ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

時制がない

 
  時制がない
     分かったふりをするシャローム
 
   美しい言葉:コメント欄
   https://blogs.yahoo.co.jp/nogatera/56491877.html
   政治思想のブログ。
   批判対象は、コメントを書いているシャロームshalom。
   今回、私もコメントを書いています。一部編集。
 
 
シャロームは、日本語には時制がないということについて、分かったふりをして、アドバイスするようなコメントを入れています。当たり前のことを書き、とても似合わない外国滞在と外国語の話をしていますが、シャロームは、日本語の抽象語も理解できない人です。旅行でもして見栄を張っているのでしょうか、しかし、問題は、それ以上の、シャロームが、この記事に斬られていることに、全く気づかないということです。
 
コメント欄:
 
(シャローム
「そうですね。日本語には、現実があって、非現実 (考え) がない。ただ、現実の内容を容れる構文だけがある。この現実用の構文に、非現実の言葉を入れると、途端に日本語の現実描写の機能は失われます。だから、日本人は、思考停止になります。
>(例えば、誰もが無制限に「自由」を求めた結果が、「平等」とはかけ離れた格差社会であること。
 無制限な自由は、意思の自由ではなくて、恣意 (私意・我儘・身勝手) の自由ですね。’自由のはき違え’ ですね。」
 同感です。
が・・・
「日本語の文法には、時制 (tense) というものがない。だが、英文法にはある。」
なぜそうなのかが理解されないと
「そうですね。日本語による罠ですね。」という
日本語の罠から逃れられないのではないかと思うのですが・・・
[ shalom ]
2019/7/11(木) 午前 8:01
 
(ブログ主)
> shalomさん
 ご質問 ありがとうございます。
 日本語を改造するわけには行きませんね。
 我々日本人が英語に習熟して、日本語の罠を避けるのが良策でしょう。
 外国人は、日本語を話しても、日本語の罠には陥りませんね。彼らは、完全には、日本語の世界に閉じ込められていないからでしょう。
[ nog*t*ra ]
2019/7/11(木) 午前 9:02
 
(私)
> nog*t*raさん
「日本語の文法には、時制 (tense) というものがない」ということが、まだ、分かりません。
「であった」「となるでしょう」等々、過去や未来を表す言葉はあるのですが、
ということは、非現実ということから考えると、自分との距離ということでしょうか。
(私)
英語に仮定法というのがあります。テレビの英会話の放送で、ある先生は、
仮定法に過去形が使われるのは、自分との距離が遠いから、という話がありました。
(私)
未来も距離はありますが、実現するかどうかは分からない、
過去の距離は、実現不可能、という距離だから仮定法に使うのだろうかと思いました。
(私)
つまり、非現実で話を済ませてしまいやすい日本語というのは、自分との距離が実現不可能な遠いところで、英語よりも目立って、べき論の当為、理想、いい話、で終わらせてしまいやすいということでしょうか。
st5402jp
2019/7/11(木) 午後 2:24
 
(私)
> shalomさん
現実問題を、非現実で終わらせるというのは、まさに、シャロームの説教ではないですか。神聖の言葉を並べて讃美するだけで、現実に結び付くものが何もないです。現実と言えば、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、と言ったことくらいのものでしょう。それが、決定的な、反キリストの言葉でした。シャロームは、訂正していません。
st5402jp
2019/7/11(木) 午後 2:25
 
(私)
> nog*t*raさん
訂正します。
現実を、非現実で話を済ませてしまいやすい日本語というのは、自分との距離が実現不可能な遠いところで、英語よりも目立って、べき論の当為、理想、いい話、で終わらせてしまいやすいということでしょうか。シャロームの話し方に似ています。
失礼しました。
st5402jp
2019/7/11(木) 午後 2:31
 
