ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

カルトと人間らしさ(3)

 
  カルトと人間らしさ(3)
   
   人間らしくありたい
   
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38803307.html
   ゲストブックなど、複数記事にまたがるコメント欄より。
   私のコメントは記事専用です。
 
 
シャロームは、楽山が受け入れて好意的なレスするものだから、調子に乗って、コメントを書き続けています。したがって、またしても、シャロームは、「宮崎駿のアニメの世界はそのような日本教の世界を描いたものではないか」と書いた幼稚な短絡のような、理路のない話をずるずると、垂れ流す経過と結果になってゆくのです。
 
(楽山)
言われてみれば、自分は、何かを絶対化するよりは、何でも相対化する方かも…。これも日本教的な思考かもしれません。
 宮崎駿のアニメは、「千と千尋の神隠し」を見たときは、日本的過ぎて海外ではウケないだろうと思ったけど、そうでもなかったのは意外でした。
2019/3/10(日) 午前 7:26 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
絶対の神に対する人間の信仰は相対ではなくてはなりません。絶対は神だけだからです。そのことは、信仰の相対化という言葉で既に言われていることですし、私は、かなり賛成しているのですが、シャロームは、それを全く理解できず、理解する気もなく、自説絶対に進んで訂正不能になっているのです。楽山は、底を見抜けず、社交の世辞に騙されて、シャロームが全然分かっていないことを、議論しているつもりなのですから、滑稽というべきでしょう。
 
(シャローム
> 楽山 (自由)さん おはようございます。

「自分は、何かを絶対化するよりは、何でも相対化する方かも…。これも日本教的な思考かもしれません。」

 私たちが互いにこの本文記事のテーマのように“人間らしくありたい”と願う時、絶対化は“人間らしくありたい”という願いを抱く個人と互いの関係にどのような影響を招くのでしょうか。絶対的支配と絶対的依存関係だとしたら、きっと“人間らしくありたい”という願いを抑圧し、否定することになる・・・それは極端すぎる考え方で現実的ではないとして、反対に相対化は“人間らしくありたい”にはどのようなことになるのでしょうか。
2019/3/10(日) 午前 9:23 [ shalom ] 返信する
 
(私)
シャロームは、自分の言いたいことを好きなだけ言えば、正邪などどうでもよくて満悦する人なので、楽山の言うことに受け入れるかのようなコメントを返しています。信仰の相対化に一途に反しているのが、シャロームです。
(私)
シャロームは、人間らしくありたいなどとは思っていません。シャロームが、きわめて安易に神聖の絶対を根拠してくることが証拠です。人が絶対を根拠に言い張ることは、全く人間らしくないことです
 
(シャローム
きっと相対化の方が、むしろ人間らしくありたいという願いにふさわしいように思われますが、相対化を現実に適用したときに私たちの現実にどのようなことを招くのでしょうね。お互いにありのままを受容し合えればとても人間らしくありたいという願いにふさわしい関係になるように思われます。
 
(私)
人間のありのままは、相当、醜いものです。私を含めて、ありのままには醜いものがいっぱいあるから、信仰とか真実とかを考えるのです。そうして思うのは、人間のありのままのうち、乏しいながら、良心などと呼ばれるところがあり、反省する意志や共感する心があり、そこにキリストは語りかけてくるのです。そこに信仰は生まれてくるのです
 
(私)
シャロームには、その反省する意志と、共感する心がないと思います。だから反省せず、共感の代わりに、世辞を言い詭弁を弄して、辻褄を合わせようとするのです。楽山は、そこを全く見抜けず、人間らしい完成を失いつつあります。シャロームを見ていると、ありのままも、本音も、気取りも、丁寧語も聖書語も、醜いと思います。
 
(シャローム
しかし、私たちが互いにありのままを受容できればいいのでしょうが、それは思うだけではとてもいいのですが、顔と顔を合わせる現実に適応すると、実際にはいろんな問題、支障が生じ、そうはいかないかもしれません。私たちの心はそんな自由ではないようです。
2019/3/10(日) 午前 9:24 [ shalom ] 返信する
 
(私)
シャロームの騙し文句と詭弁が全開です。シャロームは、その努力さえせずにおいて、そんな自由ではないと言っているのです。シャロームは、自分も人も、自由でないことを、すり込まれやすいことを利用してきましたし、今の今もそうしています。
(私)
私たちは自由ではないからこそ、相対化と修正可能が大切になってくるのです。
 
(シャローム

宮崎駿のアニメは、「千と千尋の神隠し」を見たときは、日本的過ぎて海外ではウケないだろうと思ったけど、そうでもなかったのは意外でした。」

私もそう思いました。が、しかし、ある意味では海外の人には自分たちの世界にはない日本の神話によって表現される不思議な世界の空気感は海外の合理的な世界に生きている人には新鮮な、人間らしい別世界に惹き込まれウケたのかもしれません。
 
