ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧

油膜の視線

油膜の視線 「第三講 ヨブの哀哭」(『ヨブ記講演』内村鑑三) http://mn266z.blog.jp/archives/24969648.html 2020年05月30日 楽山は、信仰という重要なテーマについて、要点をメモしておくと言っているようですが、楽山の言う要点とは何なのでしょう。メモ…

陰から光へ

陰から光へ (再) 愛を知りたければ愛のない世界の有り様を知ることだ。 憎しみ、恨み、嘲り、罵り、そして言葉と肉体の暴力の世界 すべて経験していなくても弁えるべき知識として考えることだ。 真善美を知りたいときも同様である。 陰性を知ることでその…

人の復活(修正)

人の復活(修正) 死人が蘇る話よりも先に考えるべきことがある 信仰はその原初から神との関係への人生の依拠でありかなりの依存でもある 自立した信仰などありえず信仰は紛れもなく神に人が依存しかなり甘えることに他ならない 語弊があるなら神のみに依り…

批判と悪口

批判と悪口 芸能スポーツの女の子が、ネットで酷いことを書き込まれて、自殺した可能性があるような・・という報道が話題になっています。 誹謗中傷コメント以前の、ベースとなるような、トラウマとか差別とかの問題の可能性はないのかな・・とも思いました…

この地上に(再)

この地上に 私のふるさとはこの地上にはありませんと言いたくなるとき 信仰者にとって本当のふるさとは神の国ということならそれは信仰者として真実でもあるのだが 一方で逃避なのかもしれない 人というのは生涯演技し続ける動物のようだ恥ずかしくないよう…

神と人知

神と人知 超常への憧れから信仰者になった人は現実問題に向き合うことが苦手になるかもしれません。 現実問題に疲れた人が、何らかの機会を得て、信仰者になる場合には、信仰は、超常ではなく、キリストの愛と共感によって、心で受け取っていると思います。 …

信仰と固定(再)

信仰と固定 (再) 人間が信じられることは人間が信じるようになることは人間性で理解できて人間性で共感できることです。それらが心を動かすからです。 聖書にはたくさんの奇跡が書かれていますが神とキリストを理解できるのは人間の知性で理解できることで…

とほほ?

とほほ? 「第二講 ヨブの平生と彼に臨みし患難」(『ヨブ記講演』内村鑑三) 2020年05月23日 http://mn266z.blog.jp/archives/24881454.html 楽山の言葉は、決して、素直に読んではいけない、というのが、今までの私の学習の経過と結果であり、今回も、その…

学習障害(LD)

学習障害(LD) 楽山日記(LD)の、LDは、学習障害 learning disability のことなのでしょうか。学習障害を前提としないで、今まで私が見て、批判してきた楽山のブログには、楽山の障害を思わせることも多々ありました。虚言、無反省、学習不能、理路と…

批判の節操

批判の節操 神を批判してはいけないのか? 2014年12月06日 http://mn266z.blog.jp/archives/17512429.html 楽山日記(LD) 「楽山日記」で検索したところ、上の記事が見つかりました。私が楽山を批判する前の記事だと思います。恐らく、ずっと前から、キリス…

不治の悪意

不治の悪意 『まんが 弁護士が教えるウソを見抜く方法』深澤諭史著 2020年05月20日 楽山日記(LD) http://mn266z.blog.jp/archives/24844902.html 楽山という嘘吐きは、嘘についての本を悪用して、自己正当化を図ってきます。まるで、自分は批判する側だと…

共同幻想

共同幻想 前に書いたことですが、 「 ほぼ恒常的で、ほぼ秩序立っていて、ほぼ双方向の感覚であれば、人間は、それを感覚に過ぎないとは思わず、幻想だとも思わず、実在だと思い込む。 つまり、実世界は、そのような感覚世界と、つまり、ある意味、共同幻想…

サディスト

サディスト 楽山日記(LD) 『ヨブ記講演』内村鑑三著 2020年05月17日 http://mn266z.blog.jp/archives/24815757.html 全く反省というものが出来ず、悲しむという感情を持たず、弁明や反論の代わりに、相手を煩わせるだけの目的で、何かをしてくる、この場合…

涯の恵み

涯(はて)の恵み (再) 私が、いちばん嫌になる伝道~説教の形式がある。 これこれを信じますか。 この質問形式は、信じたら信仰者、信じなかったら非信仰者、ということを意識するようだ。 嫌なのは、「これこれ」が超常の言葉で溢れていること。 超常は…

子供だましの言い訳

子供だましの言い訳 『竒談の時代』百目鬼恭三郎著 2020年05月16日 http://mn266z.blog.jp/archives/24803695.html 楽山日記(LD) 楽山は、一転して、今までの心霊や超常の話を、子供の空想話を出すことで、それこそ子供だましの言い訳で、ごまかそうとして…

