ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

カルト体験?実践?(4)

 
  カルト体験?実践?(4)
 
   ★カルト体験 
   (人間観の問題:人は神性を有する神の子だと思い込み過ぎると、
   反省できなくなってしまう?)
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41338653.html
   楽山のブログのコメント欄つづき。
   私の意見は、コメントを書いているところもありますが、
   記事用に加えたタイムスタンプのないものが多いです。
 
 
(シャローム
> 自由さん こんばんは
「あとの部分は、自分には難しい」
たしかにキリスト教という一宗教の考え方としてはきっとわかりにくいと思います。でもきっと自由さんなら、これが本来の姿である人間の心の神に対する幼子のような信仰、信頼を、神のようなものになれると騙し、偽り、自由意思を奪い、主体性を奪い、善悪の基準をすべてカルトの支配者にゆだね、支配されカルトのいうがまま罪の奴隷とされ隷属化された人間を支配者であるカルトのボス?から救い、解放し、癒すために、神がイエスという救済者、解放者、癒し主を遣わされたと想定すればわかりやすいと思いますがいかがですか?
2019/1/26(土) 午後 9:47[ shalom ]返信する
 
(私)
シャロームは、カルトをめぐる救いの神話を作りたいようですが、このように、神の関わりに譬えて、自分を高めてゆくのは、聖霊、啓示を、しばしば豪語することも併せて、預言者気取りのシャロームの生業と言ってもいいでしょう。
 
(シャローム
確かにイエスは騙され、的外れの罪の奴隷と化している私たちを救い、解放し、癒す方なのです。現実にカルトに勝利し、囚われている人を解放し、人それぞれの自由を超えた、神に対する自由意思を回復し、その自由意思と主体性を回復するために神がイエスを遣わされ、罪の奴隷としての自我をイエスととも十字架につけられる死の道によるほかに確かな救いはないと思われますが、いかがでしょうか。
 
(私)
キリストについての日本語がおかしくなっています。恐らく、「確かにイエスは、騙され的外れの罪の奴隷と化している私たちを救い」と言いたいのでしょう。何事も、いい加減にしか出来なくなるのも、神に対して偽る大嘘を吐いてきたからでしょう。楽山は、シャロームをまともに聞いているのでしょうか。易坊の成りすましなら、心で笑っているのではないでしょうか。それとも3者同一で、芝居しているのでしょうか。
 
(シャローム
大坂なおみさん全豪オープンテニス優勝しましたね!
一度は逆転されそうになりましたが・・・あっぱれ!優勝しました!うれしいですね!
2019/1/26(土) 午後 9:47[ shalom ]返信する
 
(私)
シャロームは、これで場を和ませようというのでしょうか。嘘吐き癖で、文章がおかしくなった後で。余計なことをして、理路が、信仰において、ますます成り立ちません。症状が進行したようです。
 
(楽山)
うーん、自分は最近は、「〇〇は、××のためだった」という考え方は、なるだけ避けてます。
ずうっと前に、大川本を読んだ時、「自分が生れてきたのは、この教えと出会うためだった」と思い込んで痛い目に遭った過去があるので…。
2019/1/27(日) 午前 8:35[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
楽山はアドラー教で、そして、シャロームは妄想で、都合の悪いことは、すべて無視しています。
 
(楽山)
ものごとに意味や目的を見いだせれば、すごく気持ちがいいし、生き甲斐を持てるのはわかります。
でも自分は元々、迷信深く、思い込みが激しいところがあるので、そっち方面にはあまり進まない方がよさそうではあります。
2019/1/27(日) 午前 8:36[ 楽山 (自由) ]返信する
 
楽山は、シャロームが鬱陶しくなってきたようです。シャロームは、前に政治思想ブログでそうだったように、読みましたか、読んでください、を繰り返すなど、執拗に食い下がる傾向があります。訂正不能が強迫観念を生んでいるようです。楽山は、うるさいと、罵詈雑言を吐きたいのだと思います。社交の付き合いという文章では、そうもいかないのでしょう。ただし、同一人の成りすましなら、これも、承知の上でしょうし、あるいは、総てが嘘の芝居ということもありうることです。
 
