ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

アドラー教とカルトの筆致

 
  アドラー教とカルトの筆致
 
 
アドラー心理学」という、心理学者の名を冠したカルトがネットで流行っているようです。そのまま受け取っていると、一時的に精神的負担が減ったような気がして、気持ちよくなることがあります。それで、嵌(はま)ってしまうと、自己中カルト、私が「アドラー教」と呼んでいる自己中促進カルトによって、人格を破壊されるではないかと思っています。
 
(ネットより)
ルフレッド・アドラー(Alfred Adler、ドイツ語発音: [alfreːt aːdlɐ](アルフレート・アードラー)、1870年2月7日 - 1937年5月28日)は、オーストリア出身の精神科医、心理学者、社会理論家。ジークムント・フロイトおよびカール・グスタフユングと並んで現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立した1人。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BC
 
アドラーは19~20世紀の人ですが、アドラー心理学として今流行っているのを、私はアドラー教と呼んで、カルトだと思っています。
 
ネットのアドラー教が、おもに提唱していることに、課題の分離ということがあります。
 
そして、自分の課題ではないことは、そう判断して、ときには言って、無視してよいというのです。
 
しかし、自分の課題には、他者が含まれることがある、というより、むしろ多いのです。
 
共にいる人、共に働く人、共に同じ目標を目指す人は、自分の課題の遂行に、他者は、切っても切れない共同作業者となります。多くの職場において、他者を無視しては出来ない仕事があります。その場合、当然、他者は自分の課題に含まれています。
 
つまり、それは私の課題ではない、と言って、無視していると、信頼されなくなるでしょう。
 
人間の活動の大部分は、単独ではできないことです。
 
 
私が、コメント、および、記事によって、関わり、批判してきた者が二人います。
 
一人は、シャロームです。約10年間、私の批判対象です。彼は、アドラー教を信じているかどうかは不明ですが、正当だと認めているようです。私がアドラー教を批判することを、ですね口調で、揶揄しました。
 
シャロームは、クリスチャンで元牧師だと自称しながら、その信条として、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、と言いました。罪を気にしなくていいキリスト信仰はありません。信条において真逆であります。シャロームは、偽キリスト者の、偽牧師、偽善者、そして、反キリストであることが明らかになっています。
 
もう一人は、楽山です。既に1年を超えて、今も批判しています。楽山は、上のシャロームの、全くキリスト信仰とは真逆の信条に同意して、熱心なクリスチャンと言っていました。つまり、明らかな反キリストの味方をしたのです。
 
そして、楽山は、アドラー教の宣伝をしていました。その大きな項目として、
 
気に入らないことは無視しましょうというのがあります。
 
気に入らないことを無視する、これが自己中でなくて、何なのでしょう。私たちが、直面する問題は、いつもお気に入りのことばかりでしょうか、否です。
 
むしろ、気に入らないことを無視せず、思考の材料として、冷静に考えてゆくことこそが、学習と成長の糧になるのです。楽山は、人間というものについて、その学習と成長について、全く分かっていない人なのです。
 
カルト一般に言えることですが、彼らには、心がありません。潤いと温もりがありません。悲しみと思いやりがありません。思いやりという言葉を、都合よく、言葉の字面で使っているだけです。このことは、サイコパスやナルシストなどの、人格障害に共通していることです。また、カルトの妄想信仰にも酷似していることなのです。
 
このように、特に、楽山は、自己中であり、自己愛が強く、愚にもつかない文章を記事として書いて、まるで、読書家気取り、批評家気取りの筆致を真似て描くのですが、そこに、真っ当な理路がなく、殆ど自我の思い付きに過ぎず、我執とも呼ぶべきものであります。
 
しかも、楽山は、鈍麻した感性と壊れた思考について、反省せずに、批判を受け取らずに、平気で、次の記事を書いて、また、同じような批判に曝されるという愚事が続いているのです。
 
シャロームと楽山、どちらも、正体は反キリストだと思っています。堂々と批判をするのではなく、シャロームは、私のライブドアブログに、執拗に、嫌がらせのコメントを書いてきました。丁寧語の挨拶と、聖書をろくに読んでいないといった貶めを、同じコメントに書いてくるのが特徴です。
 