(私)
優れた想像力には、多くの人が感動するものです。そういう常識で語るのではなく、非合理の別世界という言葉で表すシャローム自身は、誇大的な空想が大好きで、神秘を自分に結び付けて奇跡を語り、詭弁を並べてきました。シャロームは、人間らしさが話題になってるからと、ここで、宮崎駿アニメを、無理に、人間らしさに結び付けています。
(私)
このような無理をお構いなしに短絡させるような無思慮によって、シャロームは、好き放題に、人間らしさを捨てて、代わりに、世辞でごまかす妄想を訂正不能にしてきたのです。楽山は、シャロームの語り口から、理路の不備も、共感の欠如も、誇大的な言い回しも、何も見抜けない人なのでしょうか。
 
(シャローム
近年海外から観光で日本に来る人が多くなっていることにも影響していると思いますね。日本の自然や日本人の生活に海外、特に欧米にはない神話世界の息吹きを感じ、神社仏閣に興味を抱いている人も多いのかもしれませんね。
 人も世界も絶対化でも、相対化でもなく、統合化に向かっている、向かわなければならないのかもしれません。
が、私たちに、人にそんなことができるかどうかですね。
2019/3/10(日) 午前 9:25 [ shalom ] 返信する
 
(私)
神話世界は欧米にはないのでしょうか。日本にだけ息吹いているのでしょうか。ハリーポッターはヒットしなかったでしょうか。欧米とは違う神話というだけでヒットするでしょうか。書いたように、想像力が魅力だったからです。シャロームは、日本文化=日本教、ということを、強調したいだけでしょう。
(私)
そのような、シャロームの分析が信頼できたことは、一度もありません。ただ大袈裟で安易で、短絡して、断定しているだけなのです。シャロームは、楽山が受け入れるものだから、嬉しくてたまらないようですが、そのことが、シャロームの妄想を促進しているのです。
(私)
日本文化ということなら、欧米の人々にとっては、異国情緒ということになるでしょうから、最近怪しくなってきていても技術において先進国である日本が、異国情緒満載の想像力を併せ持つ作品を公開することが、珍しくもあり、賞賛もされたように思います。観光客が増えたのも、その結果というところもあるでしょう。シャロームの、ふと、思いついたら、推敲もせずに、書きまくる筆致にだけは、影響されないでください。シャロームは、ずっと、異常なのです。
 
(私)
>「私たちに、人にそんなこと(相対化~統合化)ができるかどうかですね」<
シャロームには、決して、できないと思います。その方向に努力しないばかりか、相対化にも統合化にも反するところの妄想的訂正不能だからです。それより、シャロームは、相対化も統合化も、分かっていないと思います
 
(シャローム
世界は既成の価値観、世界観が震われ、亀裂を起こし、崩壊し、否定され、混沌、無秩序の自由を求めているのでしょうか。人の善悪を知る木の実を食べる人のわざ、価値観、世界観は崩壊し、混沌、混乱と無秩序の到来によって、産みの苦しみの中で生まれ出る新しい統合の世界の訪れへと向かっているのかもしれません。
世界の歴史は中東から西回りにキリスト教を土台とした価値観、世界観による科学の発展によって、変革されてきましたが、その果実が爛熟し、落下し、腐敗し、キリスト教による価値観、世界観による支配原理が行き詰まり、閉塞状態のなかで、世界は終末期を迎え、日本、中国、イスラム世界による反合理的世界観、価値観による放縦に自由を見出し、無秩序という秩序に生きるための呼吸、酸欠状態のなかで空気を求めて息をしているようにも感じられます。聖書は混沌は人の時、人のわざの行き詰まりですが、神の時、神の創造の始まりだと証言しています。ハレルヤ!
2019/3/11(月) 午前 9:22 [ shalom ] 返信する
 
(私)
シャロームは、いつも、ボロクソ節で文句を言いたい放題言っているだけなのです。何か解決に結び付くようなことは、いっさい言えない人です。後は、神様がいれば何でもできる、という讃美ですが、その神様を、真っ向から裏切って罪を悔い改めず、言い訳に詭弁と誇大的な豪語を繰り返しているシャロームです。真に受けないように願います。
 
(シャローム
今日は3.11。
8年前の東日本大震災原発事故の光景がよみがえってきます。
マグニチュード7~8の東北沖、南海トラフに起こる巨大地震
が30年以内には起こると予告されています。
 福島原発メルトダウンした900tのデブリはオリンピック後の2021年からスプーン?で取り出すとは言われていますが、果たして何年かかるのでしょうか。汚染水の増え続けているタンクが目に浮かびます。
だれが安心して生活できるのでしょうか。
 私はもう一度、地だけではなく、天をも震わそうという聖書の言葉が思い起こされます。
2019/3/11(月) 午前 9:39 [ shalom ] 返信する
 
