ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

カルト体験?実践?(5)

 
  カルト体験?実践?(5)
 
   ★カルト体験 
   (人間観の問題:人は神性を有する神の子だと思い込み過ぎると、
   反省できなくなってしまう?)
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41338653.html
   楽山のブログのコメント欄つづき。
   私の意見は、コメントを書いているところもありますが、
   記事用に加えたタイムスタンプのないものが多いです。
 
 
(シャローム
> 自由さん 自由さんの気持ちはよく理解できます。
 教会でも目的‐機能論的推理による暴走はよくあります。
 教会で聖霊の働きである導き、助けを強調されるとよく分裂、混乱が起こることがあります。霊はなにしろ見えないのですから、たしかにそういう危うさには気を付ける必要がありますね。そのために聖書のみ言葉との整合性をつねに求めることが不可欠だとおもいます。
 使徒パウロは弟子であるテモテに次のように書いています。
 新約・第二テモテ
3:14あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい。あなたは、それをだれから学んだか知っており、
3:15 また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。
3:16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
3:17 それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。
2019/1/28(月) 午後 9:22[ shalom ]返信する
 
(私)
シャロームキリスト者ならば、義に導かれて、嘘を吐き、罪を認めず、悔い改めず、コメントを削除したことになります。つまり、シャロームキリスト者ではないということです。執拗に聖句を引用してコメントや記事を書いてくるのは羞恥心も罪悪感もないからでしょう。
 
(シャローム
ほかにもたくさん聖霊について書かれています。イエスさまも死を前にして弟子たちに聖霊の来臨とその働きについて話しておられます。イエスさまを信じる信仰は人から生まれた思想ではありませんから、神の言葉である聖書という土台抜きにはあり得ないのです。
2019/1/28(月) 午後 9:23[ shalom ]返信する
 
(私)
その神の言葉である聖書にも背いて土台を裏切っているシャロームには信仰はあり得ないのです。つまり、そのことから、シャロームは信仰と聖書と神とキリストについて書いたり言ったりしていますが、その総てが、嘘だと言えるのです。
 
(シャローム
> 自由さん
絶対神がいるなら全ては予定されてるだろうし、絶対神がいなくても何らかの法則があるなら全てはニニが四なんだろうなあと。」
 神はとことんまで私たちの主体性と自由を尊重されます。カルトのように決して法則で私たちを縛り、支配される方ではありません。私たちは自由に選択し、行動することができますが、決して結果を選ぶことは出来ません。その結果が私たちにとって苦々しい受け入れられない結果であっても、その結果をとおして神は最善の導きをしてくださる方なのです。私たちの弱さや過ちですら、ご自分の祝福の通り管とすることのできる方です。
2019/1/28(月) 午後 9:50[ shalom ]返信する
 
(私)
そして、シャロームは、嘘を吐いたこと、コメント削除や、侮辱、そして何よりも、罪を認めず悔い改めていないことについて自分で神に告白するしかないのに、していないのです。その言い訳に、神が与えると言って、神に責任を転嫁しているのです。いくら神を誉めても無駄なのです。シャロームも、特にシャロームは、結果を選ぶことは決して出来ません。結果を招く経過が黒々と積み重なっています。
 
(シャローム
確かに私たちが罪を犯せば、その罪が私たちの苦い結果をもたらしますが、神はその苦みをとおして、私たちをご自分のみもとに引き寄せ、み言葉の真実を証しし、私たちの信仰をみことばしっかり結び付けてくださいます。信仰は聞くことから、聞くことはキリストの言葉からという聖書の言葉だと書かれています。
 
(私)
シャロームは、御言葉の真実を明かすつもりなら、また大嘘を吐くことになります。神が、シャロームの信仰?を御言葉と結び付けてくださるなら、シャロームは、とうに、悔い改めているはずだからです。今までの言動からも、シャロームは、今日も、酷い有り様です。
 
(シャローム
 神はすべてのことを相働かせて益としてくださる方だとも聖書にかかれています。全ての道で主を認めよ、そうすれば主はあなたがたの道をまっすぐにされるとも書かれています。
どんな弱さも失敗も神には神の恵みをあらわし、祝福としてくださいます。
2019/1/28(月) 午後 9:51[ shalom ]返信する
 
(私)
シャロームの道は真っ直ぐにされたでしょうか。弱さも失敗も、神に正直に告白しない限り、神の恵みが、大嘘吐きに与えられることはないのです。総て、シャロームの嘘に基づく自己満悦です。
 
(私)
人間の主体性と自由について、シャロームは、相当に軽視してきたと思いますが、ここでは、手のひらを返したように、神が主体性と自由を尊重すると言っています。しかも、その結果を通して神が最善の導きをしてくれると言っています。さて、シャロームは、悔い改めない罪と偽善に塗れていますが、その偽善が神の祝福の”通り管”だとでも言いたいのでしょうか。
2019/1/30(水) 午後 2:01st5402jp返信する
 