(シャローム
> 自由さん こんにちは
「痛い目に遭った過去」、「迷信深く、思い込みが激しいところがある」
 自由さんのその気持ち私もあります。
 痛い経験や迷信など、私たちの心、生き方を不自由にしているトラウマを乗りこなすのは難しいですね。やはり辛いこと、思い出したくないことの再体験は嫌でつい避けて通りたくなります。
でも振り返ると私の大きな生き方の転機はいつも行き詰まりやそういう避けて通りたいときに開かれたことが多かったように思います。よく危機はチャンスだなんて言われますが、確かにそうだなと思います。
 
(私)
シャロームこそ、無視の権化です。明らかに8年ほど、実際は何十年も都合の悪いことを無視して生きて、気持ちよくなることだけを求めて、理路も共感も失いながら、無理な欲望のために元牧師のふりをしています。
 
(シャローム
神はその時、私をいやなトラウマから自由にして、神による新しい道を開かれる時だということは聖書に一貫して証しされていることのようです。
 
(私)
その、不都合を無視する信仰を、人それぞれと言い張り、また、神の恵み、新しい道、つまり信仰とも呼んで、関わる人を欺いてきたのです。そして、それにつれて、何か読んでも、何を書いても、的外れ応答しか出来なくなってきたシャロームであります。思想ブログや他のキリスト教ブログでの言い張りの理路の奔逸と滅裂は、正視に耐えないものでした。
 
(シャローム
エスの十字架の苦難と死はイエスにとって最悪の出来事ですが、それが父なる神の最善の道だと信じて、まさに幼児が親の手にゆだねるように“私の思いではなく、御心のままにしてください”と祈られたイエスさまの祈り、信仰の歩みによって私たちの前にいのちの道が開かれたのですから感謝ですね。でも、それでもやはり避けて通りたいと思う弱い自分がありますね。
2019/1/27(日) 午後 3:24[ shalom ]返信する
 
(私)
嘘吐き、偽善、罪を認めない、悔い改めない、ということを、自分ではなく、神の御心だと言うのでしょうか。どれだけ、神を冒涜し、裏切ったら、気が済むのでしょう。自己正当化に神まで利用するシャロームです。
 
(楽山)
トラウマというか、心の傷というか、そういうのもあるけど、どうもこういう思考は、ヒトの脳が持っている癖でもあるようなんですよね。目的‐機能論的推理とかいうらしい。
ちょっと検索してみたところでは、この説明が分かり易いかも。↓
2019/1/27(日) 午後 7:56[ 楽山 (自由) ]返信する
>『ヒトはなぜ神を信じるのか』 逃れられない神の目
>本書には、信仰が生得的である証拠を示す研究が多数紹介されている。例えば、ボストン大の心理学者ケルマンによる実験では、7~8歳児は、自然界の無生物は目的を持って存在している(例えば、木は鳥が休むために存在する)という、目的‐機能論的推理を圧倒的に好む傾向が示されている。これは、親が宗教を信仰しているかどうかに因らない、普遍的な傾向だそうだ。学校教育を受けている多くの子どもは、10歳を越える頃から、目的‐機能論的説明よりも、科学的説明を選び始める。しかし、教育を受けていない大人のジプシーやアルツハイマー患者は、いずれも目的‐機能論的説明を好むという。
https://honz.jp/articles/-/15418
2019/1/27(日) 午後 7:57[ 楽山 (自由) ]返信する
(楽山)
自分は先に述べた通り、大川本を読み、ハマったときは、「自分はこの本に出会うために生まれてきたのだ」と思いつめてしまったのでした。
あと、大川さんの言動に疑問を持ち始めた頃は、「これには深い理由があるに違いない。何かの目的のために、あえて矛盾したことをしているのだろう」と思うようにしてた。
さらには、退会したときには、「自分はなぜ大川さんを信じてしまったのだろう…きっと前世のカルマ清算のために違いない」と考えたりしてた。
その中身は、「自分は、前世ではアングリマーラのように、師匠の間違った命令を拒否できなかったのだろう。だから今生では、カルト教祖の信者となり、その間違った命令を拒否できるかどうかという課題が与えられたのだろう」というもの。
まさに、ずうっと、「〇〇は、××のためだった」という思考だらけです。
2019/1/27(日) 午後 8:00[ 楽山 (自由) ]返信する
というわけで、自分はそろそろこういう思考から抜け出さないといけないなあと思ってます。
こういう思考は、ヒトの性でもあるようだから、完全に抜け出すのは無理だろうけれども、今よりもうちょっと距離をおきたいなあと…そういうわけです。
 