(私)
ペテン師の客引きだと思ったほうがよいと思います。熱心に共感しているように見せていますが、ただ豪語したいだけで、これもシャロームのボロクソ節です。上と同じような、誇大的な結びになっています。このシャロームの筆致を見抜けず、熱心な信仰と言った楽山が味方になっています。
 
(私)
今まで見てきましたが、シャロームを受け容れる楽山の態度は、いわゆる面接における受容的態度とは違います。対人関係における柔和とも違います。受容的態度は、肯定はしないが、否定もしないでおくことです。しかも、受容的態度は、精神病理の妄想に対する面接の態度です。虚言癖や、いい加減な人格を持つ者の妄想に対して、楽山は、火に油を注いで、ますます悪化させる行為を続けています。決して受容でも柔和でもないのです。
(私)
なぜ、楽山は、シャロームに好意的なのでしょう。それは、楽山も、負けず劣らず、アドラー教という、気に入らないことは無視する、という、訂正不能の怖い信条を持っている怖い人だからでしょう。だから、シャロームの狂気が促進されても、嫌なことは無視して、いい気持でいられるのでしょう。
(私)
楽山は、前に書きましたが、悔い改めより赦しが先と言って、こともあろうに、シャロームの訂正不能の、罪を悔い改めない姿勢を支持して、キリスト教徒キリスト信仰を知りもしないで、ツイッターと引用と記事とコメントによって、けがしました。それらは、ことごとく私が反論しましたし、楽山の批判は全く成り立たないものでしたが、嫌なことは無視する信条なので、訂正も謝罪も一切しないでいられるのです。
(私)
楽山が書けるのは、悪口とか嫌がらせの類でした。婉曲的に暗示する悪口も気持ち悪いものですが、楽山は直接はっきり言うことが、柔和や自由に反すると思っているようです柔和と、はっきり言わないことを、混同しているようです。その結果、コンニャクのような筆致になっているのです。腰を低めにした素振りで、証拠がないと否定すれば正しいと思っているのでしょうか分からないとか自信がないとかならば、断定や書くことを控える思慮が必要です。
 
(私)
腰が低くて、侮辱だけはしてくる、というのは最悪です
 
(私)
また、前に書いたように、私が、黙れと言ったり無視せず語れと言ったりすると、矛盾であるかのような書き方をしてきました。この「黙れ」と「無視するな」とは、対象となる文脈が違う、ということを既に書きましたが、こういうことがあって、改めて、楽山という人が、狡い詭弁を弄する人だと認識しました。つまり、一方的に、けなすようなことを書いてきたのは、楽山とシャローム両方なのです。言論者として失格でありますし、とても迷惑なちょっかいを宗教に及ぼしています。
 
(私)
言葉を、言の葉(ことのは)、とも言いますが、言葉は、単なる葉っぱではありません。心に、根があり、幹があり、枝があるから、言葉が生まれるのです葉っぱだけ投げて、言葉を使っているつもりなのは、それこそ、根も葉もないことなのです。葉っぱだけでは、何も結実することないからです
(私)
命と人生に関わる真実追求において、葉っぱだけをまき散らして、一生懸命を表さないまま、なごみ合う者たちは、持続的に、厳しい批判と、最低の評価と、最大の嫌悪を向けられるべきです。
(私)
気持ちの悪い言論者気取りが、カルトを中心に、その周辺にも、いっぱいいます
 
 

ゴール見えない廃炉の姿
https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28920434.html
2019/3/12(火) 午前 6:00
以下は、政治の転載記事の文末にシャロームが書いたものですが、
{2019年03月12日午前10:23現在}
 

《shalomのコメント》
原発政策転換と廃炉を迅速に進める最も効果的政策の提案。
①すべての国会議員と家族の福島移住。
 原発を推進した元議員も含む。
②国会議事堂と首相官邸・公邸の福島移築。
③東電の歴代経営者と家族の福島移住。

 
国と原発関係者への単純な当てつけか、憂さ晴らしの皮肉に過ぎません。
シャロームが書く記事と思考の結論は、せいぜい、こういうものなのです。
どこが効果的なのでしょう。どこが提案になっているのでしょう。
どこをどうやって実現しようという提案?なのでしょう。
 
シャロームは、こういうことを書いて、政治を批判する評論家気取りで、
何か、とても大事な、大まじめの、まともな提案とか?意見を言ったつもりなのです。
シャロームの思想の精神は、いわば、ネトウヨ以下だと思います。
 
いかなるテーマを語るにしても
真面目に議論している人にとっては傍迷惑なだけです。
 
シャロームは気に入らないときに、恐らく、
憂さ晴らしの悪口しか言えない人
なんだろうなと思います。
 
 
{2019年03月13日アップ}