その場合、まず間違いなく、貶めのほうが本音だということは、常識的に分かることです。しかし、シャロームは、それに、全然、気づかないで、平気で書いてくる人なのです。世辞や丁寧語の挨拶が本当なら、貶めなど書かないからです。
 
楽山は、キリスト信仰に対して、信徒であるかのような芝居をしたり、字面だけの幼稚な辻褄で、神がいるならおかしい、などと、いちゃもんをつけてきたりしました。しかし、別の記事では、賛同するかのような記事を書いてきたりと、滅裂な書き方をしてきたのです。
 
これらのことから、キリスト教についてもキリスト信仰についても、まるで、一貫した主張など持っていないことが、明らかになっており、そのことから、結局、楽山が、宗教について、いかに、軽く考えているかが明らかになってきたのであります。とても、宗教について、何かを語れる人ではなく、いい加減な人なのです。
 
このように、キリスト信仰に対する態度が、一貫せず、字面の表面的な辻褄だけの、いい加減さが明らかになっても、など、書くことをやめられない強迫観念でもあるのだろうと思いますが、
 
もし、楽山とシャロームが、一人の成りすましであったらとか、また、特定のカルト集団の中で、既存の宗教をおとしめる役割を担っているとしたら、状況は、さらに、危険で凶暴な様相を呈してきます。
 
それが、たとえば、アドラー教であるならばと仮定しても、シャロームは認めていた、楽山は宣伝していた、ということから、あながち邪推とも言えなくなっている現状であります。
 
この二人には、気に入らないことを無視する、ということを、まさに実践しているような点が、ベースにおいて、アドラー教に一致してきます。二人とも、人格の大事な部分、特に、相手の心を察して思いやる心とか、深い共感性といったところが欠けているのが目立つ者たちです。
 
 
気に入らないことを、自分の課題ではないと、無視すれば、一時的に、気が楽になったような気になります。その時だけ、負担が軽くなったような気がするからでしょう。
 
しかし、この無視には、大きな落とし穴があります。気に入らないことを無視すれば、気に入らないことは、ずっと無視することになり、無視することで、学習と成長がなくなるということです。
 
そんな学習はしないほうがよいと決めるなら、気に入ったことだけで、人生を送ることになり、その場その場の無視が重なることによって、感性が鈍くなって、安心して仕事を任せることができない人という定評になったり、そういうレッテルを押されて、仕事を任せられない人ということになり、信頼がなくなることにもつながりかねません。
 
誰の課題?ということに執着して、いつのまにか、冷淡な人だと思われ、考え込んだ後に、すぅっと去ってゆくのを、やっぱりね・・と見送られて、冷淡を、後日、今度は、返されることにもなりかねません。
 
無視したとき悩みがなくなって楽になっても、人生においては、学習も成長もなくて、欠陥だらけという結果になる危険があると思います。そうなったら、人格の破壊と呼ぶべきものでしょう。
 
 
知らぬ間にアドラー教の信者がいて、あるとき、それは私の課題ではないと、ジョブを拒否して、ぷいっと去ってゆくようなその人を信頼できるでしょうか。
 
アドラー教は、自己中ではないと言いながら、自己中であることの根拠の弁明が出来ていません。アドラー教が、今まで、言ってきたことは自己中と矛盾しないばかりか、それを勧めていると思われても仕方のないことです。
 
それと、アドラー教のライターは、断定傾向が強いです。こうすれば、すべて、うまくいく!悩みがなくなる!、というような強い口調が目立ちます。それは、カルトに共通することです。その分、説明力が貧弱です。
 
ライターの一人は、占い師だということです。占い師が心理学?という疑問は、当然であります。黙って座ればピタリと当たるふうな断定が多いのです。もう1人は、かなり攻撃的な文章を書くようです。強く言われて、うっかり受け入れるのではなく、強さが、正しいとは限らないことを肝に銘じておくべきでしょう。
 
このように、冷静さよりも、強気が目立つアドラー教は、説得力よりも、勢いで押してくることが予想されます。怒号に近いものも表れてくるかもしれません。これも、カルトの、信者に対する脅迫に似ているのです。押され負けしないように、気をつけて、冷静な判断力と批判力を身につけることが必要だと思っています。おかしいと思ったら、近づかないことです。
 
 
(2020年06月13日)
 
 
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