知らないが。 検索してみると ヨーロッパの中世ではグノーシス派などがgnosis グノーシスによって神の本体を直接に知ることができる、としたのに対して、ローマ・…

罪と救い

罪と救い 人間は生きている限り罪を犯す。 (マタイによる福音書、口語訳)5:17わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。 (マタイ5:17、新約聖書) 「情欲をいだいて女を見る者…