>(シャローム
 確かに私たちが罪を犯せば、その罪が私たちの苦い結果をもたらしますが、神はその苦みをとおして、私たちをご自分のみもとに引き寄せ、み言葉の真実を証しし、私たちの信仰をみことばしっかり結び付けてくださいます。信仰は聞くことから、聞くことはキリストの言葉からという聖書の言葉だと書かれています。

 
(私)
シャロームの罪と偽善は、苦い結果によって、シャロームを、神のもとに引き寄せたでしょうか。神に引き寄せられたのなら、今までの罪と偽善を悔い改める発言があるはずですが、シャロームは、相変わらず、悔い改めた発言も様子も示さないまま、ここに、まともなつもりで、説教を書き続けていることが、そのことを明確に否定しているのです。
2019/1/30(水) 午後 2:01st5402jp返信する
 
(私)

(シャローム
神はすべてのことを相働かせて益としてくださる方だとも聖書にかかれています。全ての道で主を認めよ、そうすれば主はあなたがたの道をまっすぐにされるとも書かれています。
どんな弱さも失敗も神には神の恵みをあらわし、祝福としてくださいます。

(私)
シャロームが上で神が尊重すると言ったシャロームという人間の主体性と自由において、神はすべてのことを相働かせて益としてくださっているでしょうか。道は真っ直ぐになったでしょうか。何も益とはならず、真っ直ぐにもならず、シャロームは、何事も無かったかのように、自説を説教し続けています。シャロームの言行も因果も矛盾しています。
2019/1/30(水) 午後 2:02st5402jp返信する
(私)
弱さも失敗も、正直に告白して赦しを祈る精いっぱい誠実な信仰者にとってだけ、神の恵みは顕れ、祝福となるのです。つまり弱さや失敗が、成長の糧になってゆくのです。
(私)
シャロームは、罪と偽善を悔い改めず、罪悪感も抱かず、まるで気にせずに、白々しい説教言葉と聖書語を言い続けているあいだ、悔い改めない者として、偽善者のままであり、ますます、ペテン師らしく、平気で嘘を吐いて回るようになってゆくのでしょう。
2019/1/30(水) 午後 2:02st5402jp返信する
 
(私)
※ TVドラマ「クリミナルマインド」の格言から
http://toikimi.hateblo.jp/entry/2018/07/11/211656
庭には、植えたつもりのない物の方が多く育っている。(スペインのことわざ)
https://twilog.org/cminds_bot/month-1508/3
物事は見かけ通りとは限らない。見かけにだまされる人間は多い。ごく少数の知恵のある者が、巧妙に隠された真実を見抜くのだ。 ファイドロス (S4#4)
経験は残酷な教師だが、人を大きく成長させてくれる。 C・S・ルイス(S5#13)
人は嘆き悲しむからこそ人間なのである。 アントニオ・ボルキア(S6#20)削除
2019/1/30(水) 午後 2:02st5402jp返信する
 
(私)
そういえば今まで、シャローム、易坊、楽山の3者に、悲しみの情を感じたことがありません。
 
(シャローム
> 自由さん
 やぁほんとうに自由さんの読書歴は豊富ですね。
あちこち記事を読みながら自由さんは本当の人や物事に対する気配り、目配り、心配りが豊かなのだなと感じます。すばらしい反面、これでいいのかなという心の揺れをよく感じられることもありなのかなと感じます。宗教は確かな視点になりそうで、またある種の偏りとなる危うさとなることもあるのですから、本を読まれて、いろんな考え方や心の思いなどと触れてより良い配慮ができるようにしようとしておられるのかなと思ったりしています。
2019/1/30(水) 午後 6:50[ shalom ]返信する
 
(私)
すぐそばにある不都合なコメントをスコ~ンと無視して、背筋がぞっとするようなベタ褒めでご機嫌取り、この見かけの優しさが、7年付き合っていると、身の毛の弥立つ思いです。このコメントの背後にある、意地と無視力の悪意の強さを知ってほしいところです。まさに、ペテン師の営業トークでしょう。
(私)
それと、シャロームが、病気や障害を持つ人に関わると、その人を滅ぼすことになるでしょう。そういう例があったのではないかと推測します。そういうことも、無かったかのように、忘れることの出来るシャロームだから、恐ろしいのです。
2019/1/30(水) 午後 7:11st5402jp返信する
 
(楽山)
心の揺れというのは、私の文章を読んでそういう風な感じを受けることがあるということでしょうか。うーん、それはもろもろの理由から、あえてそういう表現をしているだけの場合もちょいちょいあります。
2019/1/30(水) 午後 7:59[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
気に入らないことは無視しましょう、という、アドラー教によって、私は完全に無視されています。
 