(私)
シャロームの信仰は、神の導きだった、ということで満ちており、しかも、それは全部、シャロームが楽になる方向だと決めつけている身勝手な嘘なのです。だから、何をしても救われる、ということになり、罪を認めず悔い改めない、ということなのでしょう。
(私)
必然を偶然のように起こすのは神のみであり、その解釈を人間がすれば越権行為であり、決めつければ背教なのですが、シャロームは、偽善者カルトの役目を自分で負うたのでしょうか、意味付けを続けるのでしょう。しかも、それを語って、信仰だと思い込み、よく見せようとするのは、またしても、神への裏切り行為なのです。
 
(楽山)
自分は、心霊とか、宗教とかの知識を仕入れちゃってるので、もし目的‐機能論的推理をすれば、上で少し述べたようにトンデモ、デンパな方向に行ってしまうのは火を見るより明らかですから、ここは自分を守るためにも、そっちとは距離をおくしかないということ。
2019/1/27(日) 午後 8:14[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
楽山は、知識を仕入れたと言いますが、それで宗教は語れません。宗教を勘違いしているようだが、宗教は人間を人間らしくするためにあります。そこを間違って、シャロームのようになると、超常妄想へと進み、信じ込んで、人間から乖離してゆくのです。
楽山が知識に頼るのも、易坊と同じようなもので、知ってることを並べ立てて、楽山は結論だけ保留しているようなものです。作為を感じざるを得ません。だから疑惑が生まれます。
 
(シャローム
> 自由さん こんばんは
人と他の生き物との違いは本能に従って生きるか、本能と自由意思をもって三次元世界における目的、意味にかなう行動、生き方を選択すること、またその生き方がどのような死後の三次元以上を世界、地獄や極楽、天国、神の国を招くかを考えたりすることと言えるかもしれませんね。だから人は寺院をつくり、宗教的な儀礼や墳墓に副葬品を備えたりするのではないかと思います。このこと自体はどんなに科学が進歩しても、古今東西、人の心にあり、特に日本人の心にはアニミズムに由来する因襲が日本文化の核になっていることは否定できませんので、日本人が日本人である以上なくなることはないと思われます。今日の政治風潮も明らかにそういう強い傾向への回帰を感じさせます。
2019/1/27(日) 午後 9:58[ shalom ]返信する
 
(私)
シャロームは、自身の悪しき傾向には鈍感ですが、他者についてはボロクソに言ってきました。
 
(シャローム
「自分は、心霊とか、宗教とかの知識を仕入れちゃってるので、もし目的‐機能論的推理をすれば、上で少し述べたようにトンデモ、デンパな方向に行ってしまう」
そういう私たちの過去の心の痛みや苦しみ、不安、飢え渇きから解放し、癒し、真の自由を与える方がイエスだと私は信じ、それが真実であることは聖書の証言でもあり、私の体験として知っています。
 
(私)
また、今度は、神聖の中のキリストを、自己正当化に利用しています。悔い改めもしない偽キリスト者であるのに。それを、今度は、キリストのせいにするのでしょうか。恐ろしく節操を失った背教です。
 
(シャローム
真理はあなたがたに自由を与えますなんて人が言える言葉ではありませんし、さらに、イエスは私は道であり、真理であり、いのちです。だれでも私によらないでは父のもとに行くことは出来ませんと言ったり、それは狂気の沙汰で、神でなければ神を汚す人物に違いありません。私もそう思います。カルトの教祖にはそういう人物もいるようですね。イエスも伝統的なユダヤ教によるとそういう人物だと断罪されたのです。
2019/1/27(日) 午後 9:59[ shalom ]返信する
 