(私)
シャロームは、まだ気づかないのでしょうか。記事に斬られていること。
非現実の神聖用語や讃美言葉を並べて、現実の信仰の問題を語ったつもりでいる。
それで現実の信仰を言い得たつもりだから、
「考えることはない。楽ちんである。無哲学・能天気でも差し支えない。」
というシャロームのお手軽説教となり、現実に通じる何ものもないのです。
にもかかわらず、シャロームの現実に問題なし、という結論が続いていて、
その路線上で、政治思想にも、分かっているつもりで口出しをするのでしょう。
st5402jp
2019/7/11(木) 午後 2:40
 
(私)
> shalomさん
現実と非現実を分けていないのは、シャローム、あなたなのです。
今までも、本を読んだり、他ブログを引用・転載して、あなただけが、あなたの神の聖域から、下々を眺めるように物を言ってきたのです。
st5402jp
2019/7/11(木) 午後 2:43
 
(私)
> nog*t*raさん
前の転載、事前に了解を取っていないかもしれません。失礼いたしました。
ここのコメント欄、必要なら記事も、転載するかもしれません。
st5402jp
2019/7/11(木) 午後 2:45
 
(私)
いや、シャロームは、
非現実を、現実の付き合い言葉で終わらせてしまうということかもしれません。
(私)
シャロームの説教は、非現実の聖書語の羅列で語られます。
一方、
シャロームは、現実においては、お付き合い言葉で済ませてしまいます。
それで済まない批判については、世辞、はぐらかし、当てつけ、皮肉、侮辱、嘘、などが返ってきます。
st5402jp
2019/7/11(木) 午後 3:02
 
(私)
> shalomさん
記事より:
「誰もが無制限に「自由」を求めた結果が、「平等」とはかけ離れた格差社会であること。」
「無制限な自由は、意思の自由ではなくて、恣意 (私意・我儘・身勝手) の自由ですね。’自由のはき違え’ ですね。」
(私)
まさに、シャロームが大好きな恣意の自由です。信仰に、恣意の自由、信仰は人それぞれ、を持ちこんで、悔い改め不要の無罪信仰の反キリストを、キリスト信仰だと言っています。また、他サイトには図々しく口出しするくせに、恣意によって、批判を削除したり、コメント欄を閉鎖したり、今は未承認のまま放置したり、弁明か反論するということが全くできないのがシャロームです。
シャロームが、書けば書くほど、同様の問題が、噴き出してきましたし、今後も、噴き出してくるでしょう。
st5402jp
2019/7/11(木) 午後 3:20
 
(私)
シャロームが、自由を是とするなら、自分のブログで、私のコメントを承認して、弁明か反論をするべきですが、できないのでしょう、未承認、削除、コメント欄閉鎖、そしてまた、一部未承認コメントとなっています。
(私)
シャロームが言うところの、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、という妄想教理は、訂正しない限り、シャロームは、キリスト者ではありません。
(私)
信仰は人それぞれ、自由だという言い分なら、キリストはただ一人であり、細かい解釈ではなく、逆方向の信条なので、認められません。総ての人が信じるようになったら、自己中心の張り合いになり、えらいことになる、ということもあります。
(私)
キリストの名を外すなら、異教徒なりますが、シャロームは、自己顕示欲のために、世界的なキリストの名を外すことは、外したと嘘を吐くことは出来ても、本当に外すことなど、出来ないでしょう。
 
(シャローム
> nog*t*raさん
「日本人が英語に習熟して、日本語の罠を避けるのが良策でしょう。」
nog*t*raさんはきっと「英語の世界」で日本人が「日本語の世界」の空気を呼吸しながら生きて日本語を習熟していくように、「英語の世界」の空気を呼吸しながら、英語を習熟されたから、日本語と英語の違いを理解されていると思いますが、その違いはどのような違いと言えるのでしょうか。そしてその違いはどのようにして生じているのでしょうね。私はほんの短い滞在でしたので、必要な自分の意志や情報を何とか伝えるだけで精一杯でしたから大変でした。
[ shalom ]
2019/7/11(木) 午後 9:35
 