(楽山)
おはようございます。
本を読むには、できるだけ偏りを無くそうというのはありますね。一つの意見を知ったら、その反対意見も知っておこうとか。
でもこれって実践は結構難しいですね。やっぱ好悪、相性はありますからね。どうしても好きなもの、相性のいいものに偏ってしまうので。
2019/1/31(木) 午前 6:58[ 楽山 (自由) ]返信する
話があちこちで進んでるので、ややこしくなってますね。
全部にコメント返すのは大変っぽいので、とりあえずここに書いてます。
2019/1/31(木) 午前 7:05[ 楽山 (自由) ]返信する
(楽山)
このブログは、最近はほとんど趣味のブログになってますが、前はHSの信者、退会者を意識してたりしました。そのせいもあって、HSでタブー視されてる考え方、本、映画などをたくさん紹介してました。
ORの教えは絶対だという考え方に対しては、「ORとは反対の考え方にもすばらしいものがあります」としてORの教えの相対化をはかってるわけです。
また、あれだめ、これだめという考え方には、「HSが禁じている本、映画にも素晴らしいものがいっぱいあります。自由にいろいろな本、映画を見ましょう」というわけです。
2019/1/31(木) 午前 7:15[ 楽山 (自由) ]返信する
(楽山)
、、、稀に、このブログを読む価値無しとしつつも、無視できないでいる信者さんもいるみたいだけど、多分、上のような部分がその理由なんだろうなあと想像してます。
ちなみに、信者と議論になった時などによく言われる言葉はこれです。
 「もっともらしいことを言ってるけど、決して騙されないぞ!」
 信者さんもORの教えは絶対ではなく、その反対の考え方にも理があることは分かってるんだと思います。でも「アンチは悪霊悪魔だ、アンチの言うことを聞き入れてはいけない」という風に、マインドコントロールされて、心の自由を失ってるみたいです。ここは本当に気の毒です。
2019/1/31(木) 午前 7:26[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(楽山)
このように、楽山は、趣味で、偽善者の偽牧師シャロームの味方をするカルトです。
 
(シャローム
> 自由さん おはようございます
「教えは絶対ではなく、その反対の考え方にも理がある」
そうですね。
 教えはすべて相対的で、一長一短、それも状況によって変わるのですから、教えそのものによってマインドコントロールされることはなく、その人、人格に対するマインド・コントロールされると教えが絶対化され、心の自由を失ってしまうから怖いですね。
 教えをいくら批判しても、「アンチは悪霊悪魔だ、アンチの言うことを聞き入れてはいけない」「もっともらしいことを言ってるけど、決して騙されないぞ!」となるので、
カルトやカルト的な人と話すと、問答集に従って話していて言葉が通じないことがほとんどですね。
あちこちの記事を読んで足跡コメントを残していますが、見過ごししてくださっていいですよ。
2019/1/31(木) 午後 0:02[ shalom ]返信する
 
(私)
人間の使う言葉が絶対ではないということです。それによって、シャロームが正当化されることはありません。
 
(楽山)
上でスッタニパータに振れたので、一応、見返してみたけど、「論争をしてはならない」としてますね。部分を切り取って読むのはダメだろうけど、他の箇所を読んでも論争を奨励してるという感じはしないですね。
 >895 これらの偏見を固執して、「これのみが真理である」と宣説する人々、──かれらはすべて他人からの非難を招く。また、それについて(一部の人々から)称賛を博するだけである。
 >896 (たとえ称賛を得たとしても)それは僅かなものであって、平安を得ることができない。論争の結果は(称賛と非難との)二つだけである、とわたしは説く。この道理を見ても、汝らは、無論争の境地を安穏であると観じて、論争をしてはならない。
http://hosai02.la.coocan.jp/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
2019/2/1(金) 午後 7:59[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
私を偏見だと言って、シャロームの偏見を見逃している。なぜかと言えば、シャロームは世辞を言うので扱いやすくて楽だから。あるいは、同一人だからか。
2019/2/2(土) 午前 5:53st5402jp返信する
(私)
私は、シャロームのような偽善者にとって迷惑で有害だろう。シャロームは、全てのキリスト者にとって、気づかれにくく、迷惑で有害だ。
闘わない者は、平和を造れない。闘いを否定する者は、他者の犠牲と死を、かわいそうに、と言いながら放置する。 偽善者らしくなってきたようです。
2019/2/2(土) 午前 5:56st5402jp返信する
(私)
あなたは、アドラーからも、スッパ何某からも、楽になるようなことだけを学んできたように思われる。あなたは楽になり、気づかないうちに、誰かが苦しむだろう。真実の追求を止めて、自己の安寧に走っている姿。
2019/2/2(土) 午前 6:00st5402jp返信する
 
 
(2019年06月16日)
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
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