輪廻にすがる芝居

輪廻にすがる芝居 読書と輪廻 2020年05月14日 http://mn266z.blog.jp/archives/24778863.html 楽山日記(LD) 楽山は、今回、まるで少年のような、読書と思想に憧れる純真な心で記事を書いている、のではなく、そのような純真に見せかける芝居をしていると思…

二項

二項 http://st5402jp.livedoor.blog/archives/107263.html 少し修正して再録 嬉しいと思える恵みは同時に試練だ喜びのために思い上がらないようにと 試練としか思えない悲しみは同時に恵みだ生死を超える神だけの民になるため 失望は新たな願いを生む 絶望…

似てくる偽善者

似てくる偽善者 「聖句の悪用」と言う私の記事からです。2019-05-09 一部を再録します。 https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12459960864.html 聖句引用部分は省略します。 ここで言いたいのは、嘘を吐いて人を騙す偽善者の言葉は似てくるということです。シ…

不感不応=無知

不感不応=無知 心に思ったことは現実になる?(詩篇108[109]) 2020年05月11日 楽山日記(LD) http://mn266z.blog.jp/archives/24741611.html 楽山は、自業自得ということが分からないようです。また、訳の違いで検索しても一致しにくい聖句について、本任…

キリストの心

キリストの心 キリストは、救われる人々に対して物や肉体の奇跡をおこなっただけでしょうか。否であります。 こんなことが出来るから従えという救い主でしょうか。否であります。 確かにキリストは神の権威をもって語ったかもしれない。物や肉体の奇跡も、私…

災いをもたらすのは誰か

災いをもたらすのは誰か 「わたしの親しき友は――暗闇のみ」(詩篇87)2020年05月09日 旧約聖書 詩篇 (岩波文庫 青 802-1) http://mn266z.blog.jp/archives/24718556.html 楽山日記(LD) 楽山のような、キリスト教が憎くて、偽善もバレてしまって、恨みと憎…

超常の神、日常の人

超常の神、日常の人 人には手に負えないところの全知全能・絶対完全・永遠不変という神の性質は人が神を恐れるためにあります。 人がそれらを身につけるためでもないし理解するためでもありません。 人は、神の性質・意志・行為を推測したり想像したり行動す…

伝道と宣伝

ずっと前にシャロームを批判していたときの記事の一つ。 伝道と宣伝 カルト宣伝者は言うだろう 未知を既知としたときから自説の解釈の中で絶対者の概念をモノのように決めて一般化して当てはめて一つの言葉は無感動な一つの意味しか持たなくなってそれを繰り…

病の個人歴

ガス抜きです。ちょっと息苦しい記事になります。 病の個人歴 生まれて66年、コロナのこともある中で、ますます先行き不安、ということで、いつまで生きていられるか分からないので、今までも、ときどき書いてきましたが、また、私の病歴のようなものを書…

善悪

善悪 何が正しくて何が間違っているかなど善悪の厳密な結論は 風さえも支配されるところの神ならば分かるでしょうが 風を追うような私たちに分かるはずはないのです。 私たちは、ただ、懸命に考え、判断して、実行し、反省してそれを神様に正直に捧げる祈り…

バランス

バランス 旧題:好ましさとバランス バランスの取れた発言は本当にバランスが取れているだろうか好ましい人間関係は本当に好ましいだろうか 人間は言葉で好ましいことを言ってもその言葉通りになっていない自分を振り返ることなしには本当に好ましくはなり得…

敬虔

敬虔 (過去記事「謙遜」を修正アップ) 例えば元気で熱心な信仰者にありがちな発言として 「「神のうちに生き、動き、存在している」という視点に立つとき、私たちの存在の意味や価値を謙遜に見極めることができる」 折に触れて自分について神の意志は?と…

原初の信仰から(再)

原初の信仰から 最初に信じたことがダイレクトに心を揺さぶったのであるならそれは後付けされた理屈を否定する。 生きている個人が最初に信じたことつまり原初的で根源的な信仰こそが後付けされた傲慢な辻褄合わせの「確信」を否定する。人が作った信仰の尾…

ボンヤリ言語の誘導(7)

ボンヤリ言語の誘導(7) 自分を映す鏡としての幸福の科学 2020年05月02日 http://mn266z.blog.jp/archives/24625555.html 楽山日記(LD) 楽山の言は、批判を向けられても、いっさい、気にしないという他者無視と一体の執着から出来ています。宗教における…

時と風

時と風 時は風のようなものだ あの日の時と今の時とそれほど変わりはない 同じような時が日々の必要を告げる あの日の風と今の風とそれほど変わりはない 同じような風を頬に受けている 私たちの変わりようといったらどうだろう 時は風のようなものだ 流れて…