(私)
シャロームこそ、勝手に神を決めつける、神をけがすだけのモノです。上は、開き直りです。
 
(シャローム
カルトにかかわった人はほんとうに深いトラウマを心に負いながら、「もし目的‐機能論的推理をすれば、上で少し述べたようにトンデモ、デンパな方向に行ってしまうのは火を見るより明らかですから、ここは自分を守るためにも、そっちとは距離をおくしかないと」と長い間新たな心のよりどころを求めながらも、フォビア(恐怖)と戦っておられる人が多いことは私も数人知っていますし、否定できない事実です。
 
(私)
シャロームは、上から人を押しつぶし、トラウマを負わせる人です。恐怖の偽伝道者なのです。
 
(シャローム
私も決して例外ではありません。私が劣等感のないオープンな人だと書いておられましたが、わたしにも同じような防衛機制がはたらいているのです。自己防衛機制は決して悪いものではありませんが、同時に自分の心の自由な働きを規制し、拘束する働きでもあります。
2019/1/27(日) 午後 10:00[ shalom ]返信する
 
(私)
シャローム防衛機制は、反対されると、はぐらかし、皮肉を言い、上から人を押しつぶし、その後、無視したり、しばしば侮辱したり、大嘘を吐き続け、妄想を広めることで、関係を壊して行く人生を歩んでいます。
(私)
シャロームは、劣等感はあるでしょうが、その跳ね返りとして、嘘を学んで、人を陥れて悦に入る生業の、預言者気取りとインテリ気取りが、みっともないだけの、サディスティックな反キリストのカルト宣伝者です。つまり、加害者になっても、被害者ではありません。ただ、被害的念慮が敵意となって根底にあり、反動としての誇大妄想的な思想が表れてくるようです。
 
(シャローム
同化も投影も反動形成も、知性化も・・・私たちの防衛機制として働いていますが、他の人を批判したりしていても、ある意味自分を守るバリアーでもあります。
 
(私)
シャロームは、ようやく批判を防衛機制だと言って、言い返したつもりでいます。しかし、またしても、シャロームに出来るのは、批判ではなく、悪口だけです。理路がまとまらないからです。あるいは、成りすましならば、シャロームとしては、まとまってはいけないからでしょう。
 
(シャローム
自由さん。自由さんだからこそ、私はこうして私の思うこと、信じることを自由に書いていますが、だれにでも書けることではありません。それは自由さんが自由であり、真剣に自由に生きようとしておられるからです。自由さんの心に踏み込んだり、批判をしている意図はありませんので、いつでも自由に思うこと、感じることを書いてください。ほんとうに自由であることには自分のうちや外との戦いなしには生きることは出来ませんね。
 
(私)
シャロームが、ここまで楽山に好意を示すのは、どちらも荒らしの易坊だからではないか、という疑惑が続いています。
 
(シャローム
この世にあってはあなたがたには戦いがある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っていると言われたイエスがいつも共におられます。私たちが自覚しようと自覚できないとしても。
SHALOM!
2019/1/27(日) 午後 10:02[ shalom ]返信する
 
(私)
主イエスがともにいるところで、罪を認めず、悔い改めず、平気で嘘を吐き、気に入らないコメントを削除し、自己中心の教理妄想を吹聴してきたのが、シャロームです。つまり、シャロームは、キリストを信じてなどいないのです。
 
(楽山)
こんばんは。
とくに批判されてるとは思ってませんけど、信仰と情熱に圧倒されてはいます。
 
(私)
信仰と情熱に圧倒されるほど、シャロームの言説に魅力を感じると世辞を言うのが楽山です。こういう白々しい作為は易坊に似ています。成りすましの疑惑は深まるばかりです。
 
(楽山)
目的‐機能論的推理に対する警戒は、自分を含めた他のHS信者さんたちを見てのことでもあります。
霊的なことを信じた上で、目的‐機能論的推理をすれば、なにかにつけて、「この事件の霊的な背景はこうだ。霊的な理由はこうだ」という考え方をするようになるようです。その結果、妄想と現実の区別がつかなくなってゆく…。私はそんな風にはなりたくないと思っるわけです。
 目的‐機能論的推理は、ヒトの性のようだから、無くすことはできないし、そんなことを目指すべきではないだろうけれども、それが暴走しないように注意はしておこうと…。
2019/1/28(月) 午後 8:07[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
宗教の悪い例と、否定も肯定もしない例とを、取り揃えております、という宣伝のようです。
 
 
(2019年06月16日)
 
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