(私)
シャロームの、自慢話が始まりました。旅行にでも行ったのでしょうか。日本の誰とも、社交の世辞以外、話が通じないのに、大事なことは何も伝わらない書き方しかできないのに。
(私)
シャロームは、シャロームのボロクソ節を言ったことで、伝わったと思い込む人です。正常な人なら、そこで、自分を振り返り、謙遜によって、外国に住んでいたような書き方や、伝わったような書き方は控えるでしょう。ましてや、嘘は吐かないでしょう。ここに、シャロームの虚言癖と、自己中心の尊大さがあるのです。また、シャロームは、醜さを積み重ねています。注意して読んでほしいところです。
st5402jp
2019/7/11(木) 午後 10:27
 
(シャローム
でもいろんな情報伝達には苦労しましたが、どういうわけか、言葉を交わすことには四苦八苦しながらも、徐々に感じる空気感はとても自由で、開放的な気持であることにとても不思議な気持ちになっている自分に気が付きました。
 
(私)
空気感が自由で開放的、と伝えることに、どれほどの意味があるでしょう。この、言葉の時制というテーマとは、直接関係ないことを、自尊のために、関係者のいだく好感のように、外国人の気持ちも分かっているのですと、ベタ褒めで書いてしまうところに、シャロームの、理路の散乱が見て取れるのです。シャロームは、空気感をムードくらいにしか理解できないのです。さらに、テーマに理路を集中できないのです。
st5402jp
2019/7/11(木) 午後 10:28
 
(シャローム
このことは私だけの経験ではなく、留学生や駐在しておられる多くの人の体験される気持ちだということを知りました。この日本語の世界と英語の世界の空気感の違いはなにか、そしてそれはどこから生じているのかとても大事なことのような気がします。英語を習熟するには英語の世界の空気を呼吸することが必要不可欠のように思われます。
 
(私)
その好感というベタ褒めの後に、空気感が違うから、英語の世界の空気を呼吸することが必要不可欠とまで書いています。これも、空気という言葉を使っても、テーマと直接の関係はないでしょう。求められてもいない外国語の習得法を、シャロームは教授しているのでしょうか。それを求めている人が、ここにいるでしょうか。こういうところから散乱し、ボロクソ節になってゆくのです。
st5402jp
2019/7/11(木) 午後 10:28
 
(シャローム
日本の文化は異文化を虜込むことは巧みですが、その空気は排除してしまう精神土壌である文化、空気の世界のように思われますので、日本人が日本語の罠を避けることができるほどに英語を習熟することはとても難しいと思います。日本の人口の外国人の人口は2パーセントを越えたということですが、不可避の重く困難なテーマですね。
[ shalom ]
2019/7/11(木) 午後 9:36
 
(私)
日本は異文化の空気を排除する、空気の世界、日本語の罠を避けるために英語の習熟、あっさり言っていますが、何を言うために、この実感のないことを書いたのでしょう。英会話は難しいですね、とでも言いたかったのでしょうか。世間話をしたかったのでしょうか。
(私)
テーマにおいて必要なことを排除して、求められてもいないことを得意げに語り、はぐらかしで、あとでは、意見を交換しました、ということにしたいのです。見当違いに気づかないまま、あちこち書きまくるシャロームの、また、みっともなさ、恥と恥知らず、醜さの貯蓄でしょうか。
記事にします。
st5402jp
2019/7/11(木) 午後 10:29
 
(私)
> nog*t*raさん
私は、キリスト信仰の立場で、批判することを務めとしてやっていますが、シャロームと話を続けるおつもりなら、世辞で、いい気分にならないでください。全部嘘ですから。また、本音で、絶望したりなさらないように、怒ったりなさらないようにしてください。シャロームは、ビタミン剤を鎮痛剤みたいに宣伝して売っているようなものです。シャロームは、とびきりの疲労物質です。約8年間そうでした。
st5402jp
2019/7/11(木) 午後 10:53
 
 
(2019年07月12日)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
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https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp (更新、コメント不可)
http://st5402jp.livedoor.blog/ (移行スピードは速かった)
